Friday 30 June 2017

自由でいること

おとといFlanger展”NEW/TONE/NEW/WAVE"のオープニングイベントとして行われたmakiさんロングインタビュー。大いに感銘を受けた。

決められたことより、感覚的でいたい。大事なことは自由でいること。そう、改めてこころに誓った。自分で枠をつくって閉じこもっていたり、よくない幻想に浸りつらくなったりすることもあるけれど・・・そういったことから抜け出してどんどん軽やかに自由になりたいもんだなと思った。

Flanger展、すばらしかった。スピーカーMONOにて『Mellow Waves』が流れる中、さまざまなことを感じながら展示を楽しんだ。ネットでは分からない、リアルで空間を体験できる喜び。

(my)

Wednesday 28 June 2017

波や流れ

波や流れのことを最近よく考えている。

時間の進み方や世の中の動きは一定ではなく、波のように上下したり、川の流れのように速かったり、遅かったりする。
昔からそういった波や流れをすばやく察知して、サーファーのように軽やかに波を乗りこなしたいというイメージをもっている。

音の世界においても、見えない波や流れをつねに感じたいという気持ちがある。
スピーカーを開発している時は特に意識する。空間によい波や流れを生み出すスピーカーを作りたい。

波や流れにはあらがってはいけない。
その動きに自分をうまく馴染ませる。

そんなことを再確認するようになったきっかけは、Flangerの展覧会「NEW / TONE / NEW / WAVE」への参加のお誘いがきたことだ。場所は、ちょうど2年前の6月にスピーカーMONOをお披露目した展覧会「to here sounds」を開催したAL。空間に流す音楽は、Corneliusのニューアルバムで、タイトルは「Mellow Waves」・・・

いろいろな波が来ているのだろう。ドキドキする。

(青柳)

都会の音

けっこう引越をしてきた方だけれど、彦根の田園地帯に住むまで都市もしくは近郊ばかりに住んでいた。だからそれまでは気づかなかったのかもしれない。今の静かな環境のせいか。スピーカーMONOで音楽をきいているせいか。”都会の音”について。

都市には低音が流れている。街中を包み込むように。田園地帯に住みはじめて数ヶ月たったとき大阪に行ってはじめて聞こえた。それまではそんな音のことなんて知らなかった。それからは都市にいくたび聞こえてしまう。

おとといの山食音で行われたイベントで、東さんがおはなしされたことの中で特に印象的なことはそのことに関係することでびっくりした。フィールドレコーディングされた中で、わたしが都市の音とおもっている音がしっかりと録音されていた。山の中。自然がいっぱいとおもわれる場所でも。都市から近かったら。

日本でたぶんいちばん”都会の音”がきこえるところで、今日のこのブログを書いている。

(6/28~7/9まで、Flanger展にてホラオーディオが音響を担当します。
28日はオープニング試聴イベントとして、(青柳)がゲストで参加いたしますので、よろしければいらしてください。>詳細

(my)

Monday 26 June 2017

機械だって

パソコンにCDを取り込む必要があってスロットに差し込んだら、貝が口を閉ざしたようにまったく入らない。
ここ1年くらいiPodで音楽を聴くということがほとんど無くなってしまって、スロットの存在を忘れているほどだった。

CDで聴く方が音質が良いということもあるが、「自分で音楽を選んでいる」実感が強いのがいいのだと思う。iPodを使い出した頃はシャッフル再生の時折訪れる絶妙な選曲センスを楽しんでいたりしたが、「気軽や手軽」ということが逆に退屈に感じられるようになってしまった。

こんな自分にパソコンのCDスロットがそっぽ向いてしまっても仕方がないような気がした。機械も必要とされないのに、いつまでもへいへい動いてくれるわけではない。機嫌を直してくれたらよいのだが…

(青柳)

Saturday 24 June 2017

自然の音

ふだんからまわりにある音。気付かない音。いろんな音にかこまれている。
音っていったいなんだろう?音をつかむことはできない。それが、近代になって音を記録できるようになった。フィールドレコーディングはまさに現代でしかできないことなんだろう。

音って考えれば考えるほど、不思議だ!

