Friday 31 March 2017

オープンリールマジック


SHELLAC "1000 HURTS"のロックが気持ちいいのはどうしてだろう?
硬派なサウンドだが、うるささは全く感じない。
小音量でも腹にぐっとくる勢いのある音。
アルビニマジックか?

ジャケットがオープンリールの箱を模しているし、TAPE OPERATORSのクレジットが入っているからオープンリールの録音なのは間違いない。
オープンリールマジックも効いているのだろう。
一度マスター音源のオープンリールでこの作品を体験してみたい。

(青柳)

Thursday 30 March 2017

日本語が好き

外国語習得にいまいち情熱がわかない理由のひとつは日本語が好きだからか。まずきれいな日本語を話せるようになりたい。(なかなか奥が深くて難しい・・・。言葉の選び方にはセンスがいる。)ずっと興味しんしん。古文の問題集で艶かしく美しい物語を知り、一気に古典文学の世界にはまっていた時期もある。(説話集が好み。摩訶不思議だから。)好きな文章に出会うと心ときめき尊敬のまなざし。

ま、わたし自身の好みは日本語だけれど、言葉というものについてとても興味がある。不思議だわー、いつでも。テレパシーが使えたら簡単なのに。このもどかしさがいいのかも。

(my)

Wednesday 29 March 2017

朝の響き


朝の音が好きだ。
新しい一日の始まりを祝うように鳥たちが歌い出す。
生まれたての一日の響きは特別だ。

スピーカーMONOを開発しているとき、この朝の音に大きな影響を受けた。
生き生きと軽やかに動き回る音。
一日の音の生まれる瞬間を聴きたいがあまり、午前4時に起きたりしていた。

神奈川県藤沢市の比較的静かな住宅街に当時住んでいたが、平日と休日の違いは朝の音で分かるくらい、様々な人間が作り出す音が常に耳にまとわりついていた。
スピーカーを作り始めてから、もっと静かなところに住みたいと思うようになった。

気がついたら本当に静かな環境でスピーカーを作っていた。
このあたりでは、平日と休日の音の違いがほとんどない。
静かな朝が当たり前になって、鳥たちの歌声をベッドの中で楽しむことも多くなってしまった。

(青柳)

Tuesday 28 March 2017

道具とは

このまえSNS活用講座というものに参加した。こういう仕事をしていると、知ってもらうためには必要なのかなとおもい勉強してみようという気になった。知らないことやなるほどなと思うことも多くとても参考になったのだけれど・・・やはり向き不向きがあると思う。

はじめてパソコンを買ったのはmacのパフォーマシリーズ。確か1995年のことだった。パソコン通信とインターネット初期の時代。まだダイヤルアップ通信だったので、深夜に電話代金が割安になる時間にネットにふけっていた。(すぐに眠たくなって早寝してしまう今となっては信じられない・・・。)ホームページをつくるのにもタグ打ちで、小学生のとき簡単なゲームプログラムでテニスゲームをつくって興奮した記憶がよみがえり、はまっていた。しばらくは最新の技術の進歩に夢中になっていたのだけれど、知らない間に飽きてしまっていたのかも。

21世紀になってこんなにデジタルな世の中になるなんて驚きだ。あまのじゃくなせいか、どんどんアナログ化していくわたし。SNSの便利さは重々分かってはいても、やはりわたしには向いていない。むかしは向いていないことでも無理してやらなくてはと思っていたけれど、今はそうは思わない。(大人の醍醐味のひとつ。生じる責任を取らなくてはいけないけれど。)

さっと流れるたくさんの情報より、個性をもってリアルに迫ってくる物語性がある情報がすきなのだ。例えば、ふと訪れた喫茶店に貼ってあるポスターから知る音楽会の知らせとか。あと勝手に必要な情報は絶妙なタイミングで舞い込んでくると思いこんでいる。それが多すぎたらどれが重要なものか処理できなくなってしまう。(ま、処理能力は人によってまちまち。わたしの場合はってことです。)

どんなに便利な道具でも、向き不向きはある。当たり前のことだけれど。

(my)

Monday 27 March 2017

春の祭典


この時期になると行事のようにストラヴィンスキー『春の祭典』が聴きたくなる。

先日ラジオで初演時のエピソードを紹介していて面白かった。
難解な作品に怒り出す人多数、気がつくと後ろの観客に頭を殴られていたりしたそうだ。
タイムマシンがあれば、1913年パリ、シャンゼリゼ劇場の初演公演を体験してみたいものだ。
ニジンスキー振り付けによるバレエ・リュスのダンスと衣装を観ながら聴く、未知なる『春の祭典』。
会場の熱気とざわめき。想像しただけでゾクゾクする。

