Wednesday 27 May 2020

パーティ会場は桑の木

すこしまえから、空き地にある桑の木にむかって様々な鳥たちが飛んできて、歌ったりなにやら楽しそうな様子。まるでパーティ会場のよう。

みにいってみると、桑の木に実がたわわに実りはじめている。美味しそうに熟しているものもある。これが目当てなのかな。

ふとその日の七十二候を調べてみると”蚕起食桑”だった。暦ってすごい。暦を知らないでもしっかり桑の実がなるのを知っている鳥たちはもっとすごい。感心してしまった。

今日も、鳥たちのパーティはまだ続いているようだ。その歌声も響いている。桑の木は風に揺れている。みんな嬉しそう。それをみているわたしにもその気持ちのおすそわけ。

(my)

Monday 25 May 2020

スマイル

「村上RADIO」の特番が先週放送されたニュースを知り、聴き逃しサービスを使って聴いた。いつもと違い金曜夜10時から、しかも2時間番組だったようだ。『ステイホームスペシャル』。今だからこそ、の放送だ。

村上さん自身もステイホームで収録したらしい。ご自分のオーディオを使って録ったと聞いて、スペシャル感がグッと増す。コロナ状況下の今を生きている人たちに向けた、希望にあふれた選曲、冗談を交えたお話しに心が和み、温かくなった。村上さんと同時代を生きていることを嬉しく思った。

エリック・クラプトンが歌う『スマイル』が紹介された。たくさんの音楽家がカバーしていることは知っていたが、これは初めて。僕が一番なじみ深いのは、細野晴臣さんのヴァージョン。『HosoNova』のライナーノーツを読んでチャップリン作曲であることを知った。

ラジオのおかげで、ナット・キング・コール、マイケル・ジャクソンの歌をこれまでに聴くことができた。ネット検索してみると、時代を問わず愛されている曲だということがよく分かる。元々はインストゥルメンタルのこの曲に歌詞が付き「うた」になったそうだ。

歌い継がれる「うた」。
「うた」とは一体何なんだろうか?とよく考える。
ふと、作曲者の「こころの結晶」のような気がした。
チャップリンの心が、コロナ禍におかれた現代人の心と同調する。
ただただ美しい。

(青柳)

Wednesday 20 May 2020

漱石先生とわたし

はじめての出会いは小学生のとき。私にとって縁がある土地で先生をしていたことがあるとかで旧居等ゆかりの場所があった。古い日本家屋や小説の舞台になった場所を訪れた。

思春期の頃、本を読んでみたがあまりよくわからなかった。はじめの一冊に王道のものではなく、かなり難解なものを選んでしまったせいか。(思春期っぽいな。)あとは教科書で読むくらい。すごいのはなんとなくわかるけれど、そこまで興味を持つこともなかった。

20代のころ、自ら望んでロンドンに住んだ。それなのに、到着後数カ月ほど鬱っぽくなってしまった。すごいスピードの英語、鬱々と冬に向かう空、実家をでていきなり海外に住んだこと。勝手に心の友としていた。(もうひとりは亡命中時代のカエターノ。)そのあと鬱から抜けるとロンドン生活を最大限満喫し、その気持ちを忘れてしまった。

そして、今。意外と読んでいなかったなと、ふと「猫」を読んでみて、あまりの面白さに驚いてしまった。約150年前に生まれたひととは思えない感覚。現代っぽいというか普遍的なのだろうか。そして作品のみならず評伝や研究書までも読みたくなってきている・・・。再発見できたという、なんだかうれしい気分。

(my)

Sunday 17 May 2020

機械だって

寝室で使っているラジオチューナーの調子がいまいち良くなかったので、一度内部を見てみることにした。ノイズが入りやすくて、少し時間が経つとチューニングがズレていく感じ。

7年前くらいにリサイクルショップで購入したとても古いTRIOのチューナー。ジャンク品で1500円だったと思う。コンパクトなサイズとシンプルなデザインが気に入って、ダメ元で購入したら、ちゃんとラジオが聴けて、こんなに古いのに凄いなー、と感心した。

それ以来、ラジオはチューナーで聴くようになった。ネットラジオも試してみたけれど、どこか音質的に物足りなく感じてしまう。レコードと一緒。ノイズは入ったりするが、アナログの音質は体感的に気持ち良いものだ。

チューナーの箱のネジを外して、電気的なことは分からないので、内部のホコリ、サビを可能な限り取り除いた。ついでに塗装が剥がれていた場所も補修してから、ボリュームノブを外して徹底的に全体を磨いた。元どおりに組み立ててみると、見違えるように光っている。あー、早くメンテナンスをやっとけばよかったと後悔。

