Saturday 30 December 2017

日日雑記#3

彦根はすこぶる冬らしい気温と景色。それでも久しぶりに外に洗濯ものをだして乾かすことができた。

やはりあわただしい一日。時間をつくってゆっくりうる星やつらでも読もうと思っていたのに、できなかった。

今日の楽しみは、NHKFM世界の快適音楽セレクションのスペシャル番組。前から心待ちにしていた。らじるではなく、電波をひろってスピーカーMONOで聴く。喫茶謎のオムライス話もきちんと聞けて、年末の締めくくり感あり。どうしても入らない場合(例;彦根にて湘南ビーチFMがききたいとかポッドキャスト)は仕方ないにせよ、やはりラジオは電波に限る。

お昼はもちろんオムライスにした。(参考にしているのは、高松のおなじみのもの。)余裕がないなかでも、おやつの時間は大事なのでしっかりホットケーキをつくっていただく。(こちらは、なかしましほ「おやつですよ」のレシピを参照。)

本、音楽や装い、おうちのことや社会のこといろいろ考えてはいるのだけれど、結構な割合でごはんのことが頭に浮かぶことが多い。くいしんぼうなのかもしれない。

(my)

Friday 29 December 2017

非日常のスポットライト

京都高島屋のレコードフェアに参加することになり、6日間連続で店頭に立った。こういった接客は初めての経験。一日10時間も同じ空間に居続けるなんて僕に務まるか正直心配だった。

実際経験してみると、一日が驚くほどあっという間に過ぎていく。ものづくりに集中している時も一日は短く感じるが、それとは質が異なる。

普段あまり出会わないような年齢層の方々とのやりとりは新鮮だったし、レコードを探している人たちの表情を見ているだけで楽しめた。3日間会場内でラジオ番組をやったことも程よい緊張感があって、気持ちのメリハリ。社員食堂や喫煙室でデパートで働く人たちを見ていると、ドラマの世界みたいだ!とテンションが高まったりした。

ようは「非日常」を楽しんでいたんだと気付く。horaanaでの営みとは正反対ともいえる毎日だった。夜型の活動時間に陽の当たらない空間での一日。不特定多数の人たちとの出会い。

経験ってたのしいな、と思う。違うことに接すると、あたりまえのことにスポットが当たる。ロンドンに留学していた時は、今まで全く意識していなかったようなことを気付かされる毎日で、体内をグルグル撹拌されたような感覚だった。今から思えば、その経験はその後の人生に大きな影響を及ぼしたんだと思う。

horaanaの薄暗い灯りの中、ストーブにへばりつき、フェアで収穫したレコードを聴きながら回想。

(青柳)

Thursday 28 December 2017

フランソワ

ベーシックやスタンダード好きゆえか、ふだん行くお店は老舗が多く、頼むメニューも決まっている。(この店ではコーヒーとドーナツ、あの店ではコーヒーとプリン等)

京都でもいくつか好きな喫茶店があるのだが、今日はフランソワについて。内装や味、ともに気持ちが高揚する。学生時代から、この店は特別だったり優雅な気分なときに訪れる。

いつもはコーヒーのみ(もちろんフレッシュクリームで)頼むのだけれど、この前ケーキを頼んでみた。今まであまりフランソワはケーキのイメージではなかったのだけれど、メニューをみてみるとかなりときめく品揃え。(わたしは、フランス系よりドイツやオーストリア系のケーキの方がより好みです。)

定番ぽいガトーフランソワは売り切れだったので、レアチーズを頼んだら、最高に好きな感じだった。これから、フランソワではケーキもともに頼むことにしよう。

いつも固定化してしまい止ってしまっていては、すてきなものを見失ってしまう。自分も変わっていくのだし、微調整は必要だ。同じ注文ばかりではなく、ひとつだけでも違う冒険をしていこうと思った。

後日、図書館にて「老舗のカフェスイーツ」山村光春監修、を借りた。掲載されている喫茶店は気になるところばかり。わたしの好きなお店もたくさん載っている。なんとフランソワのレアチーズが表紙になっていた。つくりかたも載せてあるのだけれど、こういった丁寧につくられているプロの味はやはりお店で食べようと思った。フランソワの方のインタビューもよかった。ちなみに家庭向けでのケーキの最高峰のレシピ本は、「ホルトハウス房子のお菓子」だとおもっています。

(my)

Wednesday 27 December 2017

DRIVING MY WAY

12月は東京〜京都の長期出張で、車の中で過ごす時間がいつもよりずいぶんと多かった。

車の運転は昔から割と好きな方。音楽を聴き、ぼんやり景色を見ながら、高速道路をドライブするのは楽しい。ふいに普段思いつかないようなことが頭に浮かんだりすることもある。(←良いアイデアもどうでもよいことも含めて)周りが動いているのではなく、「自分が動いている感覚」が何かを刺激するからかもしれないな。

昨日、久しぶりに電車に乗ったらへんに疲れてしまった。自分の好きな時間に好きな道で、好きな音楽を聴いて、タバコを吸って、コーヒーを飲んで、自分の部屋にいるような感覚で目的地まで連れてってくれる自動車にこころから感謝した。

(青柳)

Tuesday 26 December 2017

師走の時間

師走のムード。あっという間に時間が過ぎていく気がする。ここ10日間くらい東京京都にイベントのため出張に行っていたせいか、気付くと今日はクリスマスも過ぎた26日。

いつもと同じように時間は進んでいるはずなのに、時は伸び縮みするのでしょうか。冬休みこども電話相談室に質問したい気分。わたしなりの答えは、ひとの気持ちがそうさせているのではないかということ。集合意識といったような。平日と休日の空気が違うように。

こんなときは、焦る気持ちを落ち着かせるために、ゆったりとした音楽を聴くことにしよう。

(my)

Wednesday 13 December 2017

こころがせかいを

12月になると時間の進むスピードが一気に早くなる。「師走」という漢字を見ただけで慌ただしい気持ちになる。

時間の進み方は一定ではないといつも思っているが、これは毎年必ず訪れる。
正月休みを念頭に、それまでにやらないといけないことをみんな一斉に片付けようとするからだろうか?みんなのセカセカが空気中に蔓延して世の中が早く動き出す。

これは人々の気持ちが世の中を変えることが出来るよい例のような気もする。個人的なこころのあり方も世界を形作るひとつの要素なのかもしれないな。

こんな時こそ、戦前の古いSP盤を蓄音機で聴いてみよう。悪あがきかもしれないけど・・・

(青柳)

Friday 8 December 2017

ものごとの多面的な有り様

師走をむかえ、気温もだいぶん低くなってきた。関西のなかでは北国といってもいいこの場所。そして、古い農家建築。「寒くないのですか?」とよく質問される。もちろん寒いし現代的暖房設備を備えていないし気温はたぶん外と一緒だけれど・・・ただこういった時期があるのも悪くないなと考えるようになった。

凜とはりつめた空気のうつくしさ。冴えたその感じ。景色がくっきりしている。遠く雪をかぶった伊吹山が見える。四季折々あるからこその楽しみ。

逆に、季節感がないことに違和感を感じるように。例えば、一年中同じような温度に設定された空調が苦手になってきた。エアコンの暖房ははじめは確かに快適と思うのだけれど、しばらくたつと空気全体がもあっとしている感じに頭がぼーっとしたり汗をかいたりしてしまう。わたしにとっては小さいストーブがいいなと思うように。(ちなみにvalorという古いイギリスのものを愛用中。至極単純なつくりだが、頑丈でミニ火鉢といった感じ。)

(my)

Tuesday 5 December 2017

冬の到来

気がついたら12月になっていた。
今年は寒くなるのが早かったから、秋のような冬のような曖昧な季節がしばらく続いていた。それがなぜか、今日とても「冬」を感じた。

気付かないうちにあることが進んでいて、ある瞬間に自覚する、そのタイミングがとても好きだ。なんというのだろうか。頭の中がほんのわずかにスパークして、新しい回路が生まれるような。

今日のきっかけは、寒波というよりも意外とAMラジオでかかっていた『冬のリヴィエラ』なのかもしれないな。

(青柳)

Thursday 30 November 2017

時間の不思議

前回のブログからだいぶ時間が経ってしまっていた。言い訳のようだけれど、ここ最近、時間感覚がおかしくなっている。長いような短いような、よく分からない感じ。濃厚だったのは確かだ。

一週間弱、東京出張に行っていた。(いつも以上にwebから離れていた。)リズムや普段の感覚を取り戻すのに、数日はかかる。今、ぼーっとしている。なるべくお水を飲む。

滋賀と関東は紅葉の時期がずれているようで、滞在中木々のグラデーションが変化していくのを楽しめた。

体験として残ること。普段と違う時間の過ごし方は、いろいろ考える契機になる。ただ情報がたくさんおしよせると、自分がなにを望んでいるか分からなくなりぶれて混乱してしまう。自分で整理して取捨選択する重要性を忘れないようにしたい。

(my)


Sunday 19 November 2017

突然光のごとく


キッチンでコーヒーをいれていたら、ラジオからマイブラの”You Made Me Realise"が流れた。BBCラジオなら分かるが、聞いていたのがNHK FMだったので、意表をつかれた。小さなポータブルラジオから聞こえるノイズギターもなかなか良いな、と思いながらコーヒーをドリップした。「突然光のごとく」という言葉が頭に浮かんだ。

日常で不意に訪れるこうした瞬間がたまらなく好きだ。
来週から東京で開催する『モノノネ空間|日々の光』は、こういった日常のささいな、特別な時間をテーマにしたイベント。フライヤーイメージ用に書いた文章と、今日の出来事がリンクしているのにも驚いた。(フライヤーの文章では、ラジオからプリンスの曲がかかる。)

後ほど、スピーカーMONOで久しぶりに12インチ盤で聴いてみたが、素晴らしい。ゴリっとしたギターの質感は、アナログレコードがより気持ち良く楽しめる。
それにしても最高のジャケットだ。写真の女性の首にあてられたナイフが「閃光」のように思えた。

(青柳)

Thursday 16 November 2017

旅をするために

日常生活のふとした瞬間に、物語は続いている。あらゆるところに魔法は存在する。
うつくしいきらめきとともに。時間をゆっくりかけて。今は気付かなくてもきっと用意されている。自分では予期しないような面白い不思議。感謝の気持ちでいっぱいになる。

