Monday 26 March 2018

春の空気

今日、スーパーマーケットからの帰り道(田圃の畦道)を自転車で通っていたとき、空を見上げてまさしく春本番の季節ということに気付く。

今日は「春本番」の余韻にひたっている。気付けば、あっというまに夕方に。のんびりムードの空気がまだ体感として残っている。そしていろいろ感謝の気持ちでいっぱいになる。

(my)

Tuesday 20 March 2018

あたたかい高揚感

今年の冬はとても寒かった分だけ、春がやって来るのがいつもに増してとても嬉しい。
先週はにわかに5月の気候になったりしたが、今週は冬に舞い戻り。このまま先走って、いっきに夏になってしまったらどうしようと心配するほどではなかった。
近づいたと思ったら遠のいたりするのが春の到来。そう簡単にやって来てしまうのもありがたみがない。じらされて、またじらされた末に、春を実感したい。今週末のhoraana「春本番」がまさしくその時になったらとワクワクしている。
このあたたかい高揚感。
日本人が春を新年度とした気持ちがよく分かる。

(青柳)

Saturday 17 March 2018

日日雑記#4

土曜日はできるかぎり近所のスーパーマーケットに出掛ける。とれとれ市という名で魚の新鮮なものが手に入るからだ。(ちょっとした楽しみのひとつ。)今日もそのスーパーに向い、駐車場にさしかかるところで、ラジオから斉藤由貴「卒業」が流れ始めた。おもわず駐車場に停めて、聞き入る。(去年の今ぐらいの季節、この曲にまつわるブログを書いた。>卒業

最近、片山廣子「燈火節」という本を知る。久しぶりどきどきする本。(わたしにとっての森茉莉、須賀敦子クラス。)真夜中前、しんとした静かな空気のなか、ゆっくりとすこしずつ読むのがときめく。片山廣子のことが知りたくて、娘についての評伝まで読んでしまう。熱に浮かされたような春の出会い。

パンケーキではなくホットケーキが食べたくて、おやつにつくった。両者の違いはいまいち分からないけれど、個人的にはホットケーキの方がぐっとくるのはなぜか。

ちなみに今日のお昼はナポリタン。本格的イタリア料理になりすぎないよう、なるべく喫茶メニューっぽくつくってみた。(例えば、にんにくは入れないとかウスターソースやケチャップを入れるとか。食べるときに緑のケースに入った粉チーズやタバスコをたっぷりかけるとか。)

春本番、季節はめぐる。

(my)

Tuesday 13 March 2018

ホラー対決 at horaana



たまたま最近、武満徹の映画音楽『四谷怪談』とデヴィッド・リンチ『イレイザーヘッド』を数日置いて聴く機会があった。同じホラー映画のサントラでも全然音から受ける印象が異なっていてたいへん興味深かった。

共通しているのは、生活音の中にスッと入ってくる奇妙な音を効果的に使っているところ。背後から音がしたような気がして、振り返ってしまうような。これはステレオを超えた3D音響の世界ともいえる。それがさらに、ある音が4D的に感じられた瞬間、人は恐怖を感じるのかもしれない。(『四谷怪談』はモノラル録音なのが驚き)

今スピーカーに向かって、2つのサントラを聴き比べているとぜんぜん怖くない。先日は作業をしながら背中越しに離れた場所で聞いていたら、「音だけでこんなに恐ろしいとはスゴイ!」って興奮するほどだったのに。ともに素晴らしい作品だから、リスニングに集中するとどうしても音楽的に感じられてしまうのだろう。

個人的には、『イレイザーヘッド』の方がコワイ。ずっと聴いていたら精神が壊れてしまいそうだ。僕の日常音からあまりにも異質過ぎる。ピーター・アイヴァースの歌う "IN HEAVEN" は美しいが、現実から浮遊していて、白昼夢を見ているようだ。初の長編映画でこんな音響を作り出すなんて、リンチの非凡さに脱帽。

うってかわって『四谷怪談』の音は、日本の音世界。尺八の音で幽霊が登場することにホッとする日本人の僕がここにいる。西洋楽器も多用(プレイペアード・ピアノも!)されていてそのミックス具合が絶妙。音楽的にも音響的にも楽しめる。

建物の外に漏れる『四谷怪談』の音が、horaanaにハマり過ぎて怖かったと部屋に入ってきた妻が言っていた。音を怖いと感じるとき、そのシチュエーションがキーになるのだろう。そもそもふたつとも映画のサントラなのだから、映像と合わせて聴いてみてからどちらが本当にコワイか判断することにしよう。

(青柳)

