Saturday 30 June 2018

タイムマシンにお願い

最近、とあることについて調査している。それで強く感じたこと。記録は大事だということ。

生活習慣やなんでもそうだと思うけれど、月日が経つとそれらについて知っている人がいなくなったら、けむりのように夢の中のように分からなくなってしまう。いとも簡単に。

ただ記録が残っていたら、軌跡をたどることもできるし、類推もできる。

ライブだったりそのとき経験することの良さもあるけれど、記録媒体のおかげで救われている。

レコードも本も、現在にいるいない会える会えないに限らず、ものという形で手にすれば、タイムマシンのように記録に触れることができる。

タイムレスなもの、時間を超えていること、そういったものにずっと興味を持っている。

(my)

Friday 29 June 2018

いつもあとから


茅ヶ崎のカフェBRANDINで今月開催された試聴会「HORA MEISTER'S VOICE」は、犬ジャケ展の関連企画だった。イベント後半はみんなで犬ジャケのレコードを持ち寄って聴く会「みんなのモノノネ」。僕も参加するために、片っ端からレコード棚を漁って犬のレコードを探したのだが、意外と見つからなかった。

人と犬が使われているものは数枚あったのだが、「犬ジャケ」というからには、犬だけが堂々とジャケットで、なおかつ音楽も好き、というレコードを選びたいという欲にかられた。結局イベントでは、イラストで描かれた犬と月が載ったMOONDOGの「Snaketime Series」から選曲した。でも、ムーンとドッグなはずなのに、イラストの犬が狼にしか見えないところが、どこかイマイチ感を心に残す結果に…

BRANDINでの展示を観ても犬オンリーの犬ジャケはほとんどなかった。猫ジャケは本が出てるくらいだから沢山あるんだろうけど、犬ジャケは絶対数が少ないんだろうなぁ。

先日レコード棚を見ていると不意に犬の顔が飛び込んできた。それもかなりのインパクト。加藤和彦『スーパー・ガス』だ。全くの盲点だった。久しぶりに聴いてみると内容もとても素晴らしい。イベント前に発見されなかったことが残念。でも、そんなもんだよな…

思っていたことは、いつもかたちを変えて後からやって来る。自分の想像とは違ったものとして、目の前にスッと現れるから面白い。そんな経験が多々あるので、物事が上手くいかないときも、その時を心待ちにしてのんびりと構える癖がついた。今回の話では少し大げさだけど。

それにしても、面白い音楽だ。特に『せっかちと』のパンク・スピリットに痺れる。これはまさしく、NEU!。つのだ☆ひろがハンマービートを叩いている。wikiによるとジャケのスーパーマンは、加藤和彦の知人が飼っていた「ガス」という名の犬。そう思えば、このアルバムのフワフワした謎めき具合は、ガスのよう。過度な吸引には気をつけよう。

(青柳)

Tuesday 26 June 2018

涼のとり方

 
 
もうすぐ7月とはいえ連日夏日が続く。洗濯ものをするには良いけれど、今は梅雨なのか夏なのか分からず、からだもこころも戸惑っている。動植物はどう思っているのだろうかと、ふと思う。暑さに強いわたしでもさすがにばてそうになる。そんなときの涼のとり方のひとつ。
 
昔、高松を訪れたとき街の物産館でちょうど丸亀団扇の展示を行っていた。そこで、購入したもの。竹の持ち手はかなりしっかりとしているし、柄もなかなかモダンで良い。
 
夕暮れ時に、うちわでゆっくりと扇いでみる。ふと空をみやると気分だけでも涼しげになってくるような気がする。即効性はないかもしれないけれど、こういったおだやかな涼のとり方もいい。
 
(my)

Sunday 24 June 2018

音楽の住む街

音楽との出会いは、人との出会いとよく似ている。
なんてったって、出会いは楽しいこと。

出会いを求めて自発的にレコード屋に行くこともあれば、ラジオでかかって思いがけず出会ってしまうこともある。
僕は記憶力に乏しいタイプなのだが、「音楽との出会い方」に関する思い出は、割と頭に残っている。
人と初めて会った瞬間って意外と覚えていませんか?特に自分にとって大切な人に関しては。