からだとこころを整えて。触れるものに気を配って。謙虚に控えめにじっと観察しつつ。静かに流れて動きながら。

(my)

Wednesday 15 November 2017

となりの柿

となりの空家の庭にある柿の木に、空にあふれていくばかりのたくさんの実がなっていた。ついこの間見てみると、カラスが夢中に実をつついていた。実はほとんど無くなっていた。あんなに美味しそうな柿を自由に食べられる鳥たちがちょっとうらやましかった。

先日、近所の方から柿を頂いた。その柿は僕が眺めていたとなりの柿だった。その方はおとなりと親戚関係だから納得。やっぱり鳥がほとんど食べてしまうみたいで、あまり人間が食べる分は残らないそうだ。

その柿を昨日たべてみた。皮をむきながら、「となりのかきは、よくかきくうきゃくだ」という言葉が頭に浮かんだが、どこか変だ。妻にたずねて間違いを正した。

柿の味は、とても「普通に」美味しかった。甘過ぎず、でも柿のうま味はしっかり伝わってくる。弘前の木村秋則さんが作られたりんごを食べた時と印象が近い。これが本来の柿の味なのだろう。

鳥は美味しいものをよく知っているな、と関心した。

(青柳)

Wednesday 8 November 2017

日日雑記#2

昨日、暦の上では冬に。ふと中庭を見やると、落ち葉が地面一面に。木々は枝のシルエット。(紅葉見にいくの、間に合うかしら…。)

図書館でいっぱい本を借りる。LLビーンのトートバッグに溢れんばかり。(丈夫さに感心。)

冬というと焼き菓子の季節。(夏はオーブンを使うにも暑いから。)こちらに越してから、手作り菓子熱がふたたび。この冬は、パウンドケーキをマスターしたいという目標。基本的には、凝ったものより昭和的なベーシックなものが好き。(最近のお菓子本より、昔ながらのものを参考にしたい。)

いつも行くスーパーマーケットではなく、車で15分ほどのショッピングセンターへ。偶然、優待日だったせいで平日なのにすごい混み様。和菓子を買って、お茶の時間にいただく。

そろそろストーブをださなくては。日向ぼっこのありがたさが身に沁みる。

(my)



Monday 6 November 2017

寒さと食欲

まだストーブは出さずに凌いでいるが、寒さが身に沁みるようになってきた。
なんだか最近無性にお腹が減る。
食欲の秋というよりも冬眠前の動物のようだ。去年冬に見かけたタヌキはまるまると太っていた。
自然に近い環境で暮らしているから体が求めているに違いない。でも、太れない体質の僕の場合、栄養はどこに行ってるんだろうか?

(青柳)

Sunday 5 November 2017

楓蔦黄 もみじつたきばむ

晩秋をむかえ、ぐっと気温が低くなり季節は冬に近づいてきている。春夏秋冬、四季をそれぞれ味わう喜び。

ここ何年か手にすることの多い、日本料理の料理本。四季に応じて、献立が掲載されているのもまた良し。実用的なものから暮らしのエッセイまで、季節感を感じることができる本を読むのが最近は特に好きだ。

今年の紅葉はなんとなく早いような気がする。湖北に紅葉を見にいくことができたらいいなとぼんやり思っている。

(my)

Thursday 2 November 2017

音楽との信頼関係

先日名古屋ON READINGで開催された『読書のための音楽室』というイベントのために、スピーカーMONOを持ち込んだ。参加者全員で音楽を聴きながら同じ文庫本を読む、本や音楽がどんなものかはイベントが始まるまで何かわからない、という興味深い試み。

音楽を選曲された雨と休日の寺田さんは、外から聞こえる環境音や室内の雰囲気に気を配りながら、音量を微妙に変化させながら、音楽を再生していた。

最初は鳴っているのが分からないくらいの微かな音。台風による雨や風の音のほうが大きいくらい。交通量の多い道に面しているので車の音もつねに聞こえる。一定の間隔で静寂が訪れ、音楽が耳に入る。しばらくして、信号が赤になったときにそうなることに気が付いた。

イベント後半になると、音楽が耳に入りやすくなっていた。このシチュエーションに慣れたのだろうか。あるいは音量がやや上がっているのかもしれない。
みんなで同じ物語を読み、同じ音楽を聴いている状況がとても面白かった。会話はないが、ある種のコミュニケーションをとりあっているような感じもした。まわりの現実の音、静かで美しい音楽、そして物語がまじりあい、空間にふわふわと漂っていた。

イベントが終了して、寺田さんが、今日は皆さんにとって初対面の音楽だと思うので、緊張を和らげるため、最初はとても小さな音楽で再生したことを話された。普段よく聴く音楽なら信頼関係が出来上がっているので、読書の際でももう少し大きな音量で聴いても大丈夫だと思う、という言葉にハッとした。

「音楽との信頼関係」
それがあるからリラックスして、心から音楽を楽しむことができる。
永遠のパートナーのような音楽との出会いは、僕の人生を豊かにしてくれるんだな、と再確認した。

(青柳)

Tuesday 31 October 2017

静電気??

もともと冬になると、やれ車のドアをあけるときやら静電気がびびびときてわわわとなる。iphoneをやめてガラパゴス携帯にしたのも(参考ブログ;ガラパゴス)指先がびりびりする感覚が苦手だったのも少しはある。

今、図書館やらipadやタブレット、いろんな場所にタッチパネル式の画面が多い。そしていつもではないけれど指先に痛みを感じることがあって一瞬使うのを躊躇するときがある。(タッチパネル式の横にキーボード式のがあったら、すごく急いでいない限り並んででもそちらを使いたい。)そんなふうに感じている人、ほかにもいるのかしら。(いまのところあんまりそういうこと聞いた事ないけれど、ひそかに思っている人きっといるはず!)

(my)

Friday 27 October 2017

台風がもたらしたこと


先日の台風で屋根のトタンが数カ所はがれてしまった。あれだけの強風だったから、しかたがない。それより致命的な損傷がなくてよかった。

いままでは内側からしか見た事がなかった茅葺き屋根とご対面できて、ちょっと嬉しい。いつかは茅葺きに戻したい気持ちが強くなった。やっぱりオリジナルがカッコいい。

トタンの補修作業だったので、自分でやることにした。はじめて屋根のてっぺんに登って馬乗りにまたいだ。なんだか本当に動物に乗っているような高揚感があった。いつもより高い目線からみる近江の景色がいつもより美しく見えた。

(青柳)

Thursday 26 October 2017

気持ちの鍛え方

大人になると気持ちも安定していて、確固たる判断を取れるようになるのではと子どもの頃は思っていたけれどそうでもないようだ。(まわりの大人は大人の演技をしていたのかもしれない。)もう中年といえるような年だが、予期せぬ出来事に遭遇すると、自分でも驚くほど取り乱したりパニックになったりする。

他人からみたら些細なことでずいぶん気持ちが落ち込んだり、外的要因に感情が簡単に振り回されるにつけ、がっくりきてしまう。

それでも、訓練して自分の中に軸を持つように心がけてすこしずつましになっていきたいなぁとも思う。なるべくご機嫌で暮していきたいから。そして、それは自分の考え方に大分寄ることも多いのだろうから。

(my)

Sunday 22 October 2017

ちいさな秋の音

horaanaの母屋での仕事を終えて、オーディオのスイッチを切っても、まだどこからか音がしている。ちいさなとても美しい音だ。

耳をそばだててみると、それはコオロギの鳴き声だとわかった。
外からではない。明らかに室内から聞こえてくる。
キョロキョロしながら音の出どころを探ってみると、土間の奥のほうから聞こえてくる。
そういえば、土間で作業していてたまにコオロギを見かけることがあったから不思議なことではない。

ちいさいけれど、とても耳に心地よく、生き生きとしている。
ただ、ずっと聴いていたくなる。メロディーはいらない。音色だけで充分だ。音がこころに染み込んでいく。

小さいものが振動する音はあちこちに広く拡散する。
スピーカーMONOの音も似ている。

それにしても、家の中でコオロギの音が聴けるとは・・・そんな秋の夜には、オーディオはいらないな。

(青柳)

Saturday 21 October 2017

魚のあら

我が家の食事メニューは野菜中心、そしてお魚といった伝統食を心がけている。とあるスーパーマーケットにいったら、魚コーナーの中でもまずはあらを探す。そこのあらは、あらとは思えない程身がついていてしかも安い。あったら思わずにんまりしてしまう。

昨日もほとんど切り身やんと思えるぶりあらのパックを見つけた。2パックほど購入。塩焼き、甘酢かけにした。いろんな部位が入っているため驚くほど美味しい。そして今日はぶり大根にするつもり。安くて旬で美味しくていうことなし。こういうとき、ささいな喜びを感じる。

そこではあらをこぞって求めている人は少ない。調理法を覚えたら思ったより処理は難しくないし、ほんとうにお得だと思う。こういったこと、たくさんあるのだろうな。知らないだけで。

(my)

Friday 20 October 2017

FOOTSTEPS


「あー、あの時買っておけばよかった。」と思い出すレコードが何枚かある。
あまり物事を後悔する性格ではないのだが、一度見たきりでそれ以来出会えないレコードに関しては例外だ。

Traveling Mono』でスピーカーを置かせて頂いたWorkshop Recordsのレジ後ろにクリスチャン・マークレーのポスターが貼ってあった。

ギャラリーの床一面に溝の無いレコードを敷き詰めて、観客はその上を歩き回る。そして、そのレコードの傷が一点物の音楽になるというかなりコンセプチュアルでユーモアのある作品だ。レコードは丁寧に扱う物、という先入観がある観客にとっては、かなりドキドキ、ソワソワしたことだろう。会期終了後にそのレコードはナンバリングされて『FOOTSTEPS』という名前で発売された。

大学生の時、京都のレコード店でそのボックス入り限定レコードが売っているのを見つけた。欲しくて仕方がなかったが、持ち合わせのお金がなく見送った。数日後に買いに行くと、売れてしまっていた。たいした値段ではなったので、それは、それは、後悔した・・・(ちなみに、現在のDiscogs価格約4万7 千円!)