大好きなアリス・コルトレーンのアルバム『ETERNITY』に『春の祭典』のカバーが収録されている。
ジャジーかつエキゾチックな編曲で、ジャケットの着物を来たアリスを見ながら聴いていると、不思議と和の印象さえ受ける。

100年経っても全く古びることない音楽。
大衆に媚びることなく表現されたからこそ、これほどの強度をもつのだろう。

(青柳)

Sunday 26 March 2017

音の粒 音の良さ

印象のずれ。

おうちにあったブラー13というアルバムを聴いた。20世紀の終わりにリリースされているらしい。聴いた記憶はほとんど残っていない。(あまり印象に残らなかったのかそもそも聴いていなかったのかそのことすら分からない。)スピーカーMONOで聴いたら、驚いた。音が粒粒していた。なかなかいいアルバムなのだ。その後、カーステレオで聴いたらやはり印象に残らない。こうも違う感想を抱くことにも不思議さを感じた。

MONOで聴いて音の良さに驚いたのは、レディオヘッドのキッドA。これも音が粒粒してぷりっと新鮮さを感じる。この体験をしてから、サウンドエンジニアやマスタリングが気になるようになってきた。(それまではまったく気にもしていなかったが、この体験以降、音響技術が気になるようになってきた。今まであまり見もしなかったクレジットをみるようになった。)リリースされた当時はあまり英国ロックを聴いていなかったので、ロンドンの街中に貼られたポスターを思い出しライブに行かなかったことを悔やまれた。

(my)

Saturday 25 March 2017

生き様の音


eastern youth吉野さんのソロライブが藤居本家の酒蔵で行われた。
吉野さんは、かつて僕が関わっていたAKICHI RECORDSのコンピレーションアルバムに参加してくださった。
かれこれ10年近く前の話しだ。まさか近所でライブが観れるなんて。
吉野さんの発する音にしびれた。吉野さんの生き様がそのまま音となって飛んできた。
酒蔵の空間にこだまするディストーションギターの音に「ちまちま生きんなよ。」って言われたような気がした。

(青柳)

Friday 24 March 2017

音の余韻

春の夜、会話の余韻にひたりながらゼルキンさんの弾く武満徹ピアノ作品集を聴いている。

重要なこと/好奇心/謎/問いかけといったようなものが頭の中をめぐっている。予定調和より今まで知らなかったことに心ときめく。いろんなものは繋がっているなと思う。

(my)

Thursday 23 March 2017

CLUBBING IN SMALL SOUND


クラブミュージックが無性に聴きたくなる夜がある。
本当はクラブに行って体で音を浴びるように感じたいけど、近所にはクラブがないし、年齢のせいかオールナイトイベントにわざわざ脚を運ぶのが億劫になっている。
そんな夜はスピーカーMONOでクラブミュージックをアナログ盤で再生する。
夜なのでそんなに音量は出せないけど、意外とクラブ感があって気持ちがいい。
低音に「コシ」があるからかな。
小音量でも踊り出したくなる。
ヘッドフォンで大音量で聴くよりもダンサブル。
音を体で聴くにはスピーカーでないと。

(青柳)

Wednesday 22 March 2017

気分転換

あたりまえだが気分には波がある。特に春に不安定になりやすい気がする。(わたしだけかしら。)どことなく、理由が特にわからず気分がすっとしないとき。なんだかどこかにおりが溜まっているみたい。

そんなとき、おもしろい本を読むと、気持ちがさっと変化する。おいしいチョコレートを食べた後のように。そんな体験をした昨晩。読んだ本は、松田青子「おばちゃんたちのいるところ」。

また部屋の模様替えもいい。フレッシュ気分になるため、壁のペンキ塗りも実行。

まだ少しもやもやは春霞のようにどこかに残っているけれど、この気分もせっかくだし楽しんでみようと思う。

(my)

Tuesday 21 March 2017

ライブならでは

春分の日の昼下がりsleepland solo liveがBASE FOR RESTで行われた。
スピーカーMONO8台を楕円形に配置した。

繊細な音のつぶが立体的に空間に生み出され、それが渦となって生き物のように空間の中を動き回っていた。
音がやさしく包み込み、窓越しに見える森の中に浮かんで聴いているようだった。あるいは演奏中のアコースティックギターのボディに入り込んで聴いているような気もした。

演奏が終了したとき、気がつくとアナログレコードの針音が空間に残っていた。
ライブなのに録音物だった、というシュールなエンディング。
いっそう、ライブでしかありえない音楽体験をしたと思った。