去年、あいちトリエンナーレでChris WATSONの作品をみた。スケジュールはタイトだった中、はじめからおわりまで体験してしまった。それは、とても気持ちよく音が音楽に聴こえてきたからだ。(Chrisさんの"In St Cuthbert's Time"という作品については以前のブログで青柳がかいています。>>>鳥の英会話

明日、京都の山食音でおこなわれる「いい音ってなんだろう?」というイベントで、音/記憶/歴史/空間等々、気になっていることを音の案内人である東さんからおききすることが楽しみだ。このイベントが決まるまで、青柳は考えてきただろうけれど、あまりわたしは真剣に音について考えてなかった。(ぼんやり音を楽しむだけだったから。)今では、興味シンシン。音の考察、初心者です。

(my)

Friday 23 June 2017

いい音の正体とは


「いい音ってなんだろう?」ってたまに考えるが、いつも結局よく分からなくなる。音は体と心で感じるもの。頭で考えてたらどうしても行き詰まってしまうかもしれない。でもその正体が知りたい…。

ちょうど2年前にHPのコラムで「よい音」について書いたことがある。
良い音を感じるレコードを何枚か挙げているが、今でも好きなレコードばかりだ。コラムでも書いているように、個人的な「よい音」は、結局、音が心の琴線に触れた瞬間なのだと思う。そういう瞬間を体験したレコードはいつまでも「よい音」として記憶されている。

またそのコラムでは、普遍的な良い音、HORA AUDIOの目指す音は、「自然の音」だと書いている。今でもそう思うのだが、みんなにとってはどうなのだろうか。
自分以外の人が思う「いい音」がどんな音なのか気になっていて、何かイベントにできないものかとずっと思っていた。それが実現することになった。イベント名は直球で「いい音ってなんだろう?」にした。

音の案内人、山食音の東さんは、店名があらわすように、山と食と音に繋がった活動をされている。僕が初めてお会いした時はウリチパン郡のレコ発ライブで、出演された二階堂和美さんの録音で来られていた。ずっと音の人だと思っていたら、食に関する活動を知り、その後、山にまつわる噂を聞いた。

日常的に音について考えていると、自然だけでなく、食のことが連想されることが多々ある。三つの要素を同じ感覚で捉えている東さんに「いい音」についてのお話と音を紹介して頂いたら面白いに違いないと思い、イベントをお願いした。東さんならオーディオや音響の世界のみならず、普段音に興味のない方も楽しめる幅広い内容になると直感的に思った。

当日は、東さん日常的に録られてるというフィールドレコーディング音源も聴かせてくれるそうだ。「いい音」という難しいお題を東さんがどう料理されるのかとても楽しみにしている。

(青柳)

Thursday 22 June 2017

The Kitchen Counter Cooking School

邦題「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」キャスリーン・フリン という本をを読んだ。正直、本屋でこのタイトルと表紙をちら見してもたぶん読まなかっただろうなと思う。わたしにとってはあまりそそられるタイトルではなかったから。

じゃあなんで読んだかというと、とある書評を読んで気軽な気持ちで手にとったら・・キャスリーンさんとわたし、食に対する考え方が通じるものがあり、じんときてしまった。思春期のころ、家庭科の授業から料理をすることにはまっていったことを思い出した。

わたしが毎日の料理をするときにおもっていること。「旬のものを食べること。なるべくその土地のものを選ぶこと。調味料は厳選してよいものを使うだけで、いろいろなドレッシングや汁をつくることができる。家庭料理はシンプルでさっとつくれるものが、一番。そして道具もたくさん持たなくてもいいからきちんとしたものを揃えること。冷蔵庫はちいさめでよい。楽しむこと!等」

読みやすい訳だった。翻訳家の方が気になって調べてみたら・・・なんと琵琶湖のほとりに住んでいるとのこと。なんだかうれしくなった。

(my)


Wednesday 21 June 2017

梅雨には梅雨らしく

梅雨入りしたはずなのに、雨が降らない日がつづいていた。田んぼの水がなくなって土がひび割れているところがあったりして、農作物がとても心配だった。

昨日の夜からまとまった雨が降った。でも、なんか変だ。しとしとした梅雨の雨というよりは、夏の集中豪雨のようだった。井戸の水は溢れ、雨漏りもした。このまま続いたらどうしようと思っていたら、あっけなく夕方にほとんど雨はやんでしまった。