そのエピソードをWorkshopの苗村さんに話すと、このポスターはそのボックスに入っている物だと教えてくれた。羨ましくてしかたがなかったが、このポスターはこのお店にこそ貼っていて欲しい気がして、こころが落ち着いた。

Workshop Recordsで販売されているレコード盤はどれもとてもキレイだ。盤質の善し悪しに関係なく。苗村さんはいつもレコードを洗浄して、磨いている。そんな苗村さんの背後にレコードを踏みつけているポスターが貼られていることが、なおいっそうのレコード愛を感じて嬉しくなってしまう。

(青柳)

Thursday 19 October 2017

季節の変化に思う

急に寒くなってきた。とうとう昨晩は少しはやいかなと思いつつ湯たんぽを出してきた。朝ベッドから抜け出るのに時間がかかる。こんな日はほんとうはおふとんにくるまってぬくぬくしていたい。(かなり後ろ髪をひかれながら、えいやと起き上がる。)

最近、頻繁に感覚について考える。便利とはよいことのように思えるが、物事には必ず表と裏がある。便利の副作用は、自然環境への慣れや感覚に対する機敏さに対して鈍くなっていくことにあるのかもしれない。そして今ある便利さを疑ってみること、そして自分でいろいろ工夫していくこと。これらの行動はなかなか楽しいことでもある。(どちらをとるかは、その人それぞれ求めていることによって違う。)

気温の変化が激しいけれど、自然に対応できるようになるべく現代的な便利さに頼り過ぎずやっていこうと思う。

(my)

Wednesday 18 October 2017

触覚


先日野菜の直売所に行ったら、見慣れない花束のような物が棚に置かれていた。
よく見たら枝豆の束だった。枝付の枝豆は買ったことがあったが、こんなのはじめて。

早速その晩、日本酒のアテに湯がいてみた。ゆで上がってくるときの香りがなんとも良い。

口に入れて驚いた。くちびるにあたる枝豆の毛の触感が凄い。味も言葉にならないくらい美味しかった。新鮮を通り越して生き物のようだ。
枝豆を食べながら、なんだか音の世界と似ているな、と思った。

オーディオでも、最初の一音目に感じる印象がとても大切。
この瞬間、ひとは音の鮮度を感じているのだろう。
聴覚というよりも触覚に近いのかもしれないな。

(青柳)

Tuesday 17 October 2017

日日雑記#1

タイトルは好きな本の名前から拝借いたしましたが、内容はその本とはまったく関係ございません。久しぶりこのブログを書くので、一瞬ログインIDやパスワードを忘れていないか心配だったが、なんとか大丈夫だった。(ですます調か、である調どちらで書いていたかも忘れかけていた・・・。)

時間の進み方が不思議だなと思う今日この頃。最近、東京出張していたのだけれどだいぶん昔の話みたい。出張は、松濤美術館で行っている「三沢厚彦 アニマルハウス 謎の館」展にホラオーディオのスピーカーを使っていただけたのでその設営のため。すばらしい展示(謎の館というタイトルがぐっときます)もさることながら、松涛美術館を設計した白井晟一が大変気になる存在に。この秋は関係図書を読みまくる予定。建築めぐりをしてみたいなぁ。

出張中は、駆け足で横浜トリエンナーレと「杉戸洋 とんぼとのりしろ」を観に行く。横トリは時間の関係上横浜美術館の展示のみ。知っている作家は多いわけではなく派手ではないキュレーションだが現代の問題等を考えさせられるわたしにとっては正統派といってもいい展示。全部の会場を観たらまた違った感想になるのだろうな。杉戸さんのは、ディテールと空間、色と光に圧倒されたうつくしい展示だった。特にタイルの作品、前に座り込んでずーっと見入ってしまった。杉戸さんの作品を観ると、きれいな色のお洋服が着たくなります。(あくまで私見。)

都市の情報量が多すぎてふだんの日常を取り戻すのに時間がかかった。すっかりわたしたち、田舎のねずみ(イソップ寓話)です。

(my)

Sunday 15 October 2017

習慣が流れていく・・・

身に付いた習慣がなくなってしまうのはあっという間・・・

日々交代でブログを書くということは、最初とても大変だった。何を書いたらいいのか全く思い浮かばず、パソコンの前でただボーっとしていることもしばしば。それがしばらくしたら、日常の気づきをブログで取りあげる癖がついて楽になった。気がついたら自分がブログの番だということを夕方まで忘れていても、何とか話題を見つける術も身につけていた。

半年近くほぼ毎日更新していたのに、最近はかなりルーズなペースになっている。
原因はいろいろ考えられるが、僕の場合Instagramでほぼ毎日レコード紹介をやるようになったことが大きい。

レコードセレクトは感覚的に出来るのでそれほど悩まないし、むしろ楽しい。棚に埋もれていたレコードが日の目を見る快感もある。ある種とてもイージーな気持ちでできる日課。(それにひきかえ、ブログは普段使わない部分の脳を使って言葉を絞り出す大変な作業。)
限定的な使い方ではあるが、初めてのSNSなので、新しいことにチャレンジするという気持ちもあって、どうしても関心が注がれていってしまう。

楽な方に流れていってしまうのは、人間の性だと思う。水も自然と低い方に流れていく。簡単で楽なことへの誘惑が多い世の中だが、自分の意志で作り出した流れは細々としたものでもとても大切。
せっかくやり始めたブログなのだし、逆流させて流れをすこし変えてみようと思う。

(青柳)

(追記)この記事を投稿したら、累計ちょうど200件目でした!やっぱり続けよう。

Wednesday 4 October 2017

中秋の名月

(my bloody valentineのmoon song)

めっきり秋らしくなってきた。とても好きな季節。おしゃれをするにも秋の装いは特別な気がする。

今日は、空高く晴れていてお月見日和になるだろう。月をめぐる物語(特に日本の古典文学が好み)に思いを馳せながら、夜空を見上げるつもり。

(my)

Saturday 30 September 2017

二年という時間

彦根に引っ越して来て今日でちょうど丸二年経った。
二年前は前時代と言ってもよいほど昔に思えるし、ついこの前のようにも感じる。
年をとってきて、時間の進み方がより不思議に感じるようになった。
記憶・密度・経験・瞬間・流れ・・・いろいろなことが時間の速度に影響している。
時間自体が生き物のように感じることもある。
HORA AUDIOの「HORA」は「時間」という意味。
音楽と時間は一生のテーマになりそうだ。

(青柳)

Tuesday 26 September 2017

掃除の効用

ここに暮らすようになって、掃除というものの重要性が増してきたと同時に好きになってきた。以前からこまめにしている方だと自分では思っていたけれど甘かった。

都市型生活と違い、自然が身近にある環境ではちょっとさぼると虫やら苦手なものがわらわらと出てくる。大量発生するまえに、ちょっとしたサインに気付くのにも毎日のチェックが必要だ。虫除けのためにあまりきつい薬を使うと自分にも返ってきそうだし、なるべく安全な方法を考えたら掃除にまさるものはないと分かったのだ。

重曹等を使ったテクニックやら調べて詳しくもなった。掃除をするとあきらかに空間が変化し、さっぱり気持ちが良い。ちょっとした運動にもなるしいいことずくめな気がする。

(my)

Thursday 21 September 2017

140年前からの手紙


horaanaの土壁を掃除しようと思ったら、古い新聞が貼られていた。虫の侵入を防ぐためか、壁や家具の隙間部分に貼っている。
壁から端が浮き上がっていた新聞をそっとはがしてみると、『明治十年十月』と書かれていた。1877年。ちょうど140年前だ。文字があまりにも鮮明で驚いた。記事を読んでみると西南戦争のことや、滋賀水口村でイギリス人が紅茶を作り始めたことなどが書かれていた。
この家に住むまでは、140年前なんて想像もつかないくらい昔のことだと思っていた。実際にその時代につくられた家で生活していると、当時の人たちの暮らしが「ものづくり」を通じて伝わってくる。当時の人が何を考えて、どういうモノを作っていたのかを知ることはとても楽しい。現代と繋がっていることが自然と理解できる。
1877年について調べたら、エジソンが人の声を円筒形蓄音機に録音するのに成功した年のようだ。スピーカーMONOから流れてくるレコードの音が140年前からの手紙のように感じた。

(青柳)

Sunday 17 September 2017

かえるのひみつ

 
 
もうすっかり秋の気配なのに今日は朝からなぜか蝉が鳴いていた。そして、2匹のかえるがそれぞれ郵便ボックスとベンチに同じような方向でじっとしている。夕方みてみたらまだ同じ場所にいる。そして、お互い2mほど離れているのにみるたびにテレパシーのように一緒の方向を向いている気がする。
 
 
どういうことだろう?かえるのひみつが知りたい。(もう夏休みではないけれど、NHKのAMラジオでやっている夏休み子ども電話相談に質問したい位。)
 
(my)


Friday 15 September 2017

ゆりのけだかさ


草刈りをしばらく怠っていたらhoraana前の原っぱが草ぼうぼうになっていた。
生えている野草の種類が夏場とはぜんぜんちがう。
茂みの中にゆりが咲いていた。野性の美しさに見とれた。
気がついたら、山本精一&PHEWの名曲『まさおの夢』に出てくる一節、「かなしみ荒れ野に咲くただ一輪のゆりのけだかさ」が頭に流れていた。

(青柳)

Wednesday 13 September 2017

続けるということ

頭の中で思いついて、行動に移すこともなかなか難しい。でももっと難しいのは、はじめたことを地道に続けることだなと思う。この交換日記風ブログも毎日だったのが、2日置きとなっていることに気付いた。忙しさにかまけてとはいえ少し反省モードになっている。

ふと景色をみやると心地よい空気に秋の風。しゅんとなった心がなぐさめられる。

(my)

Monday 11 September 2017

夏がおわった


信楽NOTA_SHOPでのイベント期間が終了し、スピーカーや機材を引き取りに伺った。2週間前のライブイベントの時とは周りの空気や色が変わっていた。
機材を梱包し、スピーカーケーブルを巻いていると、ケーブルの裏にコオロギが潜んでした。身を隠す場所が無くなってどうしたらよいのか戸惑っているようだった。ケーブルの後ろでスピーカーから流れる音楽を聴いていたのかもしれない。
「あ、本当に夏がおわったんだな。」と思った。今晩はコオロギが秋の調べを奏でてくれるだろう。

