Monday 31 December 2018

忙しい病

気がついたら大晦日になっていた。慌てて今年最後のブログを書き始める。去年ブログ癖を身につけたと思っていたのに、今年はどうも書くことができなかった。時間が無かったから、というのは思い返せば、本当にそうだったのか、かなり疑わしい。毎日欠かさずレコード聴いたり、たばこを吸ったり(今年からパイプに移行しました)してたから、言い訳がましく思ってしまう。ただ単に「忙しい病」にかかってしまったのかもしれない。

近年時間の進み方の早さは加速度を上げている。時間の渦に飲まれているような感覚。個人的なものなのか、世の中全体のことなのか。歳をとったことも大きな原因の一つだとは思うのだが、それだけでもないような。

インターネット、eメール、携帯電話といった画期的なツールが世の中に及ぼした影響のことをついつい考えてしまう。人の行動、そして思考パターンは明らかに変化した。「いつでもどこでもできる」と思ってしまう癖が、「忙しい病」発症のいちばんの原因だと感じている。

インターネットを使わないとか、無い世界を今更考えても現実味がない。実際かなりの恩恵も受けている。「どう付き合っていくのか」がこれからの課題だと思う。自分に合った使い方を身につけると思考パターンも変えることができるかもしれない。時間に流されるのでなくて、乗りこなしたい、というイメージ。

音楽が流れる時間はいつでも一定だ。同じ時間だけ空間の空気を震わせる。振動をキャッチする自分が時間に流されているようでは、音楽の全てを味わうこと到底出来ないだろう。

ストーンズも歌っていた『TIME IS ON MY SIDE』をテーマソングにして何かを変えてみようと思う。

(青柳)

Sunday 9 December 2018

ヨーロッパ物音日記 #2

どの国も郷土料理に美味しいものありというのが私の持論。(好みはあるけれど。)
 
30代の頃は食べものについて制限系(ベジタリアンとかオーガニックといった)のこだわりがありなかなか旅行でも不自由だったが、彦根に越してきて思うことあって今はそういった考えを捨てた。わたしにとってはよかった決断でした。
 
基本的に食べることが好きなので、知らない土地のごはんにとても興味がある。
 
今回訪れたノルウェー・ドイツ・ポーランド、どの国もそれぞれ美味しかった。
ごちそうになった以外は、ホテルでスーパーマーケットで買ったもの(例えば、チーズにハム、ザワークラウトの缶詰)やら安食堂で食べたりバックパッカー的なものでしたが、それでも!
 
帰ってきて、早速図書館にて1970年代初頭に刊行されたライフタイムブックス世界の料理シリーズ(日本語版江上トミさん監修)や各国料理についての本を借りる。このシリーズは写真といい内容といい最高なのです。ただドイツとスカンジナビア料理の本はあっても、ポーランドのものがなかった...。
 
ワルシャワの大衆食堂で食べたぎょうざみたいなピエロギ(ほんとうにぎょうざルーツらしい)やドーナツのポンチキ。全体的に素朴で私好みだったので、日本でつくってみようと思ったのに・・・。
 
調べてみても、ポーランド料理の本ってあまりない。そういえば、ポーランド料理って食べたのはじめてだったかも。
 
なんとか「ポーランド料理道」というすてきな本の情報をネット上でみつけましたが、オンラインで読めるのみ。紙ベースのものがほしいので、なんとか手に入れることができればと思っている。
 
江上トミさん監修「スカンジナビア料理」「ドイツ料理」より
右のドイツ料理の表紙写真はクリスマスにつくるお菓子の家
写真の質感といいすてき!心躍る。
 
(my)

Wednesday 5 December 2018

欧州モノノネ日記 その1

ずいぶんと久しぶりの海外。十年くらい前はアートの仕事で一年の半分くらい海外にいたのに。プライベートでほとんど旅をしないタチなので、海を越えるにはそれなりの目的がないと行動に移せない。

今年ノルウェーのオーディオショップでスピーカーの取り扱いが始まったこともあって、ヨーロッパのオーディオシーンを直に見に行くことにした。スピーカーMONOが海外でどのように響くのか、どんな評価を受けるのかを知りたくなり、初の海外営業を行う決心をした。海外市場の方が活気があるという噂も、実際に行って見ないと分からない。

オーディオの世界だけでなく、ヨーロッパの人たちがどんな日常を送っているのかも知りたかった。どんな顔してみんな街を歩いているのか、街の様相は変わったのか。そう、ヨーロッパの空気を久しぶりに肌で感じたかったのだ。

バタバタのスケジュールで、出発前日は徹夜で準備作業。時差ボケ防止には寝ないほうが逆に良いと自分を励ましながら、スーツケースにスピーカーを入れるための保護ケースを作った。ふたつのスーツケースはスピーカーと機材で完全に埋まってしまった。ヨーロッパでの防寒を考えながらバックパックに入れれる分だけ服と着替えをセレクトするのが難しかった。

朝4時半にふたり分とは思えない物量の荷物を車に積んで最寄りの駅に運んだ。妻に駅で待ってもらい、僕は車を家に駐車し、徒歩で駅に戻った。タクシー営業のない早朝だったので、思いついた苦肉の策。始発電車に乗って京都に行き、初めて「はるか」に乗った。

ゆったりとしたシートに座った途端、睡魔に襲われ、気がついたら関空の橋の途中。9月の台風がどれだけ凄かったかを目の当たりにした。出発3時間前の誰もいないカウンターでチェックイン。荷物を運びながら感じていた悪い予感が的中し、スーツケースは重量オーバー。慌てて、ビニールのバッグを購入して荷物を詰め直した。二度目のチェックインでは、バッチリ重さクリアで胸をなでおろした。

551の豚まんを食べて、空港の書店で未読の『スプートニクの恋人』文庫本を購入。気がついたら搭乗時刻が近づいていた。搭乗直前の一服を済まして、機内へ。席に着いたら、心地よい疲労感。ここまでで十分ひとつの旅を終えた気分。

(青柳)

Thursday 29 November 2018

ヨーロッパ物音日記 #1

多大なる影響を受けている本のタイトルから拝借して、今回の初ヨーロッパ海外営業のことを(my)と(青柳)で交互に綴っていこうと思います。(*物音=モノノネ)

20~30代にかけてバックパッカー的旅行をすることが多かったのですが、40代にもなってこのような旅をするとは思っていませんでした。行商のように、大量の荷物を持てるだけもって、3カ国を移動。ただ何でも経験しておくものですね。昔よりは体力的には劣っているとは思うのですが、経験値を積み重ねて総合的にはタフになっている気がします。

あとここ10年海外に行っていなかったのですが、(基本的には旅好きではない。なんとパスポートの有効期限も切れていた・・・)その間になんと世の中が便利になったことか。前は行き当たりばったりで、現地のインフォメーションセンターにて宿を探す。情報もロンリープラネットや地球の歩き方が頼り。(いまだに当時のもの持ってます。)これが、さくっと泊まるところも日本円で簡単に準備していけること。ネットもsimフリーとカードさえ用意すれば、格安でつなぐこともできる。どこにいっても、みんな片手にスマートフォンとタブレット。隔世の感あり。

ヨーロッパの物価が昔に比べてだいぶん高くなっていて、今後は比較的物価が安いと思われる東欧に興味が出てきました。(昔は西欧ばかり行っていた。)

実際に体験や経験することの重要さを改めて感じた2週間でした。

(my)


Thursday 8 November 2018

AUTECHRE IN AUTUMN

スピーカーMONOを使い始めてからだろうか、オウテカの存在感がどんどん大きくなって来ている。
基本的に派手さがない音楽だと思うが、一つ一つの音を味わうとじんわり美味しい。
かなり硬質なテクノサウンドがこれほどまでに温かく感じられるのは、やはり作り手の心がなせる技なのだろう。
MONOのおかげで今までスルーしてしまっていたような音楽の背後にある何かを感じられるようになった気がする。

ついに以前から気になっていたオウテカの1991年から2002年までのEPを集めたボックスを手に入れた。
黒のペーパーボックスに収められたトーンの異なるグレーのCD5枚。つや消しの紙ジャケットにある文字は曲名のみ。しかも全てプリントではなく型押し。そして必要な情報は、CD盤面に読めないくらい小さな文字でサークル状にぎっしり記載されている。
美術館でスゴイ作品に不意に出会ってゾクゾクしたような感覚。これぞアート。僕はそう思う。

気がついたら最初から最後まで一気に聴いてしまった。47曲5時間39分59秒あるらしい。
秋の空気にオウテカはよく合う。
horaanaに訪れた突然の「藝術の秋」。

(青柳)


Wednesday 31 October 2018

音の缶詰

朝、夢うつつベッドの中から、ラジオを聴いていた。80年代の歌謡曲が流れる。その時代の空気がその音には詰め込まれている。缶詰をあけたときのように、新鮮に思い出される。時代を象徴するような音。

時代を象徴するものと時代を飛び越えてtimelessなもの、そのどちらか。
個人的にはいつの時代か分からないものの方が好みなんだけれど、たまにはこういった時代を感じさせるものもいいなとも思う。

(my)

Tuesday 30 October 2018

ミナス気分

意外と簡単に家でコーヒーが焙煎できると聞いて自分でもやり始めた。今年の冬の雪が混じるような寒い日だった。
金網でできた籠状のフライパンの中に初めて見た緑色をした生のコーヒー豆を入れて、ガスコンロの上でよく分からないままひたすら振り続けた。パチパチと音がして、コーヒーの焦げる匂いが漂ってきた。あっと言う間に真っ黒になってきて、慌ててコンロから離した。試しにそのまま豆をかじってみた。なんともいえない強いコーヒーの香りが口の中に広まった。

何でも初めて自分でやったときのことは強く記憶に残っている。初めてのスピーカーから空間に広がった音を思い出す。

半年以上経過して焙煎のコツも少しづつ掴んできた気がする。豆は今のところブラジル産だけを使っている。世界中の産地から選ぶのは迷ってしまうけど、音楽を一番感じさせる場所という理由で。ブラジル・ミナス地方の豆が豊富なのが嬉しい。

10分以上豆を振り続ける作業はさすがに腕が疲れてくるけれど、脳内でブラジル音楽を再生してそれに合わせていたら結構楽しいです。(ミルトン・ナシメントは定番)調子に乗り過ぎたら度を越した深煎りコーヒーになってしまうので注意が必要。

(青柳)


Tuesday 23 October 2018

栗 マロン

今の季節は、栗。ちなみにわたしにとってのパリのイメージは季節は秋でマロン色。

栗のお菓子のことを思うだけで、本格的に秋がきたとおもう。モンブラン(有名どころでいえばアンジェリーナのデミサイズが好き。それにしてもデミでも十分大きいよなぁ・・・いつも半分ずついただいている)、タルトにパウンドケーキ。和菓子だときんとん(中津川すや行ってみたい!)や蒸しようかん。色もいいのだ。