梅雨はうんざりするくらい雨の日が続かないと本物とはいえない。じめじめした感じも日本の四季にとっては欠かせないと思う。このまま夏本番になってしまったら、梅雨時期に聴きたくなる音楽が思い出せず来年まで封印されてしまう。

梅雨には梅雨らしくしてくれないといろいろと困る。

(青柳)

Tuesday 20 June 2017

足るを知る

たくさん持つことや便利がよいとされる現代。はたしてそうなのだろうかという疑問がある。

便利になれすぎたら、感覚が鈍くなっていくような気がする。

自分にとっての丁度よいという加減がある。ものと価格のバランス。便利の裏側にあるデメリット。どんなものにも長所と短所があるということ。

例えばだが、いくつも鍋があっても使わなくては意味がない。すこしの鍋でも工夫したらいろんな料理をつくることができる。逆に、すこしだからこそいろんな工夫がうまれる。手を動かす喜びと達成感もおまけについてくる。

一面的ではなく多面的に物事をみる。便利とおもわされて大事なことを見失ってしまったら意味がない。直感を磨き、本質を見極めることができるようになりたい。

(my)

Monday 19 June 2017

井戸そうじから学んだこと

horaanaには井戸がある。深く掘られたものではなく、自然と水が湧き出てくるような小さな井戸が「水屋」と呼ばれる昔の台所の中にある。
引っ越して来たときから、井戸の中には長年の泥がたまって淀んでいた。水はいつも土の色をしていた。
雨が降ったら水かさが増え、雨が降らないと少なくなる。だからといって、水が無くなることはない。最低量はある程度一定にキープされている。

先日思い立って井戸のそうじをしてみた。
ポンプで井戸の水を外に排出してから、ひたすら泥をバケツでかき出す作業を繰り返した。泥の中から茶碗のかけらが出てきたりした。泥が少なくなってくると井戸の底と脇に穴が開いているのが分かった。意外と小さな穴だ。泥が詰まっているので棒でつついた。

ほぼ泥を出し終わった頃、脇の穴から透明の新しい水が流れ込んでいるのが見えた。
濁水が流れ込んでいるわけではないのであれば、井戸の水がきれいになるのかもしれない!
そう分かると一気に楽しくなって、作業をやり終えた。

翌日井戸を見ると水量は、そうじ前とほぼ同じになっていた。水はそれほどきれいではなかったが、格段に透明度が増している。柄杓で水に浮かんだ不純物を掬う作業を日課にすることにした。

日に日にきれいになっていく井戸の水を見ていると、いままで井戸は「ただ淀んでいたのではなくて、見えない所にちいさな流れがあって、生きていた」ということに気付いて感慨深くなった。
今までの人生、どうしようもなく停滞しているように感じる時期もあったけど、実は見えないところに流れがあって、だから今の自分がいる、ということを井戸から教えてもらったような気がした。

(青柳)



Saturday 17 June 2017

傍観者と当事者

本日とある業務を、(青柳)から引き継いだ。

傍観者でいるときは、やれ注文を出したり気楽な気分で批判したりしていたが、当事者になったとたん、緊張したり簡単だとおもっていたことが意外と大変だったり。

頭の中で考えていることを、実際に行動するしてみるのは思っているより難しい・・・のだけれど、達成感は比べ物にならない。

責任はともなうけれど、傍観者よりも実際に行動していくほうがおもしろいなとやっと分かりつつある。いくつになっても日々修行のようで、知らないことがいっぱいあることに気付かされる。

(my)

Friday 16 June 2017

Melodia


「ゆうきの体温」の時YTAMOさんが持って来てくれた愛聴盤の中に、ALEJANDRO FRANOV "Melodia"があった。
アレハンドロの音楽は大好きなのだが、 "Melodia"は聴いたことがなかった。気になったのでライブ開演直前にBGMでかけてみると、不思議な響きのピアノ音が会場に広がった。波紋のようだった。一聴してこれはすごい作品であることが分かった。
翌日すぐにCDをネットで探すが、見つからない。と思ったら、ジャケット違いで再発されていて、ホッとした。
今日CDが届いてからずっと聴いている。ピアノの残響音がとても気持ち良い。ブエノスアイレスのスウェーデン教会で曲ごとにマイクの位置を変えて録音されたらしい。”malmsjö”というスウェーデン製グランドピアノの響き。

