Monday 21 August 2017

It's the only 軽自動車

ここ最近車から変な音が出るようになった。低速で走っているとシュルシュルと何か金属が擦れたような音が車輪のあたりから聞こえてくる。クーラーが壊れているので夏は窓全開。音も当然よく聞こえる。

今日ようやく車を修理に出した。代車で借りたのは、最近の軽自動車。よく道で見かける車に思えたが、車名は今日運転するまで全く知らなかった。新しい車はよく似たデザインが本当に多い。

鍵を受け取ってまず驚いた。「鍵」ではなく「スイッチ」だった。実際はスイッチを押す必要も無く、車に近づくと自動的に鍵が開き、離れると締まる。エンジンのオンオフはさすがに手で回すが、鍵は差し込まず車内に置いているだけで認識してくれる。

僕の愛車は25年以上前の軽バン。当時の最高級モデルで、電動サンルーフの屋根にエンジンはターボ仕様、窓も電動で開閉するし、クーラーも本当ならば作動する。550cc時代のかなり古めかしい軽バンを3台乗り継いだ後に購入したので、最初は全ての便利な機能に驚いた。

クーラーのよく効いた代車を運転しながら、軽自動車もずいぶんと変わったもんだなと思った。僕の愛車の生まれた時代から四半世紀程経って、同じ「軽自動車」というジャンルに入れていいのかなと思ってしまう程の変化だ。

この変貌ぶりは「車に何を求めるのか」という部分がすっかり変わってしまったからなのだろう。今の軽自動車は、普通車の快適さをお手本に開発を進めて来た結果のように思える。便利や快適さの部分では文句のつけようがないが、何かが欠けているように感じた。

それは僕が思う「運転することの楽しさ」の本質からどんどん離れていっているように感じるからかもしれない。僕にとって車は、つきつめると「自分の意志でどこにでも行ける」という、「自由」をあたえてくれる道具という意味で特別な存在。速さ・大きさ・快適さを追求した車より、自分の意志や身体に直結したような車が理想だ。そういう意味ではマニュアル車のほうが好ましいし、車体はなるべく小さいほうが小廻りが効いてよい。軽自動車は、僕にとっては「それだからこそ」の魅力がたくさん存在する。

現代の車は快適すぎて運転しているのか、させられているのかよくわかなくなってしまう。彦根城の近くを代車で通過したとき、不意にカーナビが観光地案内をアナウンスし始めて怖くなってしまった。そのうちに住所を入力したら車が自動で運転してくれるようになるんだろうな。

(青柳)