(青柳)


Friday 8 September 2017

彦根梨


彦根に越してくるまで、知らなかった。すぐ売り切れになるので去年は食べることができなかった。今年は縁があって、手に入れることができた。甘くてとても美味しい。

梨って色といい、秋の訪れを連れてくるものだと思う。季節の味っていいな。

(my)

Wednesday 6 September 2017

シューカイ先生


今日インターネットで調べ事をしていたら、「ホルガー・シューカイ逝去」というニュースが目に入った。「えっ、いつのニュース?」と思い、確かめると本日付の記事で亡くなったのは昨日らしい。その時たまたまFAUSTの"SO FAR"を聴いていた。ジャーマン・ロックを聴き漁っていた大学時代を思い返した。

CANで初めて聴いたのは、"SOUNDTRACKS"だった。ドイツ人のバンドにヴォーカリスト日本人ダモ鈴木の取り合わせに、えも言われぬ不思議な印象を受けた。それ以来CANのレコードを集めることにした。「プログレ」に偏見を持った当時の僕も、レコード屋に入るなりPROGRESSIVE ROCKの棚をチェックするようになった。そうしているうちに気がついたら、いわゆる「プログレ」音楽も聴いていた。あるきっかけで、趣味の幅が広がるのは、今でもとにかく嬉しい瞬間。

ホルガー・シューカイがシュトックハウゼンに師事していたことを知ったときは、いろいろな事柄が繋がっていく快感を感じた。こういう経験を重ねるうちに自分の求める音楽はジャンルの中にはないことを知った。

音楽のジャンルを軽々と飛び越えていったホルガー・シューカイ。今日は先生を亡くしたような気持ち。

(青柳)

Monday 4 September 2017

黄金の稲穂

すっかり秋となり、田んぼの畦道を自転車で走る。両脇には黄金に輝く稲穂が光っている。風もすっかりと秋のもの。新米の季節。収穫がはじまっている。
(my)

Friday 1 September 2017

月夜の決闘


母屋での仕事を終えて、玄関を出たら電球のまわりにいろいろな虫たちが集まっていた。
今日はいつもよりにぎやかだな、と思って見ていたら、カマキリに睨まれた。
逃げる気配は全くない。僕のことなどどうでもよいらしく、獲物を物色し始めた。
おもむろに蛾に向かって鎌を振りかざした。一瞬で捕獲。
侍の決闘のようだった。丸い電球が大きな満月に見えてきた。にわかに秋が深まった夜のできごと。

(青柳)

Thursday 31 August 2017

どこかに残る記憶

大人になってだいぶんたつ。いわゆる学生らしい夏休みなんてとうの昔の記憶...なんだけれど、どこかに残っている。その感じが。夏と秋のあいだの切ない感じ、なごりおしみつつ夕暮れを眺めることが好きだった。

さよなら夏休みで思い出す作品を3つ。
1.大島弓子"毎日が夏休み"
2.dolphin song(この曲が入っているアルバムが出たときはちょうど高校生のとき。この曲がきっかけでバッファロースプリングフィールドとビーチボーイズのすばらしいアルバムを知る。)
3.モーマス"1999年の夏休み"

明日から、本格的に秋になる気分。

(my)

Wednesday 30 August 2017

『渚にて』という名のミステリー


いままで何となくしか見ていなかったレコードジャケットが不意に気になることがある。

僕が所有しているニール・ヤング "On the Beach"(Instagramで特集中の "Summer Music"では選外)の中古盤は状態は悪いのだが、ドイツ盤らしく左上に"Neu"のシールが貼られているところが気に入っている。破れてきたジャケットを補修したテープの古びた色合いも好きだ。

Instagram用に写真を撮ったとき、海を眺める男のロングヘアーと肩パット入りジャケットのようなシルエットが目に入った。それをきっかけに、写真にちりばめられたいろいろな物体が絡まり合い、謎となり、頭の中で膨らんでいった。

久しぶりにレコードをターンテーブルにのせた。ニール・ヤングは何を思ってこのジャケットにしたのだろうか?今日はなぜだか邦題の『渚にて』がとてもしっくりくる。

(青柳)

Tuesday 29 August 2017

水色 夏色 ソーダ水


もうすぐ夏は終わる。今年はまだ例年より夏らしいことをした気がする。ソフトクリームやパフェを食べ、めずらしくフェスにも行った。

夏が来る前にやろうと思ってできなかったことは、琵琶湖で泳ぐこと。まだこちらに越してきてから一度も泳いでいない。といってもへたしたら、21世紀に入って一度も海や湖で泳いでいない気がする。(泳ぎ方、憶えているかな・・・。)

やりたいなと思ったら、すぐにやることにしよう。興味をもったときすぐに行動に移さないと、忘れてしまうから。あっというまに秋もすぐそこ。

(my)

Monday 28 August 2017

自分の響きを聴く

WARP RECORDSのサイトに掲載されているリチャード・ジェームス(Aphex Twin)と元korgの高橋達也氏の対談が面白い。Korgの"Monologue"というシンセサイザーの開発に関わったふたりが音に関する様々な話題を語り合っている。

リチャードは開発にあたって、各鍵盤に対して個別にチューニングを設定できる機能(マイクロ・チューニング)をつけることを主張したそうだ。マイクロ・チューニングは、一般的な平均律とは異なる音律にすることもできるし、調律を国際規格である440Hz以外に設定することが可能になる。

チューニングを440Hzではなく432Hzにすると音楽の響きが変化するという話を聞いてネットで調べてみたことがある。世界的に「432Hz VS 440Hz」という論争があって、432Hz=善、440Hz=悪といった内容の記事がたくさん見つかる。音楽教育を受けたことが無い僕は、ただ「本当にそうなのかな。。。」という気持ちになってしまった。

リチャードの音楽制作におけるチューニングに対する発言がとても印象的だった。
―IT’S VERY SIMPLE, BUT DO YOU WANT YOUR MUSIC TO BE BASED ON AN INTERNATIONAL STANDARD OR ON WHAT YOU THINK SOUNDS RIGHT TO YOU?

音楽を世界的な基準に即したものにするか、自分の耳でいいと感じる音にするか・・・
世の中の価値基準ではなく、自分が感じる音を信じているからこそ、Aphex Twinの音楽は独自であり、タイムレスな輝きを放っているのだろう。

善悪や標準を超えたところで、自分にとって気持ち良い響きを追求するリチャードの姿勢にとても共感する。

(青柳)

Sunday 27 August 2017

夏のおわり 秋のはじまり


きのうNOTA_SHOPで行われたPolor Mのライブ。夕暮れ時から夜にかけて。夏のおわりと秋のはじまり。そんな時間にぴったりな切ない音が息をのむほど美しかった。スピーカーMONOを3セット使って、キラキラひかる粒に包み込まれるような感じだった。切ない音楽ファンのわたしとしては、はじめてライブを観たPolor Mさんの奏でる音楽にぐっときた。やっぱりライブっていいなとおもったし、直に体験するのは大事だなと思いを新たにした。自分で経験しないと自分にとっての本当の感想は分からない。

(my)

Thursday 24 August 2017

フェードイン・フェードアウト


暑い日々はつづいているが、秋の気配がずいぶんと色濃くなってきた。季節の移ろいは、DJミックスしているときのフェードイン・フェードアウトのように思える。現在はフェーダーを微かに動かして、うっすら音を混ぜているような状態。

朝晩に季節の変化を感じやすいのは、夜間はフェーダーの目盛がいくぶんか進むから。DJ SEASONにとっても夜のほうがミックスが楽しいようだ。オールナイトロングミックス。

現在Instagramで"Summer Music"をセレクトしている。レコードを選びながら、季節と音楽の関連性を感じるのが楽しい。ジャケットを見ながら音を聴いていると、夏の気分が上昇したり、ある音がきっかけとなり、秋を感じたりする。

まだまだSummer Music特集はつづく予定だが、これからはどうしても次のAutumn Musicの気配に影響されてしまいそうだ。

(青柳)

Tuesday 22 August 2017

夏のあたま2

本日わたしも夏のあたま状態になってしまった。からだに熱がこもっている感じ。あたまがぼーっとして普段と回転が違う。こんなときは、いつもと同じにはできないと割り切ろう。

気分転換するために、わらびもちをつくって食べた。わらびもち粉ときなこときび砂糖だけでできる簡単夏のおやつ。すこしだけ頭がすっとした気がした。

(my)

Monday 21 August 2017

It's the only 軽自動車

ここ最近車から変な音が出るようになった。低速で走っているとシュルシュルと何か金属が擦れたような音が車輪のあたりから聞こえてくる。クーラーが壊れているので夏は窓全開。音も当然よく聞こえる。

今日ようやく車を修理に出した。代車で借りたのは、最近の軽自動車。よく道で見かける車に思えたが、車名は今日運転するまで全く知らなかった。新しい車はよく似たデザインが本当に多い。

鍵を受け取ってまず驚いた。「鍵」ではなく「スイッチ」だった。実際はスイッチを押す必要も無く、車に近づくと自動的に鍵が開き、離れると締まる。エンジンのオンオフはさすがに手で回すが、鍵は差し込まず車内に置いているだけで認識してくれる。

僕の愛車は25年以上前の軽バン。当時の最高級モデルで、電動サンルーフの屋根にエンジンはターボ仕様、窓も電動で開閉するし、クーラーも本当ならば作動する。550cc時代のかなり古めかしい軽バンを3台乗り継いだ後に購入したので、最初は全ての便利な機能に驚いた。

クーラーのよく効いた代車を運転しながら、軽自動車もずいぶんと変わったもんだなと思った。僕の愛車の生まれた時代から四半世紀程経って、同じ「軽自動車」というジャンルに入れていいのかなと思ってしまう程の変化だ。

この変貌ぶりは「車に何を求めるのか」という部分がすっかり変わってしまったからなのだろう。今の軽自動車は、普通車の快適さをお手本に開発を進めて来た結果のように思える。便利や快適さの部分では文句のつけようがないが、何かが欠けているように感じた。