(青柳)


Monday 20 March 2017

いつもと違う

いつもと違う行動をしてみると発見がある気がする。

例えば、図書館や本屋では同じ棚ばかりいってしまう。料理本やら文芸書やら。それをビジネス本コーナーにも立ち寄ってみる。そしたら、普段は手にとらないもので、今の自分にぴったりな本を見つけることができる。または、惰性のように同じような服屋にいってしまう。それを入ったことのないお店に直感で入ってみる。意外と今の自分にぴったりな服がみつかるかもしれない。そういったこと。

ニュートラルでいれたらなと思う。音楽にしても体験にしてもそう。固定観念や情報じゃないところで判断できるようになりたい。

(my)

Sunday 19 March 2017

春の基準点

日に日に暖かくなってきた。
花は咲き始め、ついに春がやって来たと言って良いのかもしれない。
でもまだストーブは欠かせないし、まだ自分の中で100%春という実感がない。
毎年何をきっかけに春をみとめているのか思い出してみる。
桜が咲いた時はもうすっかり春という感じだし、コートを着なくなる時だとしたら、かなり記憶が曖昧だ。
何となく春を感じ始めて気がついたら春の中に自分がいるというのが慣例になっている。

そういえば、明日は春分の日だ。とても分かりやすい基準点。
何事においても、曖昧なことにポイントを設けるのも悪くないかもしれない。
「明日、春がやってくる。」と想像してみる。
分かりやすい嬉しさも感じられるが、あまりに明瞭過ぎて、春霞も吹き飛んでしまいそうで逆に落ち着かない。
僕みたいな性格の人間には基準点はやっぱり必要ないのかもしれない。

(青柳)

Saturday 18 March 2017

卒業2

お昼ごはんの用意をしている途中、ラジオから聖子ちゃんの「制服」が流れた。しみじみいい歌だなー。メロディと歌詞、そして80年代の聖子ちゃんの声。完璧にぴったり。当時の少女マンガを読んでいるよう。(現代が舞台では想像できない。こんな子いまもいるのかな。昔もいなかったかもしれないけれど。)ぱっと情景が浮かぶ。

80年代前半、彼女の歌が好きだった。特に歌詞。小学生だったわたしは、流れる歌をききながら歌詞を耳でコピーしてノートに書き付けていた。大人になってだれがそれを書いているか知った。

短い詩のような、数分間の中に物語の感じられる歌が好きだ。
(ちなみにいちばんすきな聖子ちゃんの歌は「小麦色のマーメイド」。)

(my)

Friday 17 March 2017

機材の体温


オウテカの前身プロジェクト、LEGOFEETのCDをスピーカーMONOで聴く。
1991年リリースの荒削りなテクノは、なんともあったかい人肌サウンド。
時代的にアナログ・デジタルごちゃ混ぜの機材を使っていると思われる。録音はカセットMTRかな。
「機材の体温」が伝わってくる感じ。

テクノの作り方のお手本が無い時代に試行錯誤しながら無邪気に自分たちのサウンドを模索している様子がそのまま記録されている。「人が作っている」という痕跡がそこらじゅうに残っているサウンドなので温かく感じるのだろう。

でも一番驚くのは、音楽の核の部分はデジタルに傾倒した現在のオウテカと変わらないところだ。
アナログ・デジタルの違いよりそれを使う人の心持ちの方が、音の体温に大きな影響があることを教えられた気がした。

(青柳)

Thursday 16 March 2017

サラウンド

ここ田園地帯での暮らし。駅までの田んぼ道を歩くときも、サラウンドのようにさまざまな種類の鳥のさえずりが聴こえる。美しくて聞きほれてしまう。

音は直線ではなく、空間を飛び回るもの。香水やお香のようなかおりと似ているのかもしれない。かおりが空間の雰囲気をかえるように、音も空間を変化させるということを知った。

サラウンド。この場所に住んで気付く自然の音の成り立ち。仕事中、事務所にてずっとスピーカーMONOで音楽をきいている。MONOで聴く音は自然の空間で聴く音に近い感覚。

(my)

Wednesday 15 March 2017

軽やかに

音楽は自由の象徴だと思う。
何かをすっと解放してくれたりする。
そんな音楽を空気中に生み出すのだから、
スピーカーもなるべく軽やかであって欲しい。
MONOはそういう思いを形にしたスピーカー。

(青柳)

Tuesday 14 March 2017

卒業

駅のホームで袴姿の若い女性をみかけた。卒業シーズンなんだなと気付く。自分自身の学生シーズンは遠い昔のはなし。と思いを馳せてみる。

交互に頭のなかにふと流れた曲は、斉藤由貴「卒業」。そして「じゃあね」。(80年代だね・・・。)