栗をいただいたのでごはんにしてみた。美味しいのだけれど、剥くのが大変すぎる。おもわず栗剥きナイフを買おうとおもったが、あまり汎用性が低い道具を買うのもなぁと考えてしまう。それで残りの栗は冷蔵庫に入ったままだった。

今日、奮起して残りの栗の渋皮煮をつくった。鬼皮をむくのがやはりめげそうだったけれど、途中ゆがいているときのお湯にうつった色のきれいなこと。みとれてしまう。(こんな色の装い、いいな。)においもよい。今晩置いて明日食べるつもり。まぁがんばった甲斐はあったかな、と思いたい。(少しどきどき。)

(my)

Thursday 18 October 2018

ネットでレコ買い その2

インターネットでレコードを買えるようになって、一番楽しいのはDiscogsでの買い物。世界各地のレコード屋さんから直接購入することができるなんて夢のようだ。アーティストやレーベルのディスコグラフィーに直結しているので、「こんなリリースがあったのか」とそのまま買ってしまうことも多々。WANT LISTのレコードを探すには本当に最適だと思う。探し求めていたレコードを購入することが多いので、手堅い買い物なのだが、レコード以外のドキドキ感が付随しているのがハマってしまうところ。

国際郵便で送られてくるので、いつ届くのか具体的にわからない。「もしかしたら届かないかも。」なんて思いながら毎日配達を心待ちにするのも童心に戻ったようで悪くない。ついに届けられた時の嬉しさといったら。この感情は国内配送では味わえない。

届いたレコードのパッケージを見るのも楽しみのひとつ。ダンボールの色や質、テープの貼り具合、手書きで書かれた宛名、発送国の切手の絵柄。長旅を終えて海外からやって来たという佇まいを全体にまとっている。匂いもどこか違う。

再利用されたツギハギの破れたダンボール、グチャグチャに貼られたテープに殴り書きの住所というすごい状態で届いたフランスからのパッケージが抜群にカッコ良く、アートを感じてしまったこともある。最近ドイツから買ったゴンチチのLPは、保護のためにナナ・ムスクーリのダブルジャケットに包まれて送られてきた。(写真参照)ギリシャからのレコードは、自分で撮った犬の写真のポストカードにメッセージをつけて同封してくれていた。どこの国かは忘れたが、パッケージを開封すると「Enjoy Music!」と書かれたダンボールの切れ端が出てきたこともある。(今も捨てられずに保管している。)

Discogsでの買い物は、大手のオンラインショッピングでは味わえないような前時代的なアナログ感がある。海外の人とちょっとしたコミュニケーションがとれたり、文化の違いを楽しめるのが良いところ。異国に思いを馳せながら届けられたレコードを聴いていると、つかの間の旅行気分を味わえる。

(青柳)

Thursday 11 October 2018

お手入れの魔法

若者の頃(10~20代)、物を買うことに熱心でひとつ物を手に入れたら次のものといった具合で、じっくりひとつの物に向き合うというより踊らされていたというか。(時は90年代。雑誌文化も華やかで月それだけで数千円使っていたな。定期購読もしていた。今とは大分違うなぁ。)

現在は、物を買う行為だけで満足するのではなく、使いたおしてなんぼという感じになっている。それはどういうことかというと、厳選されたものを丁寧にお手入れしながらきちんと向き合ってじっくり使うということ。そういったことに喜びを感じるように。量より質といった具合か。

住空間も好みのインテリアに揃えるのみならず、そのあと清潔で整えられた空間を保つのが大事なのだ。見えない部分の空気が変わる。一緒のようで一緒ではない。見えないところにある居心地。手をいれることにより、自分独自のものとなっていく。

なぜ今日こんなことを書いているかというと、ここ数日間出張でいつもより掃除がおろそかになって同じ空間なのだけれど、なんだか違ったふうに感じられたからだ。掃除をきちんとして手をかけると、また普段と同じになってほっとしている。

(my)

Tuesday 9 October 2018

都会の流れ

梅田に来るたびに変わったなぁと辺りをぐるりと見上げる。阪急が新しくなった頃まではなんとかついて行けていたが、今ではエリアもかなり拡張されて、もうキャパオーバーだ。

滋賀のものづくりに焦点を当てた『KURASHIGA』展の搬入で車で梅田に向かった。道の正面に遠くに見えている阪神百貨店の様相が記憶と異なってる。ついに建て替えられたか、と少し寂しい気持ちに。

大学を出て最初に勤めたのは梅田駅前のオフィスビルだった。阪神百貨店の道のカーブに沿ったアールのついた建物を見て毎日通勤していた。派手ではないけど、その佇まいが好きな建物だった。

当時「レコード1枚は必ず買って帰る」という日課を設定して、仕事の後は必ず梅田のレコード店を散策していた。若気の至り。(いまでもやりたい…)当時のレコード店はどれくらい残っているのだろうか。個性豊かな店内の様子、店主の顔が脳裏に浮かぶ。

いつの世も全ては変化して行くものだから仕方ないけれど、今の流れは個人的にはあまり楽しくない。大きな流れが小さな流れをどんどん吸収していってしまう。都会という大きな流れから離れた場所で暮らしているから、特にそう感じるようになったのかもしれない。

(青柳)

Friday 28 September 2018

源氏物語

最近、気になっていること。それは「源氏物語」。

もともと古典文学は好きで、専門的に勉強していたこともある。高校生の頃、とある古典の問題集に載っていた物語があまりにもなまめかしく、その魅力に気付きその後古文全般に一気にはまってしまった。紫式部が源氏物語を書いたお寺も行動範囲中にあり、またもともとオタク気質なので余計のめりこんだ。その頃は、説話集が好きだった。「源氏物語」は教科書にあるかけらと「あさきゆめみし」を読むくらいだった。(なんだか高校生のわたしにはしっとりし過ぎてきた。)

なぜかここ急にきちんと「源氏物語」を読んでみたくなっている。(でも長いからなぁ・・・。)まずは気分を盛り上げるため、細野晴臣さん(まただね!)の「源氏物語」のサントラを聴きまくっている。(またこれが、秋のhoraanaに合うのです。)田辺聖子さんの解説書を読んでみたり。

高校生のときと、大人になった私と登場人物について、全然おもうことが違う。
さすがずっと残る古典は違うね。(とえらそうかしら。)複雑で多方面から織りなす物語。そらお后の位より、ずっと本を読んでいたいよねという某日記に、同感・・・。

(my)

Thursday 27 September 2018

モスキートーンの秋

今年の夏は経験したことないくらい暑かったからだろうか、蚊がとても少なかった。人間もうなだれるくらいだから、蚊にとっても暑い空気の中を活発に飛び回る気にはならなかったのだろう。それとも暑さで弱った人間の血は美味しくないのかもしれない。

9月に入り少し涼しくなると、蚊がここぞとばかりに活動を始めた。夏の間おとなしかった分、とても精力的に飛び交っている。種を残すために、多少寒くても必死になって頑張っていること自体は尊敬に値するが、刺される身としてはやはり辛い…

作業をしていると耳元でプーンと音がするが、いろいろと物の多い工房で蚊を目視するのはとても難しく、仕留められることはほとんどない。両手を離せない重要な作業をしているときに限って、素晴らしいタイミングで手の甲を刺してくる。血を吸っている姿を横目で見つつ作業を続けなければならない時の切なさ…。人間が想像もできないような嗅覚を持っているのだろう。あまりにひどいので、夏の間に使い切ってしまっていた蚊取り線香を急遽買いにいくことになった。

中秋の名月も過ぎたことだし、そろそろコオロギや鈴虫の奏でる音だけを楽しみたい。秋のオーケストラにモスキートーンが加わると一気に風情がなくなってしまう。申し訳ないが、夏公演での名演をお願いしたい。

(青柳)

*モスキートーン:17kHz前後の高周波。人間の可聴音域は20Hz〜20kHzとされるので、かなり高い音。高齢になると聞こえづらくなるので、耳年齢のチェックになる。

Saturday 22 September 2018

焦りと余裕

前回に引き続き、焦りについて。

やらなくてはいけないことがあるときは、波がある。なんでもそうだし、当たり前かもしれないけれど。そうやってどどどと"to do lists"があるとき、すごく焦ってしまう。冷静にさらりと仕事をしたいのだけれど、まるでばたばたあせあせしてしまう。わーきゃーとすぐ口にだしてしまうのは良くない癖ですね。(そして自分の声にまたパニックになる。)

やれ締切りやらこの時間までに返事しなくてはいけないとかというときに限って、団子のようにいくつかそういうことが押し寄せる。どれかひとつは明日にしてくれーといいたくなるけど、そういう訳にもいかない。

そんなときにすごく焦ってパニックになって余計に時間がかかり無駄なエネルギーを消耗してしまう・・・。大人になったら冷静沈着になると思っていたけれど、そうでもないことを知る今それが大人になったということなんだろう。

本当は余裕をもって、読書の秋にぴったりなことを書こうとおもっていたのに、どうしてこういうブログになったかというと・・・まさしく今日がずっと焦りと緊張の一日だったからです!(別にたいしたことがあった訳ではないのですが、わたしにとっては重大だったので。)

(my)

Friday 14 September 2018

ネットでレコ買い その1

都市部を離れて暮らしてから少しさびしく思うのは、レコード屋さんに行く機会が減ったこと。生活していて特に不自由や不満を感じることはないのだけど、こればっかりは長年の趣味(中毒)なので、たまにふらっとレコード買いに行きたいなー、と欲が出てしまう。

今、やっぱりネットで買い物することが多い。ネットで探すときは、「検索」という行為がつきもの。世界中の莫大な情報から欲しいものを的確に探してくれるので、アナログ時代に比べて、WANT LISTに入っているようなレコードを探すのは容易になった。試聴システムも充実しているので、自分の求めている音楽を高い精度で提供してくれる。

そのこと自体はありがたいことだけど、レコード屋に行くことの醍醐味は、逆に「精度の悪い」買い物をすることだと思う。

探しているレコードの棚を見ることからスタートして、忘れていた欲しかったレコードを見つけたり、不意に気になるジャケに出会ったりしているうちに、手に持ったレコードはどんどん増えていく。レジに行く前に財布と相談しながら、棚に返すべきか買うべきかを選別作業をしている時、結構真剣な顔をした自分がそこにいる。

その時の気分や出会いを重視しているので、購入品が果たして好みの音楽かは針を落とすまで分からない。想像以上の収穫もあれば、もちろん後悔することもあるけれど、このドキドキ感がたまらないのです…

ネットでレコ買いするときにも、なるべくドキドキ感を高めるようにしている。(具体的な方法はまた紹介します。)それは、不確定要素をなるべく増やす工夫なのかもしれないな。とにかくこんな場所に住みながらレコード欲を満たしてくれるネットに感謝。

(青柳)

Sunday 9 September 2018

菊と栗

タイトルは、9月9日は重陽の節句と知って調べてみたことから引用したキーワード。栗ごはんがいいというけれど、旧暦と新暦の差か、今の時期あまり手に入らないような。あと、あまり食用菊も見かけないな。