それは僕が思う「運転することの楽しさ」の本質からどんどん離れていっているように感じるからかもしれない。僕にとって車は、つきつめると「自分の意志でどこにでも行ける」という、「自由」をあたえてくれる道具という意味で特別な存在。速さ・大きさ・快適さを追求した車より、自分の意志や身体に直結したような車が理想だ。そういう意味ではマニュアル車のほうが好ましいし、車体はなるべく小さいほうが小廻りが効いてよい。軽自動車は、僕にとっては「それだからこそ」の魅力がたくさん存在する。

現代の車は快適すぎて運転しているのか、させられているのかよくわかなくなってしまう。彦根城の近くを代車で通過したとき、不意にカーナビが観光地案内をアナウンスし始めて怖くなってしまった。そのうちに住所を入力したら車が自動で運転してくれるようになるんだろうな。

(青柳)

Friday 18 August 2017

one note samba

音と香りは似ている。どちらも時間の中で流れて、はかなくとどめておけないもの。ある記憶を一瞬に呼び覚ますことができること。もし音や香りがそのまま同じ量で残り続けていたら、不快に感じるだろうところも同じようだと思う。

空間に音や香りが粒子のようにただようとき、その場の空気や雰囲気は変わる。うまくバランスをとれば、贅沢に時間に彩を添える。

なかなか答えがでないことだけれど、これからも考察していきたいテーマのひとつ。

(my)

Thursday 17 August 2017

the Voice of the Theatre


野外イベントの音響システムには、たくさんの大きなスピーカーが必要というイメージがあった。外で音を出すということは音は四方八方に広がって逃げていく、遠くにいる大勢の人たちに音を届けるには巨大なシステムでないと充分に音が拡散しない、という考えだ。 "PRHYTHM" という野外フェスに参加して、その先入観が覆された。

HPの情報によるとイベントでは、真空管アンプとALTEC A7/A5仕様スピーカーが使われるという。A7/A5は「the Voice of the Theatre」といわれるモデルで、主に劇場で使う目的で開発された。A5は1945年、A7は1954年の発売。低出力の真空管アンプしか存在しない時代に大きな音を出すために開発された。

劇場用のPAスピーカーといえども、さすがに野外イベントとなれば数を増やさないと無理なんじゃないかなと思っていたが、実際に会場に行くとたった2台のスピーカーで驚いた。さらにびっくりしたのが、そのシンプルなシステムが素晴らしいサウンドを作り出していたこと。

山の中にある広大な公園で行われたフェスのステージは、池の上に浮かぶ島にあった。ピラミッド型の彫刻作品の両脇にスピーカーが置かれていた。間近で見ると大きなA7/A5スピーカーがこのシチュエーションではとても小さく見える。それでこれだけの音量が出ているのがとにかく凄い。音はとても自然で耳障りな響きが全くない。音が森の中を楽しそうに飛び交っているのが目に見えるようであった。室内ではけっして味わえない、野外ライブならではの開放的な音の気持ち良さを体験した。アコースティックな響きも良いが、電子音楽を野外で聴くことがとても新鮮だった。

こんな機械を作り出した昔のひとは本当にすごい。音響技術の確立していない時期に試行錯誤したからこそ生まれたような気がする。昔のひとの方が、音の本質に向き合っていたのではないか。よい音を作り出すには、情報や技術より、耳であり、体であり、心であり、すなわち「人」が大切だということを痛感した。

(青柳)

Tuesday 15 August 2017

パフェっていいね

きのうMONONONE_KUKAN "SUMMER" AT NOTA_SHOPの企画として、puroさんのアイスを食べながら音楽を聴くという"NOTA_Creamery"というイベントがあった。

そこで、この夏はじめてパフェを食べた。なにを隠そうわたしはパフェがだいすき。なんだか80年代っぽい感じもする甘いもの。(そんなわたしはフクナガのファンです。)

NOTA_SHOPからの風景をみながらいただくpuroさんのパフェ、すてきでした。 流れる音楽を聴きながらささやかだけど夏を満喫している気がした。

(my)

Monday 14 August 2017

夏まつり

町内会の夏祭り。
公民館前の広場にヨーヨー釣り・輪投げといった昭和な屋台、生ビール・焼き鳥・流しそうめんの出店が点在している。帰省中の子供たちや親御さんが加わって、いつもの町内会の催しより活気に満ちている。
町民には事前に一回無料券が配られていたので、全てを楽しんだ。生ビールのおかわりは一杯100円!輪投げなんて何十年ぶりのことだったろうか。観るだけでなく、体験すると何か生っぽいものが蘇ってくる。
ふいに江州音頭がはじまった。舞台の上では、伴奏無しで歌がうたわれ、皆が輪を描きながら踊っている。江州音頭発祥の地は、滋賀県でもこの近くの豊郷や八日市のあたりらしい。僕は滋賀歴2年なので、まだ歌も踊りもわからない。
お盆の夜に皆で集まって飲み食いして音頭を踊る。そういう昔からずっと続いてきた行いがあることがとても豊かに感じる。「継承していくこと」へ思いを馳せた。

(青柳)

Saturday 12 August 2017

理想のFESTIVAL

夏といえばフェスの季節。とはいえ、わたしが今までそういったものに行ったのは数える程。基本的にインドアなため、あまり野外でわいわいするイベントに興味がないのだ。帰りたくなっても気軽に帰れないというのもなんだか気乗りしない。すごく観たい海外アーティストが出るとなっても、巨大フェスには行くことがなかった。

それでも昨日奈良の室生山上芸術の森公園でおこなわれたPRHYTHMというフェスは、ゆうきのおふたりがそれぞれソロでそしてPARA TRIOが出演するということ/日中行われる(夜は早く寝たいため大事)/サウンドシステムが気になる/小規模でこじまりとしている等のそそられる理由が多く、めずらしく行く気になった。

彦根からドライブ気分で、水筒に三年番茶、そしておむすびをつくって会場に出かけた。山奥と思っていたけど、意外とそうでもなく会場はとても設備が整ったきれいな場所だった。

公園一帯が、ダニカラヴァン氏制作のアート空間。モニュメントと自然が一体となった不思議に落ち着く気のめぐりの良い場所。入場からどきどきわくわくした。

ちょうどOORUTAICHIさんの出番に間に合い、お昼どきの真夏の太陽を受けた緑とピラミッド型舞台の上から流れる歌声とギターが風にふかれてきらきら光っている様子にしょっぱなから感動した。そしてそのあとのDJ(MONGOOSEさん→YA△MAさん)が、とても好みでこんな空間でこういった種類の音楽を聴く体験はなかなかできないなと思った。YTAMOさんのライブは、ささやかな音量が蝉の鳴き声といった自然の音と混じりあい、まわりの木々に囲まれた空間からサラウンドのようにつつまれているような感じがすばらしく、ふわーっと気持ちよかった。ラストのPARA TRIO。夕暮れ、刻々とあたりの色が変わる様子を眺めながら楽しんだ。

フェスに対して苦手意識があったけど、こんなフェスならまた参加したいなと考えを改めた。とても贅沢な夏休みらしい一日を過ごすことができ大満足。

会場の雰囲気も、さまざまなひとがそれぞれの楽しみ方で自由に楽しんでいる風通しのよい感じがこのイベント良さに拍車をかけていた。

このフェスのすてきさをなかなか思ったように文章で伝えることができずに歯がゆいのだけれど、とにかくすごく行ってよかった!!!

(my)


Thursday 10 August 2017

たのしい皿洗い

最近レコードクリーニングが楽しい。
レコードシェルフMIMIを開発したり、Instagramで日々レコード紹介をしているのが影響して、今までは仕事中はCDで音楽を流すことが多かったのが、最近はレコードをかけるようになった。
レコードで頻繁に聴くようになると、カートリッジ選びだとか、レコード磨きの大切さが分かってくる。手間を惜しまず、愛情をかければかけるだけ、良い音を生み出してくれる。いつも同じ音を出すわけではないのがまた面白い。
ぴかぴかに磨いたレコード盤に針を落す瞬間の気持ち良さはなんとも言えない。曇りなく磨いたワイングラスによく冷えた白ワインを注いで口に入れる瞬間の幸福感に近い。
レコード歴約25年にして、ようやく皿洗いが楽しいと思えるようになったことが喜ばしい。

(青柳)

Tuesday 8 August 2017

わたしはただひとつのメロディー


いちばんすきな女優といってもいいかもしれない。自由・自立・知性。最高に格好良い。久しぶりにこのレコードを聴くことにしよう。

(my)

Monday 7 August 2017

非日常の健康診断

先日健康診断を受けた。いままでは、通常の検診しか受けたことしかなかったが、今回は初めてがん検診などいろいろなオプションをつけた。一度はいろいろと調べておいた方がよいオーバー40。

市の検診を受けたのだが、健康診断を専門としている場所で、病院にはまず見えないインテリア。検診を受けている人たちもなんだか落ち着いて見える。

僕はといえば、昨晩10時からタバコも吸えないし、朝もコップ1杯の水しか飲めず、日課の朝一番のコーヒーもお預けで、かなり落ち着かないそわそわとした気持ち。

検診を受けていてもなんだかいつもの自分とは違うような感覚だった。
身長を計るときは普段はあり得ないくらい背筋が伸びているし、血圧・脈拍数を計る時も意識し過ぎて呼吸が乱れている。初めて飲んだバリウムで、体内の管が一斉にびっくりしているのが見えるようだった。

こんな非日常な状態の検診でいいのかな、と心配になった。
日常のありのままの自分を検診してもらうのは不可能だろうが、こんなにいつもとちがう自分を分析されても・・・結果を信用してもよいのだろうか。

無事検診が終わって、真っ先にコーヒー&シガレッツ。この今の自分を検診して欲しかった・・・

(青柳)

Saturday 5 August 2017

ほんとうの口コミ

この前教えてもらった喫茶店。早速行ってみたら、とても好みだった。味もサーブされる食器も雰囲気も価格も含めて。これはほんとうの口コミだから、自分にぴったりきたのだと思う。

