「アフターコロナのニューノーマル」という言葉が使われているらしい。
もはや日本語は「の」だけ。すぐに意味を理解するのはとてもむずかしい。
外国語がカタカナ化されると、新単語が突然生まれる。「アフターコロナ」の日本では、以前に増して新輸入単語を使うのが当たり前(ノーマル)になっている。すぐに理解されることをあえて拒んでいるような印象すら受けてしまう。
新しいスピーカーの名前につかった「NORM」という単語は、ノーマルと同じ語源で、「基準」という意味を持つ。ネットで調べたら、ラテン語の語源に「大工の物差し」という意味があることを知って採用した。まさしく音楽再生の「ものさし」となるような普遍的なスピーカーが作りたかったから。
それにしても「常識」「普通」という言葉を聞くと、いつも頭のどこかに違和感を感じてしまう。考えてみるとこの違和感は、みんなが同じ「ものさし」を持っていることが前提とされる世界に対するものなのかもしれない。
実際それぞれの人が持つ「ものさし」はオリジナルなものだ。生まれてから今までのすべての経験や環境がその人の「ものさし」の目盛りや長さを決定する。他人と全く同じなんてあり得ないはず。
国や社会が決定した「ものさし」で測った「常識」と自分の「ものさし」で測った「常識」とのズレ。
こんなことを考えている時、いつも脳内スピーカーで流れているのは、坂本慎太郎さんの『まともがわからない』。
(青柳)