「充分に傾聴された音は、彫刻に変化しつつ、一つの空間を規定していく」

ライナーノーツに載せられたジョン・ケージの言葉を噛みしめながらもう一度再生ボタンを押す。

(青柳)

Thursday 15 June 2017

シャッフルのような

関西地方でもとうに梅雨入りをしたはずなのに、今週は毎日洗濯日和だった。おふとんもふかふか、気持ちがいい。だけど、やはり季節のずれに戸惑う。近年、どうしたのだろうと思う。今日はまるで夏だった。

(夏めいた日の夕暮れに聴きたくなる音楽)
 
(my)

Wednesday 14 June 2017

ふつうのジャズ


夕暮れ時に木工作業をしながら、「COLTRANE JAZZ」を聴いた。なんだか今日の空気とピタッとはまって無性に気持ち良く響いている。
そういえば、大学生のとき初めて買ったコルトレーンがこのCDだった。フリージャズに傾倒していたころだったので、最初「ふつうのジャズだな。」と思ってしまった。でもその後に買ったスピリチュアル期のコルトレーンより実は愛聴していた。
今日聴くコルトレーンのサックスの音は優しさに満ちている。感情豊かなサックスの音に胸がしめつけられるようだ。
普通の物の方が味わい深いと知ったのはMONOのおかげだ。今好きなジャズのレコードは、「KIND OF BLUE」などの定番ものが多い。繊細な音色の違いや演奏の息づかいが分かるようになったからだと思う。

(青柳)

Tuesday 13 June 2017

慣れはおそろしい

携帯電話をガラパゴスといわれるものに変更したはなしを以前書いたが(参照;ガラパゴス)、その後もiphoneをwi-fiでつないでタブレット風に使用しネットをみていた。

中毒性があるので、ちょっとすきあらばゴシップ記事などをみたりかなり時間を費やしてしまっていたので、これはあかんなと思い、身近に置かないであまり手の届かない場所にしまうようにした。

この前どうしてもiphoneで見たい記事があり久しぶりに取り出してみてみたら、文字がすごく小さい!前はそんなふうに思わなかったのに。ちいさい画面でちいさい文字をみることに対して、慣れていたから何時間もみることができたのだ。そら、目が充血してきてたわ。

ほかにも慣れているだけで、ほんとうは自分にとって負担を感じていることってあるのかもしれない。一回やめてみたら、それが明確になる。

(my)

Monday 12 June 2017

ゆうきがやって来た。

6月10日、時の記念日、HORA(時間)の日。
ゆうきがhoraanaにやって来た。

「あたえられたもの」に収められたゆうきの音楽は深く多面的で、聴くたびに少し以前と違った印象を受ける。
それほどまでに緻密な音作りがされているゆうきの音楽を僕が音響処理出来るのものか正直とても心配だった。

リハーサルでゆうきの生演奏がスピーカーMONOから鳴ったとき、音の鮮度に驚いた。透明感があってみずみずしく、音の粒が自由に飛び回っている。
とれたての野菜のようだ。
何も手を加えなくても十分だろうし、どう転んでも美味しくなる。そう思って気が楽になった。

リハーサルでゆうきの生音を聴けば聴くほど、今日はゆうきの音をなるべくそのままみんなに体験して欲しいと思った。
結局ミキサーのイコライザーは、ほぼすべてのチャンネルはフラットのままだったし、念のため用意していたエフェクターも使用しなかった。

本番でのゆうきの演奏は、まさにライブミュージック。生き生きとした音の運動だった。
決してCDでは体験できないもの。このときここだけの音。

開け放した戸から風の音が混じり合う。
horaana全体がゆうきの音を感じ、呼吸しているように思えた。
ゆうきの体温は、肌にふれた今日の風みたいだった。

(青柳)