9月に入ってあっという間に9日になっていた。時間が過ぎていくのが、通常の感覚から比べて早すぎる。昨日のことが大分前のような気がする。

季節の変わり目。こんなときこそ、心を落ち着けて。いろんなことを点検しなくてはと思う。そして、すぐ焦ってしまう自分に気付いてかえっていつも以上にゆっくり行動しようと思う。

(my)

Wednesday 5 September 2018

電気がないと…

またまた大きな台風が到来。今年の夏の異常な暑さと関連しているんだろうな。何かが変わり始めている気配を感じる。

今回の台風は昼間だったので、最初から終わりまで体験した。horaanaのあたりでは雨はそれほどではなかったが、風の強さは物凄かった。瞬間的に打撃のような風がうまれていた。木はなぎ倒されそうなくらいしなり、家は軋んでいた。

木工作業を土間の作業場でやっていたら、突然電気が切れた。停電だ。ちょっとして一度点灯したが、そのまま真っ暗に。いつでも薄暗いhoraanaだが、今日は雨戸を締め切っているので、特に暗い。作業を断念しようと思ったが、電気を使わない作業を続けることにした。

作業場の戸にある小さな窓からの光しかない。流石に手元が見えないので、ランタンの灯りを点けた。最初はやり辛かったが、目が慣れてきて意外と作業はできた。でもいつもの倍くらい時間はかかるし、機械が使えないから出来ない作業も多い。

リアルな体験として、電気がないとスピーカーを作ることができないことを思い知ることになった。電気に感謝すると同時に、電気が無くても仕事ができたり、生きていけるくらいのたくましさを身につけたいと思った。

でも、そもそもスピーカーは電気がないと音が出ない…

東日本大震災を経験したあと、電気がないと音楽を聴けないことに危険性を感じて、蓄音器とSP盤を手に入れた。オーディオに熱中するより前の出来事。それまでのスピーカーで聴く音楽とは異次元の素晴らしさを知った。その時の感動はホラオーディオの音づくりにも活かされている。

突風の音を聞きながら、いつかHIFI蓄音器をつくってみたいと思った。

(青柳)

Friday 31 August 2018

ある記憶

雷と大雨降る今日の夕方。8月31日。昨日のブログと同様、気持ちの上では今日が夏の終わりと思ってしまうのはなんでだろう。(思春期の刷り込みは恐ろしい。)

9月に入っても、実際は残暑続く昨今なのに。明日から秋が始まるんだという気分。
本当は旧暦のほうが、季節と連動しているなとは思うんだけれど。

別に特別にバカンスらしいことをした訳でもないけれど、過ぎゆく夏を名残惜しく思い返す。地味だけれど日々の生活の中で季節を感じて暮らすこと、そういった意味では十分満喫したなと思っている。昔は何か特別な場所にいったり非日常を求めていたけれど、今は違うな。

[追記]
去年の8/31のブログ。偶然わたしの担当だった。今日と似た様なことを書いている!おまけにタイトルまで・・・。書き終わった後読んでみて、不思議なような必然のような。同じ人なので当然というか。

(my)

Thursday 30 August 2018

あの夏の感じ

これだけ暑いと、いつまで夏が続くのかおそろしくなる今日この頃。
でも夏休み最終日の8月31日が「夏のおわり」という感覚はこの歳になっても残っている。(今の夏休み期間は地域によって結構違うようだが。)「今日は30日、あと1日しか夏がない…」学生の時のいろいろな感情が入り混じったあの感じは、言葉では説明しづらいものがある。

そういえば、坂本慎太郎さんが『できれば愛を』に関するインタビューで、「夏休みの最初の日の朝っぽいアルバム」をテーマにしていたと語っていた。すごくよく分かります。その感じ。

今宵は、「あの夏の感じ」を永遠に封じ込めたような音楽、ジョナサン・リッチマンの "That Summer Feeling" に針を落とすことにしよう。

(青柳)

Wednesday 22 August 2018

日日雑記#6

”夏の終わりのハーモニー”。
とある雑誌に懐かしいヒットソングからとっただろうフレーズが。改めていい言葉だなぁ。

日に日に秋が近づいてくる。夏の終わりということ。なんだか少し切ない気持ちになる。

どこか焦っているのは、夏休みの記憶のせいか。強制的な宿題なんてもうないのに。

そんな夕暮れどきに、休憩をかねて庭のベンチにこしかけて冷たい緑茶とわらびもちを食べた。少し落ち着く。ふと空を見上げると、季節は確実に進んでいる。

今年の夏は、わたしのことを励ましてくれるような本にたくさん出会った気がする。
図書館に一日こもりたいな。今のわたしにとっては、すごい贅沢なことだけれど。

気持ちがまずはじめにあるということを痛感する今日この頃。
そして、その次はやってみないとはじまらない。当たり前のことだけれど。

(my)

Monday 20 August 2018

思ったことの何割?

春ごろから作業していたホームページリニューアル作業がやっとメドがつき、先日公開することができた。5月には公開予定だったのだからヒドイものだ。

遅れた一番の理由は、現状のサイトでも見れる状態だったので、仕事の後回しにしがちだったこと。データの移行はとても地味な作業だったので、エンジンがなかなかかからない。日課にするには苦行すぎた。

ついに自分にムチを打ち、締め切りを設定した。期日を設け、うまくいくとエンジンキーがONになる。1速から2速に入りそのままうまく加速して完成するイメージを念頭に作業した。(ちなみにマイカーはマニュアル車です。)

なんとか締め切りギリギリでホームページをアップすることができてホッとした。でも思っていた内容の7・8割しか出来なかった。必要最低限という感じ。

いつも必ずそうなってしまうから面白い。がんばって膨らませたビーチボールの栓をする時、何パーセントかの空気が漏れて小さくなってしまうかのようだ。だからいつもイメージは思いっきり大きく持とうと思っている。途中で現実にぶち当たり、小さくなってきたら追加でイメージを押し込め、さらに膨らます。それでまた小さくなってコトは終わる。

限られた時間でできることは、いつも小さくなるからといって、手抜きはしたくない。精一杯吹き込まないとどんどん萎んでいってしまう。

強欲だなぁ、と自分のことを思うけど、想像するのは勝手。人生もそんなものかも。

(青柳)

Saturday 11 August 2018

めがあう

ネット時代。通販がさかんになればなるほど、わたしは実際お店に足を運んで物を購入することに惹かれる。

もちろんネット通販のお世話になっているし、便利だなとも思っている。既存の知っているものを買うのには重宝する。ただそこにあるのは予定調和の世界。”これがあなたへのおすすめです”。まったく離れたとんでもないものをおすすめされることはない。

レコード屋さんや本屋さん。いろんなコーナーをなんとなくぶらつくうちに勘が冴えてくる。直感のようなものか。ふとめがあう表紙やジャケット。けしてどんな本やレコードなのか、ネットで調べてはいけない。だれかにおすすめされたものではないので、未知のもの。ぴんときたら、それを手に入れる。

すごく自分にあっていることもあれば、失敗なこともある。こうやって身銭を切っていくうちに、自分の好みに対する精度が高まってくる。オーダーメイドのような。これは自分自身で磨いていかなくてはいけないこと。すべてにおいていえること。例えば美味しいたべものについても。

みんながみんな、こういった感じを望んでいるとは思えないし、だれかのおすすめじゃないぶん、リスクも大きい。そのぶん自分にとってのぴったりがわかってくる快感はすばらしいものだ。めがあって、合うものがなんとなくわかるようになってくる。

どんどん現場主義、体験主義になっている。

(my)

Wednesday 8 August 2018

夏の光

horaanaの建築は、約150年前に設計された。当時の建物は、夏の気候を快適に過ごせることに重きを置いて建てられていたらしい。というのも、夏の強い太陽の光、湿気は、人にとってはもちろん、建物にとってもダメージが大きいからだ。寒いときは、人は火をおこし、衣服を着込み暖をとったらよいが、冷房の無い時代において、暑さ対策でできることは限られている。

それにしても、今年の暑さは物凄い。この状態がこれからの標準になったらどうしよう。夏の服装や働き方も変わって行くんだろうな。ビジネス短パンが認められる日も近い。

今年の気温は150年前にはもちろん想定外だろうが、それでもhoraanaは比較的快適だ。クーラーが無くても、全ての窓や戸を開けっ放しにすると、気持ち良い風が吹き通る。茅葺きの断熱効果で屋根からの熱は無いし、土間はひんやりとしている。何より涼しく感じるのは、薄暗い部屋の明るさかもしれない。建物の向きを太陽の動きに合わせて設計しているため、光が過剰に室内に入ることはない。気持ち良い朝日が少し差し込む以外は、直射日光は遮断されている。

「明るい」ということは現代においては、「良い」ことだ。南向きに大きな窓を開け、真っ白な壁に包まれて、快活な室内空間を演出する。明るい部屋は冬はとても気持ち良い。おそらく、日本の現代建築は、北部西洋文化の影響が強いのだろう。一年のうち半袖で生活する期間がこんなに長くなった現在、そろそろ、アジア・アフリカなどの夏向け建築を参考にした方が良いのかもしれない。

夏の太陽光といかに付き合えば良いのか、昔の人は智恵を持っていた。自然を知ることは生きること直結していた。現代人が学ぶところがたくさんあると思う。

(青柳)

Tuesday 31 July 2018

火星大接近

こう暑さが続くといつもの体内時計から、もう夏休み期間も終わりかなと錯覚してしまいそう。

現実はというと今日は、7月の終わり。8月にもなっていない。朝のラジオからは「夏休み子ども科学電話相談」プログラムが流れているし、まだお盆も来ていない。

今夜は、火星の観察をするつもり。国立天文台の火星大接近2018を熟読して、観察に臨もうと思う。天文、夜空。宇宙の流れは不思議だ。壮大であっという間。考えれば考える程、ロマンに満ちている。

今この瞬間、できることを体験していこうと思う。現場主義のわたし。次の火星大接近は、2035年らしい。

(my)

Monday 30 July 2018

JUST LIKE MUSIC

時間の流れかたはつくづく不思議におもう。

先日の京都出張で、18年前の同じ日にリンクすることがいくつも重なった。
ひとつが浮上すると、泡がくっつき合うように、ボコボコと立ち現れる。

時間は真っすぐには進んでいない気がする。
円を描きながらある方向に向かって流れてる。
別の角度から見るとスパイラル状に動いているというイメージも頭にあるが、
そんな単純な動きではないのかもしれない。

過去と現在がぴったりと合わさる瞬間。
円弧が過去の一点を通過する。
記憶が呼び起こすいたずら…

いや、時間はシングルノート。ただ坦々と進んでいるのかもしれない。
人間の心がそれに和音を加え、音楽のように時間を多層的に彩る。

どちらにせよ、僕たちにとっての時間は、音楽のように謎多くも魅惑的な存在。
つかもうと思ったって、逃げられるから、ただ流れを感じていたい。

(青柳)

Friday 27 July 2018

すももももももものうち

数日前、直売所に買物に出掛けたら、すももが並んでいた。思わずかごに入れ、購入。頭のなかは、すももを煮る甘酸っぱいにおいや楽しみでわくわくそわそわ。

レシピは、高山なおみさんの「のんびり作るおいしい料理」のプラムの項目を参照。
(補足:この本だいぶん前の発行だけれど、なにげに使用頻度が多いです。特にかぼちゃの煮物は失敗しらずでおいしい。夏かぼちゃがでまわる今の時期にぜひ!)