(my)

Monday 13 March 2017

地味なよさ



スピーカーMONOで音楽を聴くようになって、いままでよく理解できなかった音楽が突然その良さが分かることが結構ある。

MORTON FELDMANのこのレコードも買ってから全然聴いていなかった。「地味な音楽」という印象でしかなかった。
MONOのおかげで、楽器ごとの音色や表情がよく分かるようになって、よくターンテーブルにのるようになった。

一音一音の微妙な変化や連なり、そして小さな音の気持ち良さ。
以前の変化に乏しい単調な音楽という印象からうってかわって、むしろ緊張感のある演奏であることが分かった。

音楽だけでないのかもしれないけど、「地味なよさ」を知るには、微妙な違いが分かることが必要なのだろう。

(青柳)

Sunday 12 March 2017

田んぼ

昨日、山食音で行われた音楽会にて。久しぶりにゆうきが、「田んぼ」という曲を演奏されていた。(OORUTAICHI+YTAMO"ihati ep"に入っている曲。HORA AUDIO online shopにて購入できます。)

当社とショールームhoraanaがある場所は、田園地帯の中にある。春になって田植えの季節になるとほんとうに田んぼが光っている。そして脳内に流れる音楽はいつもこの曲。

駅前のスーパーマーケットに行く際、近道して畦道を通行する。今日は、音楽会の余韻に浸りながらあたたかくなった春の日差しのなかそんなことを考えた。

(my)

Saturday 11 March 2017

異星人に通訳

スピーカーの違いによる音の変化はとても大きい。
オーディオ機器の中で特殊なポジションにいるからだろう。

各オーディオ機器の共通言語は電気信号。
あたえられた信号を解読して、自分の仕事をして、その結果を次の機器に信号として受け渡す。オーディオの最後に位置するスピーカーの仕事は、信号を解読し、空気を振るわせ音にする。

最後に相手にするのが「空気」というつかみどころのない存在というところが他のオーディオ機器との決定的な違いだ。ある程度の性質は分かっていても、その行動は目に見えないし、自由自在に変化する。

スピーカーは通訳のような立ち位置なのかもしれない。
共通言語である電気信号を全く知らない異星人のような存在である空気に、ジェスチャーで意図を伝えるという難しい仕事。

イヤホンやヘッドフォンも同じ役割だが、相手にする空気の量が圧倒的に少ないし、空気は密閉されている。イヤホン・ヘッドフォンは、室内の少数の異星人と向き合って通訳している状態、スピーカーは野外に集まった圧倒的大人数の異星人を前に壇上で通訳している、しかもみんな好き勝手な行動をしている。

異星人に通訳をするという特殊な仕事なので、スピーカーによってその結果はかなり異なってくる。同じ結果になることはまず無いと思った方がよいのかもしれない。

大げさなたとえ話だが、こうやって想像するとスピーカーの仕事の難しさがひしひしと感じられる。かなりセンスが問われる仕事だなと思う。

(青柳)

Friday 10 March 2017

季節はめぐる


まだまだ肌寒いけれど、季節は確実にめぐり日増しに春めいてきている。
あたりには梅が咲き、ほのかによいにおいがただよっている。

梅は地味でささやかな美しさ。こういった感じが年々好きになってきている。

(my)

Thursday 9 March 2017

音と自然

音を出すことは誰にでもできるかもしれないけど、音をコントロールするのは難しい。
空気という目に見えなくて、自由自在に変化する存在を手なずけようとするのだから仕方がない。
人間は完全に音をコントロールできない。
どんなに優れたミュージシャンでも、どんなスピーカーを使っても不可能なこと。
そう思うと、「音とどういう付き合うのか」が大切な気がする。
「人間と音」の関係は、「人間と自然」との関係にとても似ていることに気がついた。

(青柳)

Wednesday 8 March 2017

記憶のズレ

「しゅららぼん」を再読した。以前読んだのは大分前だったせいか、かなりわたしの中で物語が変更されていた。おおまかな大筋はあっているけれど、細かいところが。小説版清子ってこんなんやったんやね。(映画版清子といえば、テレビドラマ富豪刑事がみたくなった。)

資料を片付けていたら、1年以上前に書いた日記のようなメモが見つかった。内容が今は共感できないようなこともあり、だれが書いたんや!と思うけれどまぎれもなくわたしの字。

ミランダジュライ「わたしを選んでくれるもの」の感想についても記されていた。そのことは憶えているし、それについては今も気持ちは変わらないだろう。(たぶん。)

