日に日に暖かくなってきた。
花は咲き始め、ついに春がやって来たと言って良いのかもしれない。
でもまだストーブは欠かせないし、まだ自分の中で100%春という実感がない。
毎年何をきっかけに春をみとめているのか思い出してみる。
桜が咲いた時はもうすっかり春という感じだし、コートを着なくなる時だとしたら、かなり記憶が曖昧だ。
何となく春を感じ始めて気がついたら春の中に自分がいるというのが慣例になっている。
そういえば、明日は春分の日だ。とても分かりやすい基準点。
何事においても、曖昧なことにポイントを設けるのも悪くないかもしれない。
「明日、春がやってくる。」と想像してみる。
分かりやすい嬉しさも感じられるが、あまりに明瞭過ぎて、春霞も吹き飛んでしまいそうで逆に落ち着かない。
僕みたいな性格の人間には基準点はやっぱり必要ないのかもしれない。
(青柳)