かたやネットに溢れる口コミ情報。それを書いている人のことどんなセンスか、わたしは知らない。だから書いてある情報は自分にとっては当てはまらないことが多い。(好きな店のこと、あまりよい評価じゃなかったり全然ちゃうやんとおもうことが書かれていることがある。)

やはり口コミって直接信頼できるひとから聞くものだなと思う。もちろんそのあと自分で体験して判断すること。

(my)

Friday 4 August 2017

夏のあたま

あたまは火照ってしまうと使い物にならない。
今日からスタートしたイベント「モノノネ空間」のため、信楽NOTA_SHOPまで車で往復運転したら体が熱を溜め込んでしまった。運転中は景色も良いし気持ちいいドライブだと思っていたけど、今全く頭が働かない状態だ。
今できることは、ぼんやり涼しげな音楽を聴くことくらい。(現在Instagramで「Summer Music」特集をしています。)
これからマーティン・デニーとビールにすることにしよう。

(青柳)

Wednesday 2 August 2017

夏の記憶

図書館からの帰り道、車で湖岸を走っていたら琵琶湖がうつくしく光っていた。夏の夕暮れ。季節どころかみる時間によって違う。いつもみとれてしまう。

もう8月だ。学生の頃、夏休みも8月になると少し焦る気持ちになっていた記憶がよみがえる。なにを焦っていたのだろう。今思うと、あと1ヶ月もあるのに。ひさしぶりに大島弓子が読みたくなる。

図書館にいると落ち着く。すっかり夏休みの空気がただよっている。こどもが調べ物をしている。以前ほどたっぷりとそこで過ごすことはできず、借りたい本を探して帰るだけの現在。それでも、わたしにとって重要な行動。大事なひととき。

(my)

Tuesday 1 August 2017

遠くの花火

夜になってレコードを聴いていたら、外からボンボンと低音が聞こえてきた。
そういえば今日は彦根花火大会だ。観に行く予定はなかったけど、音を聞いていたら祭りの太鼓のように参加を呼びかけられているようで、ソワソワしてきた。

horaanaの母屋から外に出ると、遠くに花火の光が見えた。しばらく見ていると花火の輪がいくつも重なって見えた。遠くから観る花火もなかなかいいものだ。
花火会場までは10キロくらいはある。きこえてくる音は低音ばかりだ。

低音は力強い。音楽にとって低音は要であるが、強すぎると他の音を飲み込んで細かい音を聴き取りづらくしてしまう。特にバスレフタイプで低音のよく聴くスピーカーはその傾向が強い。バスレフスピーカーは、一定の周波数の低音を共鳴させて低音を補っている。花火の音のようにボンボンと鳴って気分は高揚するが、音楽の繊細さは伝わらない。

スピーカーMONOのようなバックロードホーンスピーカーは、低音の音階・音色・ニュアンスが聴き取りやすい。振動板後方から発せられた全ての低音をホーンの原理で等しく増幅しているからだ。自然な響きの低音は、高音・中音をより引き立てる。バスレフの強い低音に慣れた人にとっては、バックロードホーンは低音が出ていないと感じることもあるようだ。

遠くの花火の音を聴きながら、低音の質について改めて考えさせられた。

(青柳)

Monday 31 July 2017

京都レコード祭り

京都レコード祭りに行ってきた。ひさしぶりレコードをぱらぱらと探して(青柳がレコード屋に行っている間本屋に行くことの多いわたし・・・)、今って全体的にレア盤以外はすごく価格安いのねって驚いた。

ちょうどレコード祭りに行く2日前くらいにふと思い立って夏のレコードで紹介した小林泉美さんが音楽を担当しているサントラで持っていないのがあるなぁとおもって、ネットで検索していた。なんとなく会場で探してみると、なんと2枚あった。はじめみつけたのは1,000円。(きっとこの会場にもう1枚くらいあるはず。もう少し安いのが。)とおもってみていたら帯なしだったけれど500円であった。それも気に入っているレコード屋が出品していた。もちろん買った。こういうの地味に嬉しい!

今は簡単にネットで購入できたりどういう評価かわかったりするけれど、なんにもわからないままジャケットで選んでみたりハンター気分で探すことが面白いし、察知能力も上がっていくとおもう。レコード探しってゲーム気分かも。リアルにこうやって買物するのは探す手間や時間はかかるけれどそれも加味して楽しさ倍増。

(買ったのは翔んだカップルのサントラ。薬師丸ひろ子は歌っていません。)

(my)

Sunday 30 July 2017

朝の雨

この2日間早朝に激しい雨が降っている。その後一日雨が降ることはない。夕立は夏の風物詩だが、こんな雨ってあまり記憶にないので不思議に思った。
名前も気になった。夕立ならやはり・・・でも違う意味もあるので、どうなのか調べたらその通りの名前も正しいようだ。朝雨というのもある。
慣れないことが起こると知らなかったことを知るきっかけになる。どうでもいいようなことの方がなぜか嬉しい。

(青柳)

Friday 28 July 2017

片付けについておもうこと

前から取りかかりたいと思っていた在庫整理と片付けをおこなった。何を隠そうわたしは片付けが大好き。ホテルのようなすっきりした部屋で、荷物は少なく軽やかに、質を重視し少数精鋭でいたいと思っている。整えられた部屋は掃除がしやすい。(ちなみに掃除も大好き。というか清められた空間が落ち着く。)

人の好みなんて微妙に変わっていくものだし、今のわたしにぴったりなものを持っていたい・・・というのが理想なのだが。そう簡単にいかないのが現実。共同生活をしていると、捨てる捨てないの線引きがひとりではできないからだ。当たり前なのだけれど。折り合いをつけるということを学ばなくてはならないなと思いつつ、いつもこの課題にぶちあたる。

(my)

Thursday 27 July 2017

スナック菓子とポン菓子

スーパーで買い物していたら、目に入ったスナック菓子が無性に食べたくなった。小学校の時からのオールタイムフェイバリット。家に帰って早速食べた。ひとくち目は、「そうそう、これこれ。」という感じで大満足。しばらく食べていると、口の中の感覚がおかしくなってきた。食べ終わった後、舌はピリピリ。「もう、食べるのやめよう」と心に誓う。
それでも、しばらく時間が経つと忘れて、また買ってしまう。脳が記憶している快楽。一度染み付いたらなかなかやめられない、止まらない…

今日野菜の直売所で買ったポン菓子を口直しで食べた。ひとくち目、素朴すぎて味がないと思えるくらい。それが噛んでいるうちに口の中にうま味がふわっと広がっていく。後味もとても良い。シンプルな物は本当に味わい深いものだ。

スピーカーMONOの音は、ポン菓子に近いと思った。さりげないけど味わい深い音の良さ。でも、こういうのって古くさいのかな。普遍的だと思うのだけど…

(青柳)

Wednesday 26 July 2017

赤紫蘇ジュース

彦根に越してきてから教わってつくるようになった夏の飲み物。この時期になると直売所で赤紫蘇が売り出される。葉を自分でとらなくてはいけないのでたいへんだけれど、あれば枝付きのものを買ったほうがよい。炭酸水で割って飲むのが好き。色もきれいだし美味しいし、いったんつくっておけば好みの濃度で割って飲むだけなので手軽。

つくりかた;赤紫蘇の葉を洗う。鍋に水を入れ火にかけ沸騰したら、紫蘇の葉を入れる。途中で紫蘇をかえしながら煮る。しなっとなり液が黒くなったら火を止め紫蘇をボールにあてたざるに取る。落ちてきた液を鍋に戻す。鍋に氷砂糖を入れ溶かす。あら熱を取りクエン酸を入れる。これでできあがり。あとは水や炭酸水で割って飲む。

(my)

Tuesday 25 July 2017

公言するとかえって

梅雨明けしたとニュースで聞いてから、逆に梅雨入りしたようなじめじめとした雨続きの天気が続いている。天気は人の心のように気まぐれなものだ。
なにごとも公言するとかえって逆の方向に物事が転んでいくことがあるから困ってしまう。世の中には「ひねくれ分子」が飛び交っているのだろうか。かといって何でも曖昧な表現にするわけにもいかない。
一度知らないふりして、梅雨明け宣言をしなかったら、どうなるのだろう。
「あたるも八卦当たらぬも八卦」くらいの軽い気持ちで受け止めていたらいいような気がする。

(青柳)

*気になってネットで調べてみたら、梅雨入り・梅雨明け宣言が外れてクレームが多かったので、宣言をしなかった年があったそうだ。そうすると発表して欲しいという要望が多くなり、現在では曖昧な表現で発表しているそうだ。なんだかとても日本人らしい話。

Monday 24 July 2017

ハードワーク side B

昨日、(青柳)が書いていたハードワークについて。わたしは途中から参加したのだけれど、体がなまっているせいか夏の部活以上のしんどさだった。曇りの日を選んでこれだから、炎天下だと想像するのも怖い。

ふだんあまり汗をかけないのだけれど、サウナに入っているような感じになった。いつもこんな作業のあと、運動不足を反省してしまう。そして、きちんと体力をつけようとおもうのだけれどすぐに忘れてしまう。(英語の勉強と一緒。)ここに書いておいたらこの気持ち憶えておけるかな・・・。おもわず昼寝をしてしまった。

たしかにしんどい作業だけれど、達成したあとの爽快感は格別だ。あと作業の効率もよくなってきた気がするし、前より生えてる草がどんどんよい感じになっているのも希望がみえる。積み重ねの重要さがしみじみ身にしみてわかった。

(my)

Sunday 23 July 2017

ハードワーク


この時期の草刈りは日取りを間違えるととんでもないことになってしまう。天気が良すぎると太陽の光と熱を浴びるだけで疲労してしまう。今日は朝から曇り空、絶好の草刈り日和。天気を見てこんなことを思うようになるなんて、ずいぶんとこの土地での生活に慣れて来たような気がする。

朝9時、エンジンく草刈り機にガゾリンを満タンに入れて作業スタート。最初の1時間くらいはどんどん草は無くなっていくし、気持ち良い作業。草刈りをする度に生えている草の種類に変化があるのを見るのが楽しい。去年から草の手入れをするようになって、ずいぶんといい感じの野草の生える土地になってきた。放置すると背の高い草ばかりで一面覆われてしまう。今日は隣の家から増殖し野性化したミントがたくさん生えていた。匂いがあまりに良かったので、袋につめておいた。