煮ているときの鍋の中の色、すごくきれいでこんな色のお洋服を着たいなとふと思う。
この暑い時期に大変な作業だけれど、できあがる美味しさを想像すると嬉しくなってくる。そのうちに、すてきな匂いがただよいはじめる。

できあがったので、グラスに氷を浮かべ炭酸水を注いで、庭のベンチに座りながら飲んだ。なんともいえない美味しさ。夏の味覚とルックス。こんなささいなことだけれど、気分が良くなる。仕事の合間、ちょっとした休憩時間。

すもものたね、乾かして蒔いてみたら木になるかな。

(追記)
夏やすみらしいすてきなイベント「京都レコード祭り」。
7/28に「モノノネラジオ」として参加いたします。よろしくお願いいたします!

「モノノネラジオ」@第6回京都レコード祭り詳細>


(my)

Wednesday 25 July 2018

かなでる

「奏でる」をテーマとした展覧会に参加することになって、その言葉の意味を改めて考えてみた。

まず思ったのは、「演奏する」とは異なるということ。「奏でる」は些細でプラベートなイメージ。日常個人的に爪弾くギターは、「奏でる」だが、同じ曲をステージで演奏するとなると「演奏」となる、ような気がする。

言葉のニュアンスってとても面白い。他人とどこまで共有できているかいつも分からなくなる。でも、そのことについて考えることは楽しいし、終わりのないゲームのようだ。

楽器の出来ない人が「奏でる」となると、どういうことだろうか?そもそも「奏でる」ことは楽器がなくてもできるはず…

頭の中が色々な方向にグルグル回って、出てきた言葉が、「聴く」。

「奏でる」とき、そのひとは、その場の音を聴き、音を発する。必要なければ、何も音を出さないこともあるかもしれない。でも「場」がなければ、「奏でる」ことは誰にもできない。

「奏でる」とは、「その場、その時との音を介した対話」のような気がする。
だから言葉としては、「聴く」がとても近しい。こういう流れで考えてみると、「表現する」という言葉も「奏でる」に近くなってきた。ゲームはつづく…

蝉の声を聞きながら、たわいもなくこんなことをボーっと考えているこの瞬間が、とっても「夏を奏でている」気がする。

(青柳)

*「夏を奏でる」をテーマに展覧会用にCDをセレクトしました。(→インスタグラム参照)真っ白なギャラリーで新しいホワイトモデルのスピーカーで音をお楽しみいただけます。あなたの「奏でる」音楽も再生致しますので、お気軽にスタッフにお尋ねください。(CDもしくは、ステレオミニジャック対応プレーヤーは再生可能)

Wednesday 11 July 2018

シエスタ

日本もシエスタが必要なんじゃないか。肌に刺すような日差し。

毎日35度を超えるような暑さで、ここはまだ空気もさわやかで涼しげなほうだと思うし、家も古い日本家屋なので夏向きにできており、湿気も土壁が吸ってくれ快適なはずなんだけど・・・それでも頭がぼーとして大丈夫かなと思うくらいだ。(ちなみに我が家はエアコンはございません。)

なんだか気持ちも不安になってしまう。だからなるべく分析したり考えたりしないようにしなくてはと思う。(こんなときに限って、どうでもよいしょーもないことをあーでもないこーでもないと考えてしまうのはどうしてでしょうか。)

あまりの気温に氷ばかりかじっていたら(冷凍庫の製氷ブロック。あまり行儀のよいものではない。)、余計にしんどくなった。氷禁止令がわたしにだけ発令され、ここ何日か氷断ちしている。(おまけにアイスも。)今週来週と出張も控えているので仕方がない。うぅとなるが、体調は少しは持ち直し、氷はその場はよいのだけれど長期的にはダメージも大きいなとおもう。(冷えの問題。)中医学の本に書いてあったように納得の事実だが・・・それでも一瞬の快楽を求めて、氷が食べたくなる。その葛藤の繰り返しの夏となりそう。

(my)

Sunday 8 July 2018

SUNDAY MORNING

光の朝。
前人未到の長雨はようやく過ぎ去った。
青い空と白い雲の鮮やかな色彩が目に焼きつく。

なんだか違う世界にいるようだ。

脳内に『SUNDAY MORNING』が自動再生された。
レコード棚からシングル盤を探し出し、針を落とした。

- Watch out, the world's behind you -

世界は移ろいゆくもの。
いつまでもおんなじじゃない。

(青柳)

Saturday 30 June 2018

タイムマシンにお願い

最近、とあることについて調査している。それで強く感じたこと。記録は大事だということ。

生活習慣やなんでもそうだと思うけれど、月日が経つとそれらについて知っている人がいなくなったら、けむりのように夢の中のように分からなくなってしまう。いとも簡単に。

ただ記録が残っていたら、軌跡をたどることもできるし、類推もできる。

ライブだったりそのとき経験することの良さもあるけれど、記録媒体のおかげで救われている。

レコードも本も、現在にいるいない会える会えないに限らず、ものという形で手にすれば、タイムマシンのように記録に触れることができる。

タイムレスなもの、時間を超えていること、そういったものにずっと興味を持っている。

(my)

Friday 29 June 2018

いつもあとから


茅ヶ崎のカフェBRANDINで今月開催された試聴会「HORA MEISTER'S VOICE」は、犬ジャケ展の関連企画だった。イベント後半はみんなで犬ジャケのレコードを持ち寄って聴く会「みんなのモノノネ」。僕も参加するために、片っ端からレコード棚を漁って犬のレコードを探したのだが、意外と見つからなかった。

人と犬が使われているものは数枚あったのだが、「犬ジャケ」というからには、犬だけが堂々とジャケットで、なおかつ音楽も好き、というレコードを選びたいという欲にかられた。結局イベントでは、イラストで描かれた犬と月が載ったMOONDOGの「Snaketime Series」から選曲した。でも、ムーンとドッグなはずなのに、イラストの犬が狼にしか見えないところが、どこかイマイチ感を心に残す結果に…

BRANDINでの展示を観ても犬オンリーの犬ジャケはほとんどなかった。猫ジャケは本が出てるくらいだから沢山あるんだろうけど、犬ジャケは絶対数が少ないんだろうなぁ。

先日レコード棚を見ていると不意に犬の顔が飛び込んできた。それもかなりのインパクト。加藤和彦『スーパー・ガス』だ。全くの盲点だった。久しぶりに聴いてみると内容もとても素晴らしい。イベント前に発見されなかったことが残念。でも、そんなもんだよな…

思っていたことは、いつもかたちを変えて後からやって来る。自分の想像とは違ったものとして、目の前にスッと現れるから面白い。そんな経験が多々あるので、物事が上手くいかないときも、その時を心待ちにしてのんびりと構える癖がついた。今回の話では少し大げさだけど。

それにしても、面白い音楽だ。特に『せっかちと』のパンク・スピリットに痺れる。これはまさしく、NEU!。つのだ☆ひろがハンマービートを叩いている。wikiによるとジャケのスーパーマンは、加藤和彦の知人が飼っていた「ガス」という名の犬。そう思えば、このアルバムのフワフワした謎めき具合は、ガスのよう。過度な吸引には気をつけよう。

(青柳)

Tuesday 26 June 2018

涼のとり方

 
 
もうすぐ7月とはいえ連日夏日が続く。洗濯ものをするには良いけれど、今は梅雨なのか夏なのか分からず、からだもこころも戸惑っている。動植物はどう思っているのだろうかと、ふと思う。暑さに強いわたしでもさすがにばてそうになる。そんなときの涼のとり方のひとつ。
 
昔、高松を訪れたとき街の物産館でちょうど丸亀団扇の展示を行っていた。そこで、購入したもの。竹の持ち手はかなりしっかりとしているし、柄もなかなかモダンで良い。
 
夕暮れ時に、うちわでゆっくりと扇いでみる。ふと空をみやると気分だけでも涼しげになってくるような気がする。即効性はないかもしれないけれど、こういったおだやかな涼のとり方もいい。
 
(my)

Sunday 24 June 2018

音楽の住む街

音楽との出会いは、人との出会いとよく似ている。
なんてったって、出会いは楽しいこと。

出会いを求めて自発的にレコード屋に行くこともあれば、ラジオでかかって思いがけず出会ってしまうこともある。
僕は記憶力に乏しいタイプなのだが、「音楽との出会い方」に関する思い出は、割と頭に残っている。
人と初めて会った瞬間って意外と覚えていませんか?特に自分にとって大切な人に関しては。

最近の音楽定額配信サービスにあまり関心がないのは、その音楽との出会い方が、僕には利便的過ぎて、味気ないから。ネットでCDを検索したら「これを買った人はこれも買っています」と教えてくれるのにも、どこかお節介さを感じてしまう。
それもこれも「音楽」を「人」のように思っているからだろう。

そう考えると自分のレコード棚が、僕の人生で出会った人々が住む「街」のように見えてきた。
僕にとって理想の街は、人種も性格も様々で、活気のある場所。
そんな街に住んだら毎日飽きることがない。

新しく街にやって来る人がいれば、たまに去って行く人もいる。
昔に一度だけ会ったことのある人に再会して意気投合することもある。
生きるうえの指針のようなことを教えてくれた先生達がいる。

棚からあふれるほど沢山のレコードがあるけれど、日常的に聴くものはとても少ない。
それらはおそらく僕の家族のような音楽なのだろう。
いつも安心して聴ける音楽。

「出会いは縁」。
それが全て。

(青柳)

Saturday 16 June 2018

Broadcast




ここ最近、Broadcastの音楽がぐっとくる。

このバンドがでてきた頃の感想は、なんとなくステレオラブフォロワーな感じかなとあまり派手さがないように感じ、特に注目していなかった。

20年位経ち、わたしも変わったのか、控えめで地味なものを好むようになってきたからか。今、Broadcastの音楽がすごくぴたっときている。(逆に、ステレオラブは昔ほどは自分とフィットしていないように思える。もちろん十分すてきな音楽ですが。)

積み重ねで、いろいろ音楽を聴いたりして、わたしの見方も多面体になってきたのかな。こういうのが年を重ねる楽しさかしら。

本も音楽も、印象がかわったり分かったと思う瞬間があって、それを感じると今までと見方も感じ方も違っておもえる。そんなことが醍醐味だとおもう今日この頃。

まだまだたくさん発見があるのが楽しい。

 (my)

Thursday 7 June 2018

古今東海道

BRANDINでのイベントに参加するために、先日滋賀から湘南まで車で移動した。いつもはすぐに高速道路に入るのだが、ナビに途中まで下道でも時間が変わらないと案内されたので、山越えルートを使ってみた。

昼食のおむすびを片手にのどかな景色を見ながら山道を走っていると、「近江商人感」が高まって来た。徒歩で野山を越え、遠い江戸まで移動していた昔の商人たちの姿が脳裏に浮かんだ。カーステレオで音楽を聞き、ナビで移動している現代人は随分とお気軽なもんだと思った。

山を越え、聞き慣れない「東員」という入口から高速道路に入った。辺りは高架工事の真っ最中。東海環状自動車道という大きな輪っか状の道が名古屋を取り巻くそうだ。久しぶりに高速で移動すると、日本のいたるところで道が拡張していることを知る。果たしてこれ以上便利になる必要性があるのだろうか?