Sunday 11 June 2017

夢の余韻

ふだんのショールームに戻ったhoraanaできのうのことを思い出している。

夢だったのかもしれないと思ってしまう程すてきな、夢のようなイベントだった。

昼下がりの特別に贅沢な午後。ゆうきの音がhoraanaに響いていて感慨深かった。そとの木々と風が奏でる音と混じりながら自然とともにあることを感じた。

たっぷりとゆうきの体温を堪能した一日。ゆったりとおふたりが持参してくださったレコードを聴いたりお喋りしたり、the firstのみためも味もすてきすぎるお菓子をいただいたり。気が付いたら夜になっていた。興奮していつもより夜更かしをした。

(my)

Friday 9 June 2017

音の体温

スピーカーMONOで音楽を聴くようになってから、「音の体温」を意識的に感じるようになった。
温かい音、冷たい音、なまぬるい音・・・温度はさまざま。
感じる温度の正体は一体なんだろうか。
声質・楽器の音色・ハーモニーやメロディーなど色々な音楽的な要素もあるのだろうが、一番大きいのは結局「作り手のこころの温度」だと思うようになった。

ゆうきの「あたえられたもの」をはじめて聴いた時に感じた音の体温がまれにみるものだった。horaanaでのワンマンライブを企画した時、タイトルは『ゆうきの体温』、「あたえられたもの」に対しての想いも告知に際して書いた。それくらい印象的な体験だった。

いよいよ明日『ゆうきの体温』が開催される。スピーカーMONOから伝わるゆうきの生演奏。生まれたての音はどんな体温なのだろう。

(青柳)

Thursday 8 June 2017

どきどきとわくわく

ゆうきのおふたりの奏でる音を聴いていると、大事にしなくちゃいけないことを思いだせる気がする。言葉で表現することがむずかしい感情。日々の喜び。

CDでの録音物はもちろんのことライブもすばらしい。いつ体験しても、じんと伝わってくるなにかがある。さりげなくかろやかだが、深いあの感じ。音楽っていいなーとしみじみ思える。ホラオーディオの活動で伝えたいことと近いのではないかと、勝手におもっている。テレパシーのように。

ぜひ拠点であるショールームhoraanaでライブをとお願いしたら、快諾してくださった。
彦根の田園地帯にあるのでなかなか遠いとは思うけれど、そのぶん他では体験できない「ゆうきの体温」を感じることができる内容をと企画している。

たとえばというと・・・
・ゆうきの音楽をたっぷり楽しめるワンマンライブ。
・ホラオーディオのスピーカーをつかって音響をすること。
・ゆうきのおふたりが選んでくださったレコードを聴いたり雑談をする。リラックスしてのんびりと。→個人的かもしれないけど、ミーハーなので好きなミュージシャンはどんな音楽が好きなのかどういったことに影響を受けてきたのかを知りたい!と思うのだ。知人のおうちのホームパーティにきている感じをイメージ。滋賀の材料をつかったthe firstのおいしいお菓子をつまみながら。
・こちらにくる間の車窓からの風景や琵琶湖、そして今の季節ならではの麦畑がうつくしい。
といったことだろうか。

あさってのことを思うと、楽しみでどきどきわくわくしている。

(ご予約絶賛受付中。詳細はこちらから。)
 
(my)

Wednesday 7 June 2017

RAINY DAY

ひさしぶりの雨。
ここ最近カラッとした気持ち良い天気が続いていた。鳥たちは楽しくて仕方がないらしく、歌いながらクルクル回って飛んでいた。反対に植物は少し喉が渇いたような表情をしているように思えた。今日雨をふんだんに浴びた植物はツヤツヤした満足そうな顔をしている。
都市部に住んでいたときは、雨が降って嬉しい気持ちになることはほとんどなかったが、土が身近な場所に住むことになって、雨が恵みであることが自然と体感できた。不思議と雨音が以前とは違った響きに聞こえるようになった。

(青柳)

Tuesday 6 June 2017

待てないから待つへ

じっくり待つということについて。わたしはせっかちで、早口。たこ焼きパーティをしても待ちきれず、”あま焼きのmy”という異名も昔あったくらい。

ここに越してきて日々自然に触れるにつれ、じっくりのんびりゆっくりもいいことだなぁと思うようになった。ちゃっちゃと動くと、どこか気持ちも焦ってくる。こころもちゆったり動くと、鷹揚にかまえられる気がする。・・・とはいっても、じぶんではゆったりしているつもりでもはたからみていたらまだ急いでいるかんじなんだろうなー。ま、それこそのんびり冷静にじっくり待つことができるようになっていこうと思う。