作業が2時間くらい同じ作業をずっと続けてると、前身から汗が吹き出し、頭がからっぽになる。体はかなりキツいのだが、普段こういうことはないので、逆に気持ちいい気がする。
草を刈り終えると集めて積んでいる。刈ったまま放置する家も多いようだが、小さな野草が生える土地にするためにそうしている。山のように積んだ草を見ると今日のがんばりが一目で分かるのもよい。(写真は今日の成果。奥と手間の二つの山)

3時間半程の作業を終えると笑えるくらいフラフラになっている。シャワーを浴びて飲む水の美味しさも格別。昼食を食べ終えると突然の睡魔に襲われた。脳が「眠れ」と信号を流しているのが見えるようだった。

日常の雑念を払うにはこうやって体を酷使するのが一番良いのかもしれない。
複雑なようでいて人間も単純なものだ。

(青柳)

Saturday 22 July 2017

わからない、ということ。

”わからない”ということが苦手だった。すぐに安易な答えを求めてしまったりしていた。今からおもうと、平面的なものの見方をしていた。わからないことだらけなんて当たり前で、答えなんてないものの方が多いのかもしれない。だからこそ面白いのだと思えるように。(それでも昔からの癖で質問に答えられないと、もやもやしてしまうのはどうしたものか。)

わからないことをわからないままいったん保留にしておくのも大事かもしれない。はっきりしないこと、あいまいなこと、そんなことも重要なことだ。決め付けないで、遊びや余地を残しておくこと。

(my)

Friday 21 July 2017

シンプルなものは強い


クーラーの無い生活をしている者にとって、やっぱり扇風機の存在はありがたい。クルクル羽が廻り首を振っている様を見ているだけでなんだか涼しく感じる。今や羽が無い扇風機もあるそうだが、あまりそそられない。

写真の扇風機は、僕が大学生の時に京都で拾って、修理してずっと使っている。出会った時にすでに見たこと無いくらいレトロな存在だったのに、あれから20数年経って、もはや博物館行きの化石のようだ。それなのにいまだ元気に動いているのには驚きだ。シンプルな機械はそうそう簡単には壊れないのだろう。故障しても簡単に修理可能。

スピーカーMONOもこの扇風機のように何十年としぶとく元気な音を鳴らしてくれることを望んでいる。電子回路を持たないスピーカーだから致命的なことにはならないと思う。

(青柳)

Thursday 20 July 2017

夏のお昼の定番

きのう、近畿の梅雨明け宣言のニュースをラジオで聴いた。すでに暑すぎるくらいの暑さだ。あまり冷たいのみものを飲みすぎないほうがいいのは分かっていても、氷の入った番茶をがぶがぶ飲みたくなる。

そんな暑い夏の定番は、冷たい麺。最近凝っているのは、ごまをすりばち(とても便利!)ですり、そこにだしと醤油とみりんや酢、そしてトマトの角切りをいれ、ぎりぎりまで冷凍庫で冷やしておく。(冷やしすぎると凍るので注意。)野菜(きゅうり等)、薬味(ねぎや大葉、お好みで)は冷蔵庫で冷やしておく。うどんやそばをゆで洗って、さきほど冷やしておいた野菜(きゅうり等)をのせ、冷凍庫で冷やしておいた汁をかけ、薬味をちらし完成。揚げたなすをトッピングしても尚良い。

(my)

Wednesday 19 July 2017

レコード屋のように

レコード屋さんの壁にディスプレイされているレコードを見ているだけで、心ときめく。
そういえば、高校生の時集めていたレコードのジャケットを部屋の壁一面に掛けたりしていた。レコードの評価は、中身の音楽だけじゃなくて、ジャケットアートワークの善し悪しも含めて判断しているような気がする。
サイズ感も素晴らしい。LPの大判の美術書並みの迫力、そして7インチ盤の手をひろげたくらいの愛らしい大きさ。昨今のレコードブームもアートワークの魅力が大きく貢献していると思う。

正方形のアートワーク=レコードジャケットという頭の回路が働いてしまうレコードジャンキーも多いと思う。僕もそうだ。iPhoneを持っていた時(現在はガラケー)は、写真は必ずスクエアで録っていた。ジャケットに使えそうな写真を録ることが一番の目的だった。

横浜での試聴会「モノノネ空間」を終えて、セレクトしたレコードの荷物が戻って来た。このままレコード棚に戻してしまうのがなんだかもったいない気がした。せっかく「インテリア・デザイン」をテーマに選んだのだし、なんらかの形で紹介したい…

ジャケットのアートワークをなるべくレコード屋さんの壁のように見てもらうには、Instagramが最適だと思った。たまにお気に入りのレコードショップがやっているInstagramを眺めていると、レコード熱が高まって無性にレコードが欲しくなってしまうからだ。SNSをやって行く自信は無いが、レコード紹介のツールとしてInstagramを使うのは面白そうな気がした。

そんなこんなで、HORA AUDIOのInstagramがスタートしました。
今後のご愛顧のほどよろしくお願い致します。

(青柳)

*本日はイベントを開催させて頂いたインテリアストア、black&whiteさんにちなんで、"black&white records" を投稿しました。明日は "interior records"を予定しています。

Tuesday 18 July 2017

ますます好きになる

なんだかトレンディドラマのようなタイトルになってしまったが、今回横浜元町中華街エリアにある大好きなインテリアストアblack&whiteさまにてホラオーディオ試聴会を開催して思ったこと。

ずっとお店に滞在しているうちに、すてきなものに囲まれてあれもこれも欲しくなってしまった。今回の記念に、これ(テーブルにアクセントとして敷くつもり)とグラス(ワイン用だけど、小鉢の代わりに使うのもいいなと思った)を買った。

元町で出勤前にフレッシュオレンジジュースを飲んだり、おめあての中華料理屋でごはんを食べたり。横浜の街自体、ちょっと神戸に似ているところもあってなんだか落ち着くし、好みだ。今回行くことができなかった場所もあるし、次回ゆっくり散策してみたいと思った。

おみやげで頂いた同發の馬拉糕は最高に好きな感じだった。また好物が増えてしまった・・・。

古くはカップス(わたしの中では鈴木いづみの小説とリンクしている)、現代はCKB。ということで、もちろん元町商店街を歩くわたしの頭に流れていたのは横浜元町チャーミングセールのCMソング

Saturday 15 July 2017

生まれた土地の音


試聴会モノノネ空間で久しぶりに横浜を訪れている。二年前にスピーカーMONOは、神奈川県藤沢市で誕生した。
街を歩いていてまず感じたのは、「風の気持ち良さ」だった。軽やかな動きのよい風が吹いている。
常々、音は風みたいだと思う。気持ち良い風が吹く神奈川の土地でMONOが生まれたことを嬉しく思う。

black&whiteセレクトの素晴らしいプロダクトに囲まれ、生まれた土地の空気の中MONOは楽しく音を鳴らしている。
今回新しく仲間入りしたシェルフMIMIもまわりの様子を伺いながらインテリア空間にとけ込んでいるように見える。

心地よい空間でスピーカーが鳴っていると、いつも不思議と良い音だと感じてしまう。それでいて、その場の個性というものも同時に感じるから面白い。モノノネ空間の醍醐味。

(青柳)

Tuesday 11 July 2017

横浜についてあれこれ

14日~16日に横浜中華街エリアにあるblack&whiteにて行われる試聴展示会「モノノネ空間」のために、出張することになった。

久しぶりなので、休憩中にあれやこれや散策しようと思っている。気になっている喫茶店、照宝の蒸し器等道具(電子レンジを使わない我が家にとっては重宝する)、山田の鉄の中華なべやフライパン(これも大活躍)からすきな中華料理屋(中華料理が好き。特に北京、四川。でも今回行きたい店は上海料理。)などが行きたい場所。

今回はあまりぶらつけないと思うけれど、神奈川近代文学館や洋館をみたり、クラシカルですてきな建物も多いし、散歩にいい街だと思う。

そして横浜といえば、多くのテレビドラマや映画の舞台にもなっている。例えばやはり「あぶない刑事」。ジュリーのあのドラマも断片しかみていないのできちんとみてみたい。(なんせ一郎も藤竜も出てるし。)そして「月曜日のユカ」。内容は好きではないけれど、加賀まりこが可愛すぎる!まだまだたくさんあると思うけれどこの辺で。

(my)

Monday 10 July 2017

自然増殖するレコード


ゆうきのライブで滞在した福井でレコード屋さんに立ち寄った。「鑑定団」というその店の噂は聞いていたが、特にレコード熱が高い時期ではなかったので、また今度でいいかなと思っていた。オオルタイチさんが行ってみたいと言ったので、冷やかし気分で訪れてみた。

噂通り、ギターとレコードが混じり合ったディスプレイは見たことがない感じ。レコード棚の上部や前方に多数のギターが立ちはだかり、レコード漁りの本気度を試されているような気がする。分類はかなりざっくり。地方のレコード店は店主の個性を反映した、面白いところが多い。

何気なくジャズコーナーを見始める。はじめは何もなさそうな気配だったのに、ECMの国内盤が何枚かあったり、モーズ・アリソンの欲しかった盤がなにげに見つかった。今日はジャズだけを見ることに決めて棚を見ていると、店主が「ジャズは何でも700円です。」と声をかけて来た。値札がほとんど付いていないのはそういう訳だ。すでに手に持ったレコードも半額くらいになるなんて。。。さきほど見過ごしたオーネット・コールマン『FREE JAZZ』も700円ならということで救出。結局店主の一言で完全にスイッチが入って、6枚購入することになった。会計を済ましたあと、これおまけねと、マッコイ・タイナーのLPを頂いた。

こういう瞬間、レコード屋さんっていいな、と心から思う。インターネットではまずあり得ない偶然性の連続。今回のセレクトもネットショッピングではまず選ばない並びだ。
店の雰囲気や店主の表情の記憶を伴ったレコード達。内容うんぬんではなく、そういう物があることが幸せなんだと思う。でも、こうやってレコードが部屋にどんどん増殖していく…

(青柳)

*自然増殖していくレコードを納めるのに最適なシェルフ『MIMI』を開発しました。必要な分だけ増やしていけるコネクティングシステム。今週末、横浜の試聴会でお披露目します。