伊勢湾岸道、新東名で御殿場まで走った。新東名の連続トンネルを通るたび、美しい山々に穴が開けられたことを痛々しく感じた。ハンドルを握っていると、かなり効率的に道づくりがなされていることに気付く。アップダウンを少なくし、最短経路で図面を引いた感じだ。それゆえに車窓からの景色は、変化が乏しい。そう思うと東名自動車道は、東海道の名残からなのだろうか、まだ元々の地形をなぞった印象があり、景色にも風情がある。

それにしても、人間の都合だけで、野山を削り、簡単に自然の地形を変えてしまっていいのだろうか?一度作ってしまったものは、もう元には戻らないのに… スピード・効率という分かりやすい判断基準だけではそろそろ無理があるような気がする。

地震で東名が通行止めになり、国道1号線で神奈川から滋賀まで移動したことがある。渋滞のせいで12時間以上かかった。音楽を聞き、ぼんやりと景色や国道沿いの店を眺めながら運転した。浜名湖近くの定食屋で昼ご飯を食べた。滋賀の山に落ちていく夕陽がいつもと少し違って見えた。

ゆっくり移動すると情緒や風情が増してくる。東海道五十三次を旅した昔の近江商人は何を考えながら歩を進めていたのだろうか。

(青柳)

Thursday 31 May 2018

ブランディン

藤沢に住んでいたときのこと。雑誌をぱらりとめくっていたら、とあるカフェについての記事を見つけた。そのお店は隣の市、茅ヶ崎にあるらしい。

ぴんとくるものがあり訪れてみたら、記事を読み想像していた以上にすばらしかった。そのカフェというのが、Music Library & cafe BRANDIN。

壁一面にあるレコードや本。落ち着ける居心地のよい空間。そして美味しいコーヒー。好きなものがいっぱいつまった夢のような場所をみつけて、とても興奮したのを思い出す。

ブランディンで過ごす日曜日の午後は、わたしたちにとって至福のひとときとなった。ライブラリーから本を選び、音楽を聴きながら、美味しいのみものをいただきくつろぐ時間。すてきなオーナーご夫妻といろいろおはなししたり。

そしてお食事付きで行われる夜の音楽イベントに行くのも楽しみとしていた。イベント自体はもちろん、お食事もおめあてだった。(すごくすごく美味しいのです!)いつも帰りに思うことは、音楽っていいなってこと。

神奈川から滋賀に越してきてから、ブランディンにふらりと行けない距離感を寂しく思っている。

(my)

【お知らせ】
そのブランディンで6/3(日)に行われるトークイベントに参加いたします。

期間中(6/1~6/15)、店内でスピーカーMONOを試聴することもできます。
よろしければ、お越しいただけるとうれしいです。

"DOGS @33 1/3r.p.m."|“HORA MEISTER’S VOICE"詳細

Sunday 27 May 2018

夢が叶うということ

20年以上探していたレコードを先日ついに手に入れることができた。無茶苦茶レアということもないのだが、今まで不思議と縁がなく、レコードショップでお目にかけたことがなかった。

その音源はずっと愛聴している。ロンドンに留学していた時、近所の図書館がそのレコードを所蔵していて、MDにダビングした。返却するときはとても名残惜しかったが、きっとすぐに見つかると楽観的に思っていた。それが簡単に叶わなかったことで、このレコードは僕にとって特別な存在になった。

時代は変遷し、音源はMDからmp3に姿を変え、幾度と無くその音楽を再生してきた。完全に耳に馴染むほど愛聴して来たが、自分の肌の一部になっているような感覚にならないのが、デジタル音源の持つある種の宿命的欠落感なのかもしれない。でもレコードでこれほどの回数聴いていたら、溝が無くなっているかもしれないな。

このレコードを所有している人に出会う度、僕のWANT LISTのトップだと話してきたが、みんなそんなに珍しいの?という感じだった。その度に、いつかきっと自分の手元にやって来ることをずっと夢見てきた。

その念願のレコードを先日ヤフオクで購入した。競うことなくリーズナブルな価格で落札。インターネットは夢を呆気なく叶えてくれた。

届いたレコードをよくクリーニングしてから、ターンテーブルに載せた。溝をこすって生まれる音はやはり、体にとても気持ちいい音だった。空間に浮遊する音をぼーっと聴きながら、夢が叶ってしまうことは、嬉しい反面、淋しさも同時に感じることを知った。

レコードを入手してから、毎朝起きたらすぐに聴いた。再生が終わると、毎回クリーニングして盤を磨いた。中古レコードは、溝についしつこい埃がとれるまで時間がかかることがあるからだ。

ある朝、聴き終えジャケットにレコードを入れようとした時、うっかり手を滑らして床にレコードを落とした。拾って盤を確認すると、くっきりと大きな傷が入っていた。自分のドジさ加減に呆れ、楽観的な僕でもさすがに落ち込んだ。針を落としてみると、音飛びは無かったが、A面数曲に渡って、いくら磨いても消えない「プツッ」という音が無数に刻印されていた。新しく自己主張の激しい演奏者を加えたように。

こうして、念願のレコードに悲しい記憶が刻まれてしまった。そのレコードはリプレス盤だったので、いつかはオリジナル盤を手に入れるという新しい夢が代わりにできた。

夢は夢のまま、簡単に叶わない方が良いのかもしれない、と自分を慰めることにした。次にこのレコードを手に入れるまでは、ノイズの乗ったこの音と付き合って行こうと思う。レコードの道は果てしない・・・

(青柳)

Saturday 19 May 2018

天体観測

ここ数週間で気になる星の動き。

80年代、小学生だったわたしの夢は天文学者になることだった。科学部にも入り、科学館のプラネタリウムに通っていた。いまはないかもしれない星の輝きが時空を超えて地球に届く不思議。分からないくせに、天文年鑑みたいなものもねだって買ってもらった記憶がある。

天文が気になった理由として、「うる星やつら」「銀河鉄道の夜」といった今ももすごく大好きなアニメ作品の影響もあったのかも。星の万博やハレー彗星、宇宙や天文、星というものも世の中的に流行っていた。ミーハーでテレビっ子だったわたしはそういったものもきっと嗅ぎ取っていたのだろう。

そんなことを、大人になったここ最近まで忘れていた。そして急に気になったホロスコープのこと。これって、いろいろ変わる転機なのかしら。

昨日、手紙を出すために郵便局に行ったら、特殊切手として「天体シリーズ 第1集」というものが発売されていた。パソコン画面でみるより、実物の方が格好良い。ホログラムできらきら光るのです。これからは切手で出すとき、これを使いたい。(1シート=10枚で買わなきゃいけないのは・・・だけど。)

そんなこんなでここしばらくは集中して星を読んで夜空に思いを馳せようと思っています。

(my)

Tuesday 15 May 2018

音楽との対話

音楽と自分との距離感に興味がある。

ずっと遠いと思っていた音楽が、あることがきっかけで親密な関係性になること。
そのトリガーは意外とちょっとしたことが多い気がする。

その音楽をより深く聴き、知ることで、自分に近くなる。先入観なく自由な気持ちで接することで、今まで感じなかったような一面が浮かび上がってくる。

音楽との対話。
自分自身と会話しているような錯覚を覚えることもあるから面白い。

(青柳)

Friday 11 May 2018

好き好き大好き

こちらに越してきたとき、ひきちガーデンサービスさんが書かれたオーガニックガーデンについての本を何冊も読んだ。野性味溢れる庭と荒れ果てた庭はもちろんのこと違う。自分たちの手で手入れしなくてはいけない。そのときは、ふーんそんなものかなと思っていた。

何回か季節がめぐり、庭の手入れをするうちに、生えている野草がいい感じになってきた。はじめ越してきた頃の背の高い単一感のする荒れ果てた感じから、年々種類も増えバラエティに富んできている。

今年は、なんと!生えてきたらいいなーとひそかに思っていたよもぎが生えているのを発見!野草というのは、その土地が気に入らないと植え替えても根付いてくれないから。

そしてわたし、すごくよもぎが好きなのです。おいしい蓬のお菓子はもちろんのこと、お灸のもぐさもよもぎからできている・・・すごい!

昨夜、やわらかい摘みたてのよもぎの葉を天ぷらにしていただいた。すごい野生の力を感じた。パワーが強すぎて、たくさん食べてはいけないものだなというのも思った。

今朝、なんだかすっきり調子がよいというか、効果があった気がする。野草がますます気になり、好きになってきた。

(タイトルは、戸川純の曲から。ここ何日かずっとこの曲のメロディーが頭をめぐっています。PVもいい。)

(my)

Wednesday 9 May 2018

レイン

朝からシトシトと雨が降り続いている。
大型連休がおわり、世界はいつもの日常へ。

雨水は草木に潤いをあたえ、雨音は人の心を鎮めてくれる。
この土地に住み始めてから、雨との関係性が自然と変化した。

連休中にあたりの田んぼには水がはられ、田植え作業が完了したようだ。
カエルの悦ぶ歌声が響き渡る季節。

(青柳)

Sunday 29 April 2018

Pleocene

世間ではゴールデンウィーク中。今日の気候はいっきに初夏を飛び越え夏になったよう。春なのに25度を超えていこうという歌詞も、今は30度に変えなくてはいけないかもしれない。

大型連休期間は基本的には特に変わらずどこかに出掛けるとかもなく、horaanaで仕事をしている。(会社員をしていたころのこの季節の高揚感は懐かしい遠い思い出。)自分にとって連休期間ぽい気分を味わえるのは5/4にショールームhoraanaで"open day"を行うこと。

普段はショールームは予約制をとっている。今春、horaanaでフェス「春本番」を行ったことをきっかけに、ショールームをリニューアルした。スピーカーをじっくり体験できるなかなかリラックスできる特別な空間に成長したかなと思っている。

(タイトルは、細野晴臣さんの曲名から拝借。文章の内容とはまったく関係ないのですが、今日何回も聴きました。個人的には特にシンセサイザーのメロディがぐっときます。)

(my)


Monday 23 April 2018

ものづくりって

HORA AUDIOホームページのリニューアル作業を1ヶ月間以上やっている。早朝と夜に時間を決めてパソコンに向かっているが、なかなか思い通りに進まない。本も見ないで、不慣れなウェブ製作ソフトをいろいろといじりながらやっているから、かなりどんくさい。ちょっと順調に行っているなと思ったら、ページが複雑になり過ぎてパソコンが動かなくなったりして、やり直しも度々。でも、こうやって手を動かしながらアイデアを膨らませていくやり方が肌に合っているから仕方がない。