Monday 12 March 2018

園芸家12ヶ月

庭仕事なんて、興味がなかった。というか、できないと思っていた。

実家のベランダは遠くからみて分かるくらいに緑がいっぱい。(わたしは一切タッチせず。たまに頼まれて水をあげるくらい。)また植物園に行ったり、緑あふれる公園を散歩したり。お花を眺めたり。そんなことは好きだった。

土いじりとなると、苦手な虫やなめはいるし、こまめに手入れしなくていけないし向いてないなと思っていた。得意な人がやったらいいやん、わたしは眺めるだけ、それでいいのだという心境だった。

ところが、ここに越してからどんどんそういったこと(庭仕事、畑仕事)に興味がでてきた。気付けば、園芸の情報をチェックしている自分がいる。溝掃除をして、狸が出てきて以来(経緯は狸御殿をご覧ください)、勢いづいて夢想していた状態から、やっと現実的に庭仕事にとりかかっている。

ここには玄関あたり一面に、草が伸びるのを防ぐために、人工的な白い石が敷き詰められていた。ある意見により、これを取り除いたらいいのではということとなり毎日少しずつ取り除いている。それだけで、庭の印象はぐっと良くなってきたのだ。目指すところは、伝統的な日本家屋にある苔の玄関。憧れ、夢見る。

園芸としては、古典園芸種に興味がある。江戸時代の花を描いた画集を図書館で借りたことがあって、美しかったから。そして、野草や薬草、植樹。初心者なりに、盛り上がっている。

むかしはほしいものといえば装身具が多かったのだけれど、苗木とかがほしいなんて・・・。変わるものだなぁ。

10代のころ、カレルチャペック「園芸家12ヶ月」という本を読んだ。ぜんぜん理解できなかったけれど、今読んだら面白いのかもしれない。本棚を探してみよう。

追記:宣伝なのですが、horaana journalが再開しました。この記事にすこし関係している話題について載っています。よろしければご覧いただければ嬉しいです。

(my)



Wednesday 7 March 2018

遠いむかしがここに

近所にありながらなかなか行けずにいた太郎坊宮に先日ついにお参りすることができた。車で近くを通るたびにそびえ立つ山のただならぬ存在感に圧倒されていた。神聖な場所ゆえ、自分の気持ちが熟成するまで訪れるのを待っておこうと思っていた。それがある日、近所に用事があったこともあり、なんとなく行ってみようかな、と軽い気持ちで思うことができた。

実際に訪れてみると想像以上に迫力のある岩山。岩が生き物のようだった。大きな岩だけでなく、転がっている小石も呼吸しているような印象を受けた。天狗の太郎坊さんが守っている夫婦岩のすき間を通り抜けた時は、時空が変化するような不思議な感覚に。岩の間から空を見上げたときのふたつの岩が切り出した帯のようなブルーグレーの空が忘れられない。
  
神社にあった案内板によると、この岩山は約7000万年前に起こった湖東カルデラの噴火によってできたという。地図をみると、琵琶湖の3分の2くらいの大きさの噴火口。現在の琵琶湖を取り巻く山々はその時の名残のようだ。恐竜がいたような時代に起こったとんでもない規模の大爆発。これくらいの大きさの噴火が起きると地球規模で気候に影響があったらしい。

horaanaもその噴火口の中にあった。想像を絶する遠い昔の出来事だけど、日頃庭いじりで土や石を触っていると、今の僕もその噴火エネルギーの恩恵で生きているのが実感できる。むかしがここにある感覚。これから土堀り作業が考古学者気どりになってしまいそうだ。

(青柳)

Thursday 1 March 2018

狸御殿

ずっと気になっていた敷地横にある溝掃除。かなり範囲が広く、やらなくてはなぁ・・・と思いつつ、雑事に追われ後回しになっていた。

ここhoraanaのある敷地は、石垣で高くしたところに築かれている。敷地から階段で降りるようになっており、それはカワトという名の場所であるそうだ。今U字溝になっている場所は、昔は小川が流れていて小鮎がいっぱい泳いでいたと聞く。今は、そこはただコンクリートで固められた溝となっている。

先週、今やらなくては!というおもいに駆られ、溝掃除に着手した。やはり思っていたより大変で1日では終わらなかった。雪かきに似ているが、腕に残る感触が違う。

溝の奥は藪になっている。(引っ越してきてから一度も踏み入れたことがなかった場所。)そのあたりが一番泥が溜まっていた。藪を手入れし、その前になにか茶色い細長いものが立って埋まっているのが見えた。

なんだろう??それは古い信楽焼の狸だった!今のものと違って、表情を可愛くしていない。(リアルな感じ。)洗って、玄関側に置いた。(horaanaにいらしたら、います。)

作業を終えて、体は疲れたけれどどこか心がすっきりした気がする。狸に呼ばれていたのだろうか。不思議なこともあるもんだ。

(my)