最近の音楽定額配信サービスにあまり関心がないのは、その音楽との出会い方が、僕には利便的過ぎて、味気ないから。ネットでCDを検索したら「これを買った人はこれも買っています」と教えてくれるのにも、どこかお節介さを感じてしまう。
それもこれも「音楽」を「人」のように思っているからだろう。

そう考えると自分のレコード棚が、僕の人生で出会った人々が住む「街」のように見えてきた。
僕にとって理想の街は、人種も性格も様々で、活気のある場所。
そんな街に住んだら毎日飽きることがない。

新しく街にやって来る人がいれば、たまに去って行く人もいる。
昔に一度だけ会ったことのある人に再会して意気投合することもある。
生きるうえの指針のようなことを教えてくれた先生達がいる。

棚からあふれるほど沢山のレコードがあるけれど、日常的に聴くものはとても少ない。
それらはおそらく僕の家族のような音楽なのだろう。
いつも安心して聴ける音楽。

「出会いは縁」。
それが全て。

(青柳)

Saturday 16 June 2018

Broadcast




ここ最近、Broadcastの音楽がぐっとくる。

このバンドがでてきた頃の感想は、なんとなくステレオラブフォロワーな感じかなとあまり派手さがないように感じ、特に注目していなかった。

20年位経ち、わたしも変わったのか、控えめで地味なものを好むようになってきたからか。今、Broadcastの音楽がすごくぴたっときている。(逆に、ステレオラブは昔ほどは自分とフィットしていないように思える。もちろん十分すてきな音楽ですが。)

積み重ねで、いろいろ音楽を聴いたりして、わたしの見方も多面体になってきたのかな。こういうのが年を重ねる楽しさかしら。

本も音楽も、印象がかわったり分かったと思う瞬間があって、それを感じると今までと見方も感じ方も違っておもえる。そんなことが醍醐味だとおもう今日この頃。

まだまだたくさん発見があるのが楽しい。

 (my)

Thursday 7 June 2018

古今東海道

BRANDINでのイベントに参加するために、先日滋賀から湘南まで車で移動した。いつもはすぐに高速道路に入るのだが、ナビに途中まで下道でも時間が変わらないと案内されたので、山越えルートを使ってみた。

昼食のおむすびを片手にのどかな景色を見ながら山道を走っていると、「近江商人感」が高まって来た。徒歩で野山を越え、遠い江戸まで移動していた昔の商人たちの姿が脳裏に浮かんだ。カーステレオで音楽を聞き、ナビで移動している現代人は随分とお気軽なもんだと思った。

山を越え、聞き慣れない「東員」という入口から高速道路に入った。辺りは高架工事の真っ最中。東海環状自動車道という大きな輪っか状の道が名古屋を取り巻くそうだ。久しぶりに高速で移動すると、日本のいたるところで道が拡張していることを知る。果たしてこれ以上便利になる必要性があるのだろうか?

伊勢湾岸道、新東名で御殿場まで走った。新東名の連続トンネルを通るたび、美しい山々に穴が開けられたことを痛々しく感じた。ハンドルを握っていると、かなり効率的に道づくりがなされていることに気付く。アップダウンを少なくし、最短経路で図面を引いた感じだ。それゆえに車窓からの景色は、変化が乏しい。そう思うと東名自動車道は、東海道の名残からなのだろうか、まだ元々の地形をなぞった印象があり、景色にも風情がある。

それにしても、人間の都合だけで、野山を削り、簡単に自然の地形を変えてしまっていいのだろうか?一度作ってしまったものは、もう元には戻らないのに… スピード・効率という分かりやすい判断基準だけではそろそろ無理があるような気がする。

地震で東名が通行止めになり、国道1号線で神奈川から滋賀まで移動したことがある。渋滞のせいで12時間以上かかった。音楽を聞き、ぼんやりと景色や国道沿いの店を眺めながら運転した。浜名湖近くの定食屋で昼ご飯を食べた。滋賀の山に落ちていく夕陽がいつもと少し違って見えた。

ゆっくり移動すると情緒や風情が増してくる。東海道五十三次を旅した昔の近江商人は何を考えながら歩を進めていたのだろうか。

(青柳)