普段やっているスピーカーづくりは「頭」より「手」や他の感覚を多く使っている気がする。もちろん全ての感覚は脳に繋がっているから厳密に言うと頭を使っているのだろうけど、パソコンや事務仕事とはなんか違う。順番が逆で「手」が「頭」より先に動いているのかもしれないな。

パソコンと木工作業で共通して思うのは「ものづくりは地味」だということ。すごく時間をかけて作っていても、その労力は完成したモノからはパッと見ただけでは伝わりづらい。面白いのは、上手く出来たもの程そういう印象を受けることが多いということ。苦労をさしおいて、元々そうであったかのように自立した存在に感じられたらとても嬉しい。

写真だけを見てインターネットで購入した商品にがっかりすることがある。写真は嘘をついてはいないけど、実際のモノがもつ情報量はデジタル化不可能なくらいに多いからだろう。

HORA AUDIOの製品が醸し出す「佇まい」をホームページで伝えたいと思っているけど、とても難しい。理想を追求しても無理かもしれないから、せめてホームページ作りのプロセスだけでも「手」と「頭」をふんだんに使った人間くさいものにしてみようと思っている。

(青柳)

PS. 今月中にリニューアルホームページを公開予定にしています。本当にあまり変わり映えしない感じですけど…

Saturday 21 April 2018

日日雑記#5

あっという間にあたりが新緑に。4月なのに初夏を思わせる日差しと気温。洗濯ものがはかどるのはいいことだけれど。時間感覚がわからなくなる。

植物はすごいなと毎日思う。

最近、環境のせいかだんだんこだわりがなくなっていく。前はどこどこの何々がないととか不自由だった気がする。今手に入るもので工夫して最善をつくすことに喜びを感じるように。身軽になって、自由な気持ちになっていく。いかに雑誌や情報、記号といったものに踊らされていたか。

いくつになっても、おもしろいこと興味深いことは尽きない。そのときによって、ぴんとくるものを追いかけていたい。

空高く2羽のとんびがうつくしい声で鳴きながら円を描いていた。昼間の月が背景に見えた。

(my)


Saturday 14 April 2018

えーあい


「AI」という言葉がここ最近いろいろなところで取り沙汰されていると思っていたら、すでに現実世界に形となってかなり浸透しているようだ。

「Artificial Intelligence = AI」という言葉をはじめて知ったのは、四半世紀前、大学生の時に買ったWarp RecordsのコンピレーションCDのタイトルからだった。今では死語と化した「インテリジェント・テクノ」というリスニング向けのテクノミュージックがあると知って買い求めた。それまでもKraftwerkやYMOなどのクラシック・テクノはお気に入りだったが、現代的な四つ打ちテクノが自分の好みかどうかについてはかなり懐疑的だった。

冒頭の "The Dice Man" によるトラックを聴いた瞬間、新しい世界が広がったような気がした。「人工知能」というタイトルから連想していた「無機質さ」や「冷たさ」とは対極にある「温かさ」をその音から感じ取った。

この曲をきっかけにRichard Jamesという存在を知り、Aphex Twin、Polygon Window、AFX等の別名義音源を買い漁ることになった。結果として、このコンピレーションとの出会いによって、テクノワールドにどっぷり浸かっていくことになってしまった。Autechre、Richie Hawtin、Alex Patersonといったキーとなるアーティストが多数参加していたのも功を奏したのかもしれない。

久しぶりにMONOでこのCDを聴いてみた。
最初の印象のままに「人肌テクノ」で嬉しくなる。

こういう音楽に接すると、ものづくりにおいて、テクノロジーが新しいか、古いかはあまり重要な要素ではないと思ってしまう。肝となるのは、結局「作り手のこころ」。そこに同調するかどうか。

現在の「AI」技術の背景には、もちろん「人」がいる。多数の人が関わって作っているからか、その「こころ」がかなり感じ取りにくくなって来ている気がする。もうすでに「AI」が新しい「AI」を作り始めているのなら、正直もうゴメンという気持ちになってしまう。

(青柳)

Thursday 5 April 2018

昭和の料理本

最近、庭仕事(こちらを参照ください>園芸家12ヶ月) と同じく夢中になっているのは昭和の料理本研究。時期は1970年代から80年代にかけてのもの。当時はスパイスや調味料も今より手に入りづらかったのだろう。ベーシックなものが多く、かえっていい。

もうなかなか手に入らなかったり、古本市場でも高値のものも多いので、もっぱら図書館で借りている。もちろん書庫に入っていたり、所蔵していないものも多いので、取り寄せてもらっている。これが楽しい。特にお菓子本。

スタイリングもとても贅沢で夢のおとぎばなしのようなものも多く、ケーキのデコレーションも過剰。特に文化出版局、鎌倉書房の本がぐっとくる。

入江麻木、佐藤雅子、ホルトハウス房子等、本を広げる度にわくわくする。西洋に対して憧れがあった時代。物語のようなすてきな世界が展開されているのは西洋料理本が多いような気がする。

実際は、西洋料理より和食のほうが興味あるしだんぜんつくるのは季節に応じた地元の食材を活かした和を中心とした料理。それでもひさしぶりこういったなつかしいこってりとした料理をつくってみようといった気になる。きちんと手間隙かけてつくる料理が掲載されているのも好印象。あいだにはさみこまれているエッセイも良いものが多い。食に関する本が好きなわたしにとっては、それも嬉しい。

(my)

Sunday 1 April 2018

場が成長するとき

先日開催した『春本番』をきっかけにhoraanaが一気に成長したようだ。

初めてのフェスだったので、建物・敷地全体を使えるように色々と手を入れることにした。結局予定の8割くらいしか達成できなかったが、空間や空気の流れが大きく変化したようだ。

物の配置がひとつ変わると以前と全く違う空間に見えるから面白い。ずっと好きじゃなかった土壁の色がハッとするくらい美しく見えたのには驚いた。どんな関係性もとても繊細なバランスの上に成り立っている。関係性の変化が次へ次へと波及していく。その流れを読み取って、より自然になるようにしていきたい。

horaanaの成長はしばらく続きそうだ。そういう時期なのだろう。オープンしてからちょうど2年というタイミング。
春がやってきて草木がニョキニョキ土から顔を出しているみたいだ。

(青柳)

Monday 26 March 2018

春の空気

今日、スーパーマーケットからの帰り道(田圃の畦道)を自転車で通っていたとき、空を見上げてまさしく春本番の季節ということに気付く。

今日は「春本番」の余韻にひたっている。気付けば、あっというまに夕方に。のんびりムードの空気がまだ体感として残っている。そしていろいろ感謝の気持ちでいっぱいになる。

(my)

Tuesday 20 March 2018

あたたかい高揚感

今年の冬はとても寒かった分だけ、春がやって来るのがいつもに増してとても嬉しい。
先週はにわかに5月の気候になったりしたが、今週は冬に舞い戻り。このまま先走って、いっきに夏になってしまったらどうしようと心配するほどではなかった。
近づいたと思ったら遠のいたりするのが春の到来。そう簡単にやって来てしまうのもありがたみがない。じらされて、またじらされた末に、春を実感したい。今週末のhoraana「春本番」がまさしくその時になったらとワクワクしている。
このあたたかい高揚感。
日本人が春を新年度とした気持ちがよく分かる。

(青柳)

Saturday 17 March 2018

日日雑記#4

土曜日はできるかぎり近所のスーパーマーケットに出掛ける。とれとれ市という名で魚の新鮮なものが手に入るからだ。(ちょっとした楽しみのひとつ。)今日もそのスーパーに向い、駐車場にさしかかるところで、ラジオから斉藤由貴「卒業」が流れ始めた。おもわず駐車場に停めて、聞き入る。(去年の今ぐらいの季節、この曲にまつわるブログを書いた。>卒業

最近、片山廣子「燈火節」という本を知る。久しぶりどきどきする本。(わたしにとっての森茉莉、須賀敦子クラス。)真夜中前、しんとした静かな空気のなか、ゆっくりとすこしずつ読むのがときめく。片山廣子のことが知りたくて、娘についての評伝まで読んでしまう。熱に浮かされたような春の出会い。

パンケーキではなくホットケーキが食べたくて、おやつにつくった。両者の違いはいまいち分からないけれど、個人的にはホットケーキの方がぐっとくるのはなぜか。

ちなみに今日のお昼はナポリタン。本格的イタリア料理になりすぎないよう、なるべく喫茶メニューっぽくつくってみた。(例えば、にんにくは入れないとかウスターソースやケチャップを入れるとか。食べるときに緑のケースに入った粉チーズやタバスコをたっぷりかけるとか。)

春本番、季節はめぐる。

(my)

Tuesday 13 March 2018

ホラー対決 at horaana



たまたま最近、武満徹の映画音楽『四谷怪談』とデヴィッド・リンチ『イレイザーヘッド』を数日置いて聴く機会があった。同じホラー映画のサントラでも全然音から受ける印象が異なっていてたいへん興味深かった。

共通しているのは、生活音の中にスッと入ってくる奇妙な音を効果的に使っているところ。背後から音がしたような気がして、振り返ってしまうような。これはステレオを超えた3D音響の世界ともいえる。それがさらに、ある音が4D的に感じられた瞬間、人は恐怖を感じるのかもしれない。(『四谷怪談』はモノラル録音なのが驚き)

今スピーカーに向かって、2つのサントラを聴き比べているとぜんぜん怖くない。先日は作業をしながら背中越しに離れた場所で聞いていたら、「音だけでこんなに恐ろしいとはスゴイ!」って興奮するほどだったのに。ともに素晴らしい作品だから、リスニングに集中するとどうしても音楽的に感じられてしまうのだろう。

個人的には、『イレイザーヘッド』の方がコワイ。ずっと聴いていたら精神が壊れてしまいそうだ。僕の日常音からあまりにも異質過ぎる。ピーター・アイヴァースの歌う "IN HEAVEN" は美しいが、現実から浮遊していて、白昼夢を見ているようだ。初の長編映画でこんな音響を作り出すなんて、リンチの非凡さに脱帽。

うってかわって『四谷怪談』の音は、日本の音世界。尺八の音で幽霊が登場することにホッとする日本人の僕がここにいる。西洋楽器も多用(プレイペアード・ピアノも!)されていてそのミックス具合が絶妙。音楽的にも音響的にも楽しめる。

建物の外に漏れる『四谷怪談』の音が、horaanaにハマり過ぎて怖かったと部屋に入ってきた妻が言っていた。音を怖いと感じるとき、そのシチュエーションがキーになるのだろう。そもそもふたつとも映画のサントラなのだから、映像と合わせて聴いてみてからどちらが本当にコワイか判断することにしよう。

(青柳)