(my)

Monday 5 June 2017

フィールド・デイ

ロンドンの野外フェス「Field Fay」でのAphex Twinのライブがストリーミング中継されると聞いて早起きした。
日本時間午前4時55分スタート。普通だったら断念するような時間だが、今日は町内会の草刈りが6時からあるので、どちらにせよ早く起きないといけないのだし、ということでがんばって4時半に起床した。

コーヒーを入れ、iPadをオーディオに繋いで準備万端。ほぼ定刻に放送はスタートした。リチャードが機材をいじって発信機のような音を出している。ライブがいつ始まってもおかしくない気配に包まれているが、いっこうに始まらない。というか始まっているのかもしれない。とにかく全く展開がないまま30分ほど経った。そろそろ草刈りの準備を始めないと、というタイミングでシンセの音が鳴り、ビートが聞こえ始めた。でもまだ盛り上がるような曲ではない。地味なスタートだ。しかし時間が経つ程にグルーブ感が徐々に高まってきている。ついに観客が歓声を上げるようなダンサブルなビートになった時、ちょうど家を出発しないといけない時間になった。

youtubeで音が悪いし別にいいじゃないか、と自分に言い聞かせて、草刈り作業に没頭しようとした。でも、頭はロンドンに飛んでいた。草刈機の軽いエンジン音は気休めのビートにはなるが、さすがに踊れない。Field Dayを想いながら町内のフィールド草刈りDayも運命と思うことにした。

作業を終えて家に帰ると中継はやはり終了。でも、録画映像が見れるようになっていた!嬉しくなって続きを観た。youtubeの音は迫力にはかけるけど、ライブの高揚感が伝わって来てゾクゾクする瞬間があった。ずいぶん昔に大阪のベイサイドジェニーで観たAphex Twinは、マイベストライブのひとつだ。あの時、生き物のような音にすっぽり包まれた感覚は忘れられない。今年はFUJI ROCKにAphex Twinが来るらしい。こういう時はいつも、どこでもドアが欲しくなってしまう。

(青柳)

Saturday 3 June 2017

今の気分で選ぶ


ここ何日かEnnio Morriconeの60年代後半から70年代前半の映画音楽を集めたCDを聴いている。すごく今の気分!

それにしても、このジャケットデザインはかなり90年代を感じる。その頃、聴いたときはそこまでこういった音楽に対してピンとこなかったけれど・・・。(当時はフランスかぶれ。)今はイタリアかぶれになりそう。昔と今、印象がかわるものもあるので固定概念なしに試してみるのは大事だなと思う。

(my)

Friday 2 June 2017

雷雨のリセット


最近あまりに暑かったので、1ヶ月くらい早く時間が過ぎ去ったような錯覚をおこしていた。頭では5月末だと分かっているのに、体が「もう夏本番だよ。水分取ったほうがいいよ。」って言ってた。
頭と体がズレているような変な感覚。
昨晩の激しい雷雨のせいか、今日はうってかわって気持ち良いカラッとした天気だった。
雷雨が季節と僕をリセットしてくれた。自然の摂理にはいつも驚かされる。

(青柳)

Thursday 1 June 2017

おらが村

最近おどろきのニュースがあった。とあるスナック菓子について。ぎりぎり販売地区だったのだけれど・・・。みかけたらなんとなくうれしかった江ノ電のラッピング電車はどうなるのだろうとか考えてしまった。

検索したら「おらが村」のサイトまであるのを発見。お話とか読みふけった。結構おもしろい。(おらが村のキャラクターを描いていらっしゃるイラストレーターの方のお仕事ではサントリーCANビールのペンギンとチェッカーズ「ガチョウの物語」が大好き。)

普段あまりスナック菓子は食べないのだけれど、自分が小学生のときに売っていたお菓子はなんとなくたまに食べたくなる。また、80年代のCMをみることが趣味でそこで宣伝とかみているので、まだあるとおもった製品がとっくの昔につくられていないことを知り愕然とすることがある。

定番好きからしたら、当たり前のようにある(買える)と思っているものがそうではなかったときのショックは大きい。欲しいとおもったときに、手に入れるほうがよいようだ。

(my)