ほんと記憶ってあいまいだなーと思うし、勝手に物語が書き加えられていることもあるんだなと痛感と不思議。

(my)

Tuesday 7 March 2017

ひこねキャラ化現象


今日はじめて彦根城に行った。
たいそう立派なお堀や石垣に感心しながら坂道を登り、いざご対面。
「なんかカワイイ。」
お城を見て可愛いという印象を持ったのは初めて。
天守閣の窓が目に見えるし、サイズもコンパクトで愛らしい。
今にもチョコチョコと動き出しそうだ。

敷地内の玄宮園で見た茅葺き屋根も生き物みたいで可愛かった。
horaanaの屋根と同じ入母屋造りだった。
以前ブログで書いたが、スピーカーMONOの形状を思い出した。


さすが、人気ゆるキャラ「ひこにゃん」を生み出した彦根。
歴史的にも深い因果関係があるのかもしれない。
(今日博物館で着ぐるみのひこにゃんに遭遇した。動きまでがゆるくて感心した。)

スノーキャラ化現象」につづく「ひこねキャラ化現象」を体験した一日だった。
彦根の知られざるパワーを感じた。

(青柳)

Monday 6 March 2017

早春物語

昨日のブログをみて、(当ブログはわたしmyと青柳がかわりばんこの交代制で書いている)頭の中に何故か80年代のカップヌードルのCM及びCMソングが流れた・・・。それと若き吉田栄作のジーンズとTシャツ姿も。テレビのすりこみって恐ろしいね。

さて、春休み前のこの季節になったら「早春物語」が観たくなる。当時の鎌倉ってどんぴしゃな感じ。

80年代角川映画LOVE。「セーラー服と機関銃」(恒ぴこ格好良い・・・)と「里見八犬伝」。角川三人娘のうち知世ちゃん(デビューシングルのB面がすき)と薬師丸ひろ子(やっぱりWの悲劇)は声がいいと思う。大人になってわかった魅力。

(my)

Sunday 5 March 2017

BACK TO BASIC

ものごとの本質が知りたいといつも思っている。
うわべの印象に惑わされないように、一度疑ってみる。
でも、こころの奥底の声にはなるべく正直でいたい。

本質は、とてもシンプルなもののような気がする。
単純ゆえに奥が深い。そして、おおらか。

よく分からなくなったら、ベーシックに立ち返るのがよいと思う。
複雑な世の中だからこそ、
"BACK TO BASIC"

(青柳)


Saturday 4 March 2017

小説の映画化

小説の映画化。先に小説を読んでしまっていたら自分の頭の中で勝手にキャスティングがされてしまい違和感を感じてしまうことも多い。(逆に先に映像化キャスティングを知っていたら、小説を読んだときにそのイメージで再現される。例;まほろ駅前)

小説を先に読んでしまっていたけど、湖東がロケ地と知りみてみたかった「しゅららぼん」をやっと観た。そんなに大幅にイメージにずれがなかった。(特に淡十郎と清子)場所の検討がなんとなくつくのも楽しかった。

琵琶湖や湖東の風景。つくづく美しいところだなと思う。

(my)

Friday 3 March 2017

つくし的


ムーンドッグの音楽は日常の定番だが、長らく行方不明だった Moondog & the london saxophonic "sax pax for a sax" のCDが棚からひょっこり顔を出していた。
スピーカーMONOで再生するのは初めてだった。
重なるサックスのアンサンブルの個々の音が分離していて気持ち良い。
スピーカーMONOの内部構造が管楽器的だからだろうか、とても自然な響きだ。
ムーンドッグ自身によるバスドラムが鼓動のようにリズムを刻む。
春の兆しにざわめく今の心、そのもののような音楽。
このCDの発見が、つくしを見つけた時のような喜びとなった。

(青柳)

Thursday 2 March 2017

美の視点

3月になり、春を感じるようになってきた。肌寒くても、空気で季節のうつりかわりを感じる。どこかそわそわするような。どこか切ないような。

「ぼくの美術帖」を読み、小村雪岱のファンになった。その後、文章を通じていろいろな美しいものや美味しいものを知った。今まで知らなかった扉が開かれたような気がする。かなり影響を受けている。

最近で出版された「ぼくの美術ノート」。文章といい装丁や紙の質まですばらしい。大事に大事に読もうと思っている。


(my)

Wednesday 1 March 2017

雑味のあるもの

雑味のあるものって味わい深い。
玄米や自然酒がまさしくそれ。
精製することでは得られない豊かさを感じる。
いろいろなものが混在することの心地よさ。
スピーカーMONOの音もそんな感じだと思う。

(青柳)