Monday 12 March 2018

園芸家12ヶ月

庭仕事なんて、興味がなかった。というか、できないと思っていた。

実家のベランダは遠くからみて分かるくらいに緑がいっぱい。(わたしは一切タッチせず。たまに頼まれて水をあげるくらい。)また植物園に行ったり、緑あふれる公園を散歩したり。お花を眺めたり。そんなことは好きだった。

土いじりとなると、苦手な虫やなめはいるし、こまめに手入れしなくていけないし向いてないなと思っていた。得意な人がやったらいいやん、わたしは眺めるだけ、それでいいのだという心境だった。

ところが、ここに越してからどんどんそういったこと(庭仕事、畑仕事)に興味がでてきた。気付けば、園芸の情報をチェックしている自分がいる。溝掃除をして、狸が出てきて以来(経緯は狸御殿をご覧ください)、勢いづいて夢想していた状態から、やっと現実的に庭仕事にとりかかっている。

ここには玄関あたり一面に、草が伸びるのを防ぐために、人工的な白い石が敷き詰められていた。ある意見により、これを取り除いたらいいのではということとなり毎日少しずつ取り除いている。それだけで、庭の印象はぐっと良くなってきたのだ。目指すところは、伝統的な日本家屋にある苔の玄関。憧れ、夢見る。

園芸としては、古典園芸種に興味がある。江戸時代の花を描いた画集を図書館で借りたことがあって、美しかったから。そして、野草や薬草、植樹。初心者なりに、盛り上がっている。

むかしはほしいものといえば装身具が多かったのだけれど、苗木とかがほしいなんて・・・。変わるものだなぁ。

10代のころ、カレルチャペック「園芸家12ヶ月」という本を読んだ。ぜんぜん理解できなかったけれど、今読んだら面白いのかもしれない。本棚を探してみよう。

追記:宣伝なのですが、horaana journalが再開しました。この記事にすこし関係している話題について載っています。よろしければご覧いただければ嬉しいです。

(my)



Wednesday 7 March 2018

遠いむかしがここに

近所にありながらなかなか行けずにいた太郎坊宮に先日ついにお参りすることができた。車で近くを通るたびにそびえ立つ山のただならぬ存在感に圧倒されていた。神聖な場所ゆえ、自分の気持ちが熟成するまで訪れるのを待っておこうと思っていた。それがある日、近所に用事があったこともあり、なんとなく行ってみようかな、と軽い気持ちで思うことができた。

実際に訪れてみると想像以上に迫力のある岩山。岩が生き物のようだった。大きな岩だけでなく、転がっている小石も呼吸しているような印象を受けた。天狗の太郎坊さんが守っている夫婦岩のすき間を通り抜けた時は、時空が変化するような不思議な感覚に。岩の間から空を見上げたときのふたつの岩が切り出した帯のようなブルーグレーの空が忘れられない。
  
神社にあった案内板によると、この岩山は約7000万年前に起こった湖東カルデラの噴火によってできたという。地図をみると、琵琶湖の3分の2くらいの大きさの噴火口。現在の琵琶湖を取り巻く山々はその時の名残のようだ。恐竜がいたような時代に起こったとんでもない規模の大爆発。これくらいの大きさの噴火が起きると地球規模で気候に影響があったらしい。

horaanaもその噴火口の中にあった。想像を絶する遠い昔の出来事だけど、日頃庭いじりで土や石を触っていると、今の僕もその噴火エネルギーの恩恵で生きているのが実感できる。むかしがここにある感覚。これから土堀り作業が考古学者気どりになってしまいそうだ。

(青柳)

Thursday 1 March 2018

狸御殿

ずっと気になっていた敷地横にある溝掃除。かなり範囲が広く、やらなくてはなぁ・・・と思いつつ、雑事に追われ後回しになっていた。

ここhoraanaのある敷地は、石垣で高くしたところに築かれている。敷地から階段で降りるようになっており、それはカワトという名の場所であるそうだ。今U字溝になっている場所は、昔は小川が流れていて小鮎がいっぱい泳いでいたと聞く。今は、そこはただコンクリートで固められた溝となっている。

先週、今やらなくては!というおもいに駆られ、溝掃除に着手した。やはり思っていたより大変で1日では終わらなかった。雪かきに似ているが、腕に残る感触が違う。

溝の奥は藪になっている。(引っ越してきてから一度も踏み入れたことがなかった場所。)そのあたりが一番泥が溜まっていた。藪を手入れし、その前になにか茶色い細長いものが立って埋まっているのが見えた。

なんだろう??それは古い信楽焼の狸だった!今のものと違って、表情を可愛くしていない。(リアルな感じ。)洗って、玄関側に置いた。(horaanaにいらしたら、います。)

作業を終えて、体は疲れたけれどどこか心がすっきりした気がする。狸に呼ばれていたのだろうか。不思議なこともあるもんだ。

(my)

Sunday 25 February 2018

世界はレコード盤のように

前回のブログで筆不精を克服したと書いたとたん、1週間以上ブログから遠のいてしまった。
何事もおおきく公言してしまうとあとで後悔することになるのかな。そんな気もするけど、以前よりは実際ましになっていることだし、良いことにしよう。

ほんとあっという間に時間が進んで行く1月と2月。12月の師走も入れると3ヶ月間、33回転のレコードを45回転でかけ間違えているような気分だ。いつもよりビートは速くなるし、歌声はうわずっている。でも音質は良い。そんな感じ。

さらにSP盤と勘違いして78回転でかけなくてよかった、と思うことにしよう。ここまで速く時間が進むと全く別の世界になってしまう。ターンテーブルじゃなくて、蓄音機で電気を使わずに、さらに鉄針で78回転再生してみると結果は逆になるかもしれないな。のんきな世界が現れるんだったらぜひ試してみたい。

(青柳)

Friday 16 February 2018

暦の不思議

なんだかわくわくする気持ち。特別な気分。

春を感じる暦の不思議。同じようで違う一日のように感じるのは、今日が何の日か知っているからでしょうか。

ゆっくりネルドリップで淹れた珈琲を飲みながら、これからどんなことがやってみたいのか考えてみました。状況が揃うまで我慢して何もしないより、今できることそれが些細なことでも行動していくことが大事だと最近今更ながら気が付きました。そう思えるまでに、今までかかってしまったけれど。目的地に到達する時間も、その寄り道のような時間も味わい楽しむこと。そうしていこうと思います。

(今日の文章は、今読んでいる熊井明子さん「私の部屋のポプリ」に影響を受けています。すぐに影響を受けるわたし・・・。我ながらわかりやすく単純やわ。)

(my)

Tuesday 13 February 2018

苦手を習慣にするには

ブログをリニューアルしたのが去年の2月。ちょうど一年経ったということに気づいた。一年前がとても遠い昔のように思える…

幼い頃から日記を毎日コツコツ書くのがとにかく苦手だった。小学校の頃は夏休みの最後の1週間に捏造日記を書くありさま。文章以外のことだと日々同じことをやることも嫌いではないのだけど…自分が好きなことだと自然に続けられるが、気持ちに負荷がかかる億劫なことを続けるのができない、というとても明快な理由。

統計を見てみるとこの一年間のブログ数は234。打率で言ったら6割4分。3分の2の割合。後半ペースは落ちたからこの結果だが、前半はほぼ毎日アップしていた。

習慣になった秘訣は、ブログを妻と交代制にしたこと。自分ひとりだといくら強い意志で始めたところで、今までと同じ結果だったと思う。僕が書かない限り、妻はやりたくてもブログができない。バトンはなるべく早く渡してしまいたい、ずっと自分が持ちたくない。そのちょっとした意識が習慣になるきっかけとなった。回を重ねるにつれ、妻のブログが楽しみになり、早く次回が読みたいという気持ちも生まれてきた。そうしたら自然と日常のひとつとなっていた。

苦手なことを習慣にするには何か上手い仕組みを作るのが良いのかもしれない。その仕組みは意外と自分の頭で考えない方がうまくいくのかも。克服したいことがたくさんあるけど、次は何にしようかな。

(青柳)

Friday 9 February 2018

和菓子

昔はだんぜん洋菓子派だった。以前住んでいた阪神間は、全国的に洋菓子のレベルが高く、手頃な値段でたいそう美味しいケーキやらがたくさんあった。(よって、高くておいしいのは当たり前やんという価値観に。)およばれより日常的な感覚。

こちら彦根に越してきて、洋から和の暮らしに変わったら、風土に影響されたのかいままであんまり興味のなかった和菓子が断然気になるように。生クリームが好きだと思っていたんだけれど、実はあんこ好きという事実に自分でもびっくり。

若菜晃子さんや畑主税さんの本を片手に、全国のいい感じの和菓子屋のお勉強。(気になったら、まずはその分野の本を読むのです。)「一日一菓」という本も、眺めているだけでわくわくする気持ちに。

もちろん滋賀にも気になる和菓子がいろいろある。たとえば畑さんの「ニッポン全国 和菓子食べある記」ではじめて知った愛知川の老舗和菓子屋。もう少しあたたかくなったら自転車を漕いで行ってみたい。

(my)

Tuesday 6 February 2018

月がおしえてくれたこと


今日は特に月が美しいと思っていたら、特別な夜だと知った。それも150年ぶりの月。前回とだいたい同じ時に建った家から眺めるのも感慨深い。

その日の昼下がり、レコード棚を見ていたら、Beach Boys "Pet SoundsとMy Bloody Valentine "tremolo ep" が目に入り、無性に聴きたくなった。仕事が終わってからゆっくり聴こうと思って、ターンテーブルの近くに置いた。ぼくにとってのベスト「月の曲」が両方のレコードに収められている事に後から気づいて驚いた。

晩ごはんを食べながらNHKラジオを聴いていたら、不定期番組「ムーンライトシャワー」が始まった。今日はこの特別な月に合わせての放送だろう。粋な計らいだ。DJイワサキ氏による昭和的な一人語りとイージーリスニングな選曲がいつも良い。

Chet Bakerによる"My Funny Valentine"が流れた。今宵に聴くとほんとうに月でChetが歌っているかのようだ。そういえば、赤い月形のソファに女の子と楽しそうに座っているジャケットのChetのアルバムもあったっけ。

食後にずいぶんと小さくなった月を確認してから、マイブラの "moon song"を聴いた。"honey power"からの繋がりが好きなので、B面最初から針を落とした。心なしいつもと異なる味が混ざっている。不意に"My Bloody Valentine"  が"My Funny Valentine"を文字っていることに気が付いた。("My Bloody Valentine" という変な名前は、初期メンバーがカナダのB級ホラー映画のタイトルから拝借したらしい。)この関係性に気づくことは不思議と今まで一度も無かった。今日の不思議な時間軸が、僕の頭に何かを送信してくれたのかもしれない。

Beach Boys "Let's Go Away For Awhile"がもう一曲の月ソング。初めて乗った飛行機の窓から雲の上に輝く夜月を見たとき、この曲の音が脳内に再生された。そろそろ一時的に月が完全に消えてしまう時間。曲名さながら、しばらく月がどこかに行ってしまったかのようだ。

特別な月の夜、ぼくは不思議な気づきの巡り合わせに驚いたけど、スーパーブルーブラッドムーンにとってはこれくらいのことは、ごく普通な出来事なのだろうな。

(青柳)

Monday 5 February 2018

立春

1/31は皆既月食を眺める。スーパーブルーブラッドムーンは152年ぶりだそう。horaanaの建物は、150年位経つといわれているのだけれど、だとしたら2回目と思うと時間ってすごい。赤銅色にかわる前に、雲に覆われてわからなくなった。

2/3は節分。巻き寿司をつくって食べた。理想としては下村の穴子を入れたかったけれど・・・結局野菜のみのお寿司に。豆まきもしっかりした。

そして、昨日立春を迎えた。気持ちの上では、新しい年気分になりたい。

このブログもはじめて1年経つ。これからは、かっこつけ文章から卒業したい。(わたしの好きな文章は、抑制のきいた硬質なものが多くそういうのに憧れていたのです。だいぶん格好つけてブログを書いていたかもしれない。でも・・・そういうのあんまりやなというかおもんないなというかだれや??と思うようになってきています。赤裸々過ぎるのもどうかと思うけれど。言葉ってむずかしいな~。)今後ともよろしくお願いします!