寝室に運んでラジオをつけてみた。あれっ、音が良くなった。ノイズも少なくなっている。機械的な修理は何もやっていないのに、不思議なものだ。愛情をかけると機械もちゃんと応えてくれることを学んだ。人と道具の関係。いつも気持ち良い音楽を届けてくれて、感謝です。

(青柳)

Wednesday 13 May 2020

季節の色

季節に応じて、さまざまなテーマカラーがあることを知った。
今のような自然にあふれるところに住む前は、気づかなかったこと。

5月というのは、若々しい色にあふれている。
そして咲く花で印象的なのは、薄い紫色。
代表的なものは藤の花だが、個人的には庭にこの時期に咲く桐の花。
今日庭仕事をしている手をとめて見とれていると、あたりに蝶も舞っていた。
なんだか些細な事だけれど、それだけでとても嬉しい気分になった。

(my)

Sunday 10 May 2020

早起きのときは

ここ最近、かなり早い時間に目がさめるようになった。深夜といっても良いくらいの時間に驚いて、このまま起きてたら体が持たないと思い、寝床に戻ることもある。

もともと朝型タイプだが、太陽が昇っていても全然起きれない時期もあれば、今のように過度に早起きな時期もある。その両極端の間には、もちろん適度な時間帯に起きている時期がある。周期はだいたい2〜3年といった感じで、どういうことなのか、自分でもよく分からない。

寝床で日が昇る時間になることを待つことも多い。最初に教えてくれるのは、カラスだ。まだ暗い朝のある瞬間に、どういうつもりか分からないけれど、鳴き声を上げる。うっすらと日光が感じられるような時間になると、様々な鳥たちがあちこちから、何とも心地よい音を奏でる。こんな最高な音響の目覚まし時計はないと思う。サウンドは、サラウンドで立体的、かつ、とても自然だ。

起床してからの最初の日課は、コーヒーを淹れること。1日で飲む5杯分くらいの量を一度に作っておく。朝日を見ながらのコーヒー&スモーキング。そのあと、真空管アンプを温めてから音楽を聴く。レコードで聴くことが多い。それもクラシック音楽。生楽器のアナログサウンドがしーんととした朝の空気によく馴染む。

静かなピアノ曲や小編成の室内楽が定番。そのあとはその日の気分でレコードを選ぶ。最近、早朝に小さな音で聴いて鳥肌ものだったのが、BRIAN ENO "DISCREET MUSIC"。僕が持っているLPの盤質はかなり悪く、なかなか聴く機会がないレコードだった。

針を載せた瞬間、生まれたての朝の空気の中、スクラッチノイズが朝靄のようにとても美しく浮かび上がった。靄が晴れるように徐々に音楽が聴こえてきて、一時クリアに響く。朝日のようだと思った。その後、途中幾度となくノイズによって音楽が遮られながらゆったりと音楽が空間に漂う。レコードのノイズがこれほどまでに美しく響いたのは初めての経験だった。

「早起きは三文の徳」だなと思った。

(青柳)

Wednesday 6 May 2020

新緑

名も知らない樹々から風に乗って運ばれてきた爽やかなにおい。深呼吸して、胸いっぱい吸い込む。あたりをみまわすと、いろいろな緑色のグラデーション。新緑の季節がやってきたと、嬉しくなる。

ふと、匂いについて考えてみる。人工的に計算された香水に惹かれる気持ちは想像できる。若いころ、興味をもって香水売り場に通ったりすてきなかおりを選びうつくしい瓶を化粧台に並べてみたり調香師の本やら読んだりしたときもあった。ただ憧れこそはすれ、身に纏うことはなかった。自分にとってしっくりくるものではなかったのだろう。料理するときや、持ち物にかすかに残ることが、気になったりしたということもある。

わたしにとっては、季節がつくりだす自然のはかないかおりを感じることが心地よいのだと思う。

(my)

Monday 4 May 2020

家という基準

コロナウイルスが世に広まってから、以前より人々の家にいる時間が増加した。

もともとあまり外出しないような人にとっては、さほど変化がないことかもしれないが、外での活動をメインにしていた人にとっては、かなり非日常的な、苦しい状況であることは想像できる。どんな人であれ、自分にとっての「家」という存在を何かしら見直すきっかけになったと思う。

人間にとっての家は、動物にとっての巣と同じで、活動の基本になるような大切な場所。家は、その人となりを自然と多面的に表しているとさえ思える。他人を家に入れるのが感覚的に恥ずかしいと思うのは当然だと思う。

家は、個々の人間の活動、思考、環境の「基準」となるような存在ともいえる。今、世界中の人たちがおのずと足元を見直しているとしたら、世の中が変化するのは必然的だ。アフターコロナの世界はどうなるのだろうか?

ステイホームを続けながら、こんなことを考えたりしている今日この頃。

(青柳)