Sunday 9 July 2017

夏のレコード

夏になったら聴きたくなるのは、小林泉美さんのレコード。(今日、解禁。)

小学生の頃、多大なる影響を受けたアニメは「銀河鉄道の夜」と「うる星やつら」。
特に音楽が好きだった。(大人になって、銀河鉄道の夜は細野晴臣さん、うる星やつらは小林泉美さんが手がけられているのを知った。昔から今でも好みが変わっていない・・・。)

トロピカルなアーバンという感じで、大人っぽくていいのです。

(ジャケットもタイトルも、夏という感じ。)
 
(my)
 

Saturday 8 July 2017

夏の楽しみといえば

いよいよ夏本番を迎えようとしている。
暑くなると、木工作業をしていても汗だくになるし、あまり嬉しくないのだが、やはり夏のギラギラした光には何か胸がときめく。今年こそは琵琶湖で泳ぐぞ、とか想像しているだけで少し暑さが楽しく感じられてくる。
やはり、夏一番の楽しみといえば、肉体労働のあとのビール。
作業がキツくても、なおいっそう美味しくなると思えば、気持ちも軽やか。
あののどにシュワっとした泡が流れ込む瞬間が、なんとも素晴らしい。
音にたとえたらどんな感じだろうか。

(青柳)

Friday 7 July 2017

似て非なるもの

同じようでまったく違うものって、こう物質にあふれた現代ではたくさんあるのではないか。同じ名前や形に表面では見えても、本質ではまったく違うなと感じるものは多い。写真やネット上じゃ分からない。実際接してみないと。本質的なことは、控えめで地味なことが多いように思う。(これは最近の個人的主観。)

食べ物でもお洋服でも、音楽でも。なんにでも言えるのかもしれないけれど・・・本質的なこと、ほんものを見極める力を養いたいものだなと思う。それには、自分の心でみる訓練がまず必要と自問自答する毎日。(そして早寝早起き、規則正しい生活、からだの感覚を大事にする等で直感を鋭くすること。)

(my)

Thursday 6 July 2017

ベリー・ファッキング重低音


先日、ゆうきのライブ開演前にBGMでテーリ・テムリッツの『fagjazz』を会場に流した。
なんとなく持参したCDだったのだが、YTAMOさん、オオルタイチさんともに好きな作品だったみたいで、嬉しくなった。

ふたりの話によると、このCDのマスタリングは特殊で、音量をかなり控えめにしているらしい。そうすると、音量のリミットによる音の頭打ちが無くなり、音は本来の姿のまま再生される。特に音量制限を受けやすい低音がつぶれることなく、豊かでくっきりとした音になる。

これは現代のポップミュージックで主流となっている「可能な限り音を詰め込むマスタリング」とは真逆のアプローチだ。情報はなるべく多い方がよいという、現代人のあたりまえ。その背後には、大きな音で他より目立って、沢山売るぞ!というお金もうけの精神が反映されている。また、大きい音を迫力のある良い音と感じてしまう人間の特性を利用して、オーディオ業界の試聴は、かなり大きな音で行われている。こんな状況では、「音楽=うるさい」という一般的なイメージがついてしまっても仕方がない。

テーリ・テムリッツのハウスミュージックは、類まれなる美しさ・気品を纏っている。
控えめな音に潜む、伸びやかな生命力を感じる。
裏ジャケに書かれた「ベリー・ファッキング重低音」という言葉にしびれる。

(青柳)

Tuesday 4 July 2017

構築的なものから感覚的なものへ

どちらかというとがっちり計画をたててその通り進んでいくほうが安心するタイプだったのが、気付いてみるとそういったものとは違う感覚的なものをよしとするようになっていった。

環境・考えが変わると、連動していろんなものが変化していく。気付けば、ますます予定調和なものより、自由で感覚的、直感的なものに惹かれる今日この頃。自然がいっぱいの中で暮しているせいか。

今でも計画は立てるけれど、そのときの気分や感じでどんどん直感的によいと思う方向に進むようになってきている。じっと観察しつつ。

すてきな波が来ていたら、さっとそれに乗ること。タイミングはそのときだけのもの。
きのうの(青柳)ブログを読んで、いま思ったことを書いてみた。

(my)

Monday 3 July 2017

波に乗ったあとは

先週は京都東京福井で立て続けに3つのイベントがあった。
計画したのではなく、自然とこうなっていた。

イベントは時期が集中するから不思議だ。
行きたいライブが重なったり、毎日のようにイベントに行く週があったりするのは、何なんだろう?
(彦根に来てからはそういうことが無くなったのがさびしいが…)
きっと、人にも世の中にも波や流れがあるからだろう。

先週の3つの波は、それぞれに特別な経験を与えてくれた。
僕にはまだその経験を的確な言葉に置き換えることはできそうもない。
今言えるのは、「いい波でした。」という感想だけ。

日常の流れに戻ったとき、波に乗った感覚がまた浮上してくるのだろう。
その時に改めて整理してみたいと思っている。

(青柳)

Sunday 2 July 2017

緑の効用

きのう福井・Flatにて行われた 「yurulinokai × schooling ゆうき あたえられたものツアー & HORA AUDIO」について。

会場を和草(にこぐさ)さんが、ヤナギやイネ科等の植物でいっぱいに飾りつけた。みための美しさもさることながら、むせかえるような草のよいにおい。空間ががらりと変わった。

その中で行われたライブイベントは、とても特別で親密感のあるものだった。視覚/聴覚/嗅覚もさることながら、こころがぐっと動いた時間を経験し、じんときた。

やはり実際体験することは大事だ。それぞれ多面的に感じることは自分自身にしかできないことだと思うから。そしてそのときその場所というものは、かけがえのないもの。

(my)

Saturday 1 July 2017

土曜日朝の快適

ゴンチチの「世界の快適音楽セレクション」を毎週土曜日に聴いている。
仕事の日でも休日のようなゆったりとした朝の時間をあたえてくれる。
選曲も素晴らしいのだが、なんといってもおふたりのスローな関西弁によるトークが心をほぐしてくれるような気がする。

今日のようにイベントで音響をするときは、朝から機材の梱包やら準備で頭がいっぱいになっている。作業をしながらラジオを聞いていると、すっと思考にすき間を作ってくれて、忘れ物を思い出したり、冷静になったりする。不思議なものだ。

三上さんのオムライス話が聞けたら今週も良いことがあるような気がして嬉しくなる。(僕も近年オムライスフリークになっている。)

(青柳)

Friday 30 June 2017

自由でいること

おとといFlanger展”NEW/TONE/NEW/WAVE"のオープニングイベントとして行われたmakiさんロングインタビュー。大いに感銘を受けた。

決められたことより、感覚的でいたい。大事なことは自由でいること。そう、改めてこころに誓った。自分で枠をつくって閉じこもっていたり、よくない幻想に浸りつらくなったりすることもあるけれど・・・そういったことから抜け出してどんどん軽やかに自由になりたいもんだなと思った。

Flanger展、すばらしかった。スピーカーMONOにて『Mellow Waves』が流れる中、さまざまなことを感じながら展示を楽しんだ。ネットでは分からない、リアルで空間を体験できる喜び。

(my)

Wednesday 28 June 2017

波や流れ

波や流れのことを最近よく考えている。

時間の進み方や世の中の動きは一定ではなく、波のように上下したり、川の流れのように速かったり、遅かったりする。
昔からそういった波や流れをすばやく察知して、サーファーのように軽やかに波を乗りこなしたいというイメージをもっている。

音の世界においても、見えない波や流れをつねに感じたいという気持ちがある。
スピーカーを開発している時は特に意識する。空間によい波や流れを生み出すスピーカーを作りたい。

波や流れにはあらがってはいけない。
その動きに自分をうまく馴染ませる。

そんなことを再確認するようになったきっかけは、Flangerの展覧会「NEW / TONE / NEW / WAVE」への参加のお誘いがきたことだ。場所は、ちょうど2年前の6月にスピーカーMONOをお披露目した展覧会「to here sounds」を開催したAL。空間に流す音楽は、Corneliusのニューアルバムで、タイトルは「Mellow Waves」・・・

いろいろな波が来ているのだろう。ドキドキする。

(青柳)

都会の音

けっこう引越をしてきた方だけれど、彦根の田園地帯に住むまで都市もしくは近郊ばかりに住んでいた。だからそれまでは気づかなかったのかもしれない。今の静かな環境のせいか。スピーカーMONOで音楽をきいているせいか。”都会の音”について。

都市には低音が流れている。街中を包み込むように。田園地帯に住みはじめて数ヶ月たったとき大阪に行ってはじめて聞こえた。それまではそんな音のことなんて知らなかった。それからは都市にいくたび聞こえてしまう。

おとといの山食音で行われたイベントで、東さんがおはなしされたことの中で特に印象的なことはそのことに関係することでびっくりした。フィールドレコーディングされた中で、わたしが都市の音とおもっている音がしっかりと録音されていた。山の中。自然がいっぱいとおもわれる場所でも。都市から近かったら。

日本でたぶんいちばん”都会の音”がきこえるところで、今日のこのブログを書いている。

(6/28~7/9まで、Flanger展にてホラオーディオが音響を担当します。
28日はオープニング試聴イベントとして、(青柳)がゲストで参加いたしますので、よろしければいらしてください。>詳細

(my)

Monday 26 June 2017

機械だって

パソコンにCDを取り込む必要があってスロットに差し込んだら、貝が口を閉ざしたようにまったく入らない。
ここ1年くらいiPodで音楽を聴くということがほとんど無くなってしまって、スロットの存在を忘れているほどだった。

CDで聴く方が音質が良いということもあるが、「自分で音楽を選んでいる」実感が強いのがいいのだと思う。iPodを使い出した頃はシャッフル再生の時折訪れる絶妙な選曲センスを楽しんでいたりしたが、「気軽や手軽」ということが逆に退屈に感じられるようになってしまった。

こんな自分にパソコンのCDスロットがそっぽ向いてしまっても仕方がないような気がした。機械も必要とされないのに、いつまでもへいへい動いてくれるわけではない。機嫌を直してくれたらよいのだが…

(青