(my)

Wednesday 31 January 2018

WINTER SOUNDS NO.2

東京で大雪というニュースを聞いて、彦根では今年はあんまり降らないなと思っていた矢先に、一晩でどっさり50cmくらいの積雪。なめたらあかん。

雪が降ると世の中がシンと静まるのが好きだ。雪が音や空気中のゴミを吸い取って静かに地面に落ちていく。雨だと音が多少はするけれど、雪はとても軽やか。

冬の音の良さについて、前回のブログからいろいろ考えている。雪の日の静けさはひとつの良い事例だと思う。「静寂」が音にあたえる影響はとても大きい。まわりが静かだと、繊細な音までよく聞こえるし、必要以上に大きな音で音楽を聴く必要もない。本当に良い音を追求するなら、静かで綺麗な空気がある環境が不可欠だと思う。こればっかりはオーディオ機器でどうすることもできないことだけど。

冬は頭が冷やされて、シャキッとしているのも音がよく聴こえる原因だと思う。いいかえると、自分の知覚の感度が上がっているということ。なんだかんだ言って、良い音と判断するのは結局、自分の感覚。これもオーディオ機器とは関係ない世界。

冬が、音が良く聴こえる「環境」を作り出していることに気づく。良い音を求めるのなら、まずは環境を整えたほうが効果がありそうだ。自分の感覚もなるべく高めておきたいけど、一体どうやったらいいのだろうか?

(青柳)

PS. ノルウェーのオーディオショップ ”HAGTO audio" でスピーカーMONOが試聴いただけるようになりました。美しい自然に囲まれたまさしく音の良さそうなショールーム。一度訪れてみたいものです。

Monday 22 January 2018

雪の日

昼過ぎには雨混じりだったが、先ほどから本格的な雪となった。ぼーっと中庭を眺めていたらやはりというかまたたくまに積もりだす。普段から静かだけれど、特別にしんとしている。高校時代、教室の窓からみた雪を思い出す。思えば遠くにきたものだ。時間と記憶の不思議。

これは明日は雪かきだな・・・。体力を温存して、はやめに寝なくては。(こういうときに限って夜更かししたくなるのだけれど。)

(事務仕事をしている机から眺める風景)

(my)

Sunday 21 January 2018

WINTER SOUNDS

冬って音いいなぁ、とふと思う。
キメが細かい感じ。音は空気の動きだから、気温や湿度が関係していて当然。

2年前にオオルタイチさんと東北ツアーに行った時、音の聴こえ方がぜんぜん違うと思った。気分的なものかもしれないけど、北に行くほど、音が良く感じられた。
日本でも世界でも北国でオーディオが盛んなのは、冬籠りのせいだけではないと思う。クリアな音が日常的に耳に届くと自然と耳が肥えてくるのかも。

音を良くするためにオーディオルームに冬でも冷房を入れる人がいたら凄いな、と想像してみた。ツワモノ揃いのオーディオマニアの世界でもそんな話聞いたことがない。冬が音がいいというのも、一般的な話ではなく、僕の勝手な思い込みかもしれないな。今度ちゃんと調べてみよう。

(青柳)

Thursday 18 January 2018

わが道 もの選び編

昔は洋服選びでも失敗したくないなと思い、すぐに意見を求めていた。要領良く最短で間違いのないもの選び。雑誌に載っているマストアイテム。今では分かる。そんなものは幻想だ。

レコードでも本でも、手元のちいさな機械から、他人の批評がすぐ分かる。ちょっとみてみたいな~という誘惑にかられてしまうときもない訳ではない。それでも意見に左右されたくもないし、野生の勘を摘み取る気がして・・・結局はできるだけみないようにする。

身銭を切って自分で選ぶ。しまったと思うこともあるけれど、大事なことはそれを活かして積み重ねていくことと、心底思う今日この頃。

(my)

Sunday 14 January 2018

I LOVE VALOR


外にいるのととあまり変わらないくらい寒いhoraana。昔の農家建築は、家にとってダメージを受けやすい夏の気候に合わせて、空気が循環するように作られているから仕方がない。そのかわり夏はクーラーが要らないくらい涼しい。でも冬は大変…

ガンガンにストーブを焚いても外気が入って来るので、意味がない。結局一人一台のストーブを火鉢のように使っている。かなりの至近距離に置くので普通の石油ストーブだと熱すぎる。valorというイギリスのメーカーが作っていた古いストーブが火力が弱く、燃費も良いので丁度良い。

valorストーブのような物をもう一台増やそうと思って色々探したけど、なかなか見つからない。こんなにあったまらないストーブ、時代遅れなんだろうな。

結局オークションでvalorの2灯式を見つけて購入した。今までのは円筒形だが、今回のは箱型。内部を見て分かったが、今まで使っていたストーブと全く同じ部品を使っている。タンクは一つで、点火する筒が2本生えている。

2倍の暖かさになるということか!と喜んで2本に点火したが、それほどでもない。新しいvalorは熱を上でなく、前に放出する構造だから、暖かさの質がことなる気がした。ふんわりとした熱が良い感じ。

寒さに応じて点火する筒の本数を変えて温度調節できるのも画期的、というかかなり原始的だ。valorは初めて使う人には火加減が難しいストーブ。コツをつかんで、まめに手入れをしていれば、綺麗なブルーフレームが生まれる。超シンプルな作りなので、メンテナスすれば一生物だ。

こんなに可愛いストーブ、なかなか無い。手がかかっても素直な子ほど愛おしいものなのだろう。

(青柳)

Wednesday 10 January 2018

達成感

プリンが好きだ。しかし、今まで手づくりして納得いくものができなかった。甘い具なし茶碗蒸しのようになってしまったり。カラメルが特に難しかった。一度飛び跳ねた高温の砂糖水が手についてめちゃくちゃ熱くて、怖くてトラウマになっていた。

今回、秘訣をきき再チャレンジ。何度もやってみてできなかったカラメルソースが今日はコツを聞いたせいか、スムーズに。かちっとギアがかわるようにこれまでと違う感触。これは会得したのではないかという瞬間。

スペインの素焼きの型に流し込む。オーブンで蒸し焼きに。はじめて自家製プリンの納得いくものができた。美味しいと同時にすごい達成感。

なんでも習得するには、しつこさと秘訣(情報)が必要だ。挑戦して、あきらめずにやっていたらふとした瞬間にできるようになるのだろう。地道にこつこつと、羅針盤を持ちつつ。

[追記] わたし好みのプリンが出てくる喫茶店は、鎌倉ロンディーノと京都スマート。昭和っぽい日本のプリンが理想です。

(my)

Sunday 7 January 2018

もち型のおと

おせちと日本酒にくわえてお正月の楽しみになっているのは、もちをたくさん食べられること。こんがり焼いてのりと醤油で食べるのが好きだが、お雑煮でお吸い物に入ってしっとりした感じもまた良い。主張しない奥ゆかしい味もよいが、もちならではの触感が最高だと思う。ねばりがあってコシがある絶妙なかたさ。他にありそうでないような気がする。

音楽を聴いていて気持ちいい音だなと感じるとき、中低域にコシのような感覚がある場合が多い。そのコシ具合はいろいろなパターンがあるのだが、まだ分類できる程には研究が進んでいない。でも、ひとつだけ前から分類に入れたいと思っているのが、「もち型」。もちの触感に似た独特のグルーブ感を持つサウンドだ。

代表例は、まりん(砂原良徳)の『LOVE BEAT』。まりんの全ての作品がそういうわけではなく、『LOVE BEAT』以降が「もち型」に入る。「もち型」の音がすごいのは、どんな再生環境でもよい音で聴こえること。カーステレオでも安いイヤフォンでもそれなりに気持ちいい。

このお正月に実家近くのレコード店でまりんの『WORKS '95-'05』が中古で見つかったので買ってみた。DISK 1はファーストから『LOVE BEAT』までのアルバムから選曲された11曲、DISK 2はリミックスワークを集めた15曲というたっぷりとした内容。曲順が年代順になっているので、いつ「もち型」のサウンドになったのかを分析できてとても面白かった。

分かったのは、突然「もち型」になったのではないということ。徐々にサウンドにおける「もちつき」が始められ、LOVE BEAT期に完全に「おもち」として完成した印象を持った。

まりんサウンドの「もち成分」、そして「もちつき」作業がどんなものであるのか知りたいが、そう簡単に分かるものではないんだろうな。「餅は餅屋」ということだし、まりんにまかせておくのが一番なのかもしれない。

(青柳)

Saturday 6 January 2018

わが道

情報やうわさばなしなんて当てにならないと痛感。知っているつもりなのに、判断が揺らぐときもある。そんなときは情報のノイズで直感が鈍っている証拠。

自分がどう感じるか、どう思うか。なにについて、楽しいか美しいか心地よいとかは、わたしにしか分からないこと。まわりのことばや情報に惑わされたり、一喜一憂をするのではなく、自分の感覚や気持ちを信じてやっていこうという新年の決意。
(もちろんそれを他人に押し付けてはいけない。)

(my)

Friday 5 January 2018

お正月といえば

新年あけましておめでとうございます。
本年もホラオーディオをどうぞよろしくお願い致します。

おとなになってから、お正月が大好きになってしまった。
理由は、おせちと日本酒が最高だから。こんな豪華な和食と日本酒を日中からたらふく頂けるなんて、一年でこの時しかありえない。

滋賀に来てから和食・日本酒が身に沁みて美味しく感じる。自然に近い、土地に根ざした生活を送っているからだと思う。日本の四季と食の関係性が、なんとも絶妙だということを知った。

元旦に実家で色とりどりの重箱を眺めながら、昔の人たちがどういう思いでおせちを作っていたのか想像した。これほどまでに豊かな日本文化を作り上げた昔の人たちに敬服する。

来年は薄暗いhoraanaの空間でおせちを味わってみたい。きっと視覚効果が高まって、より美味しく感じるように思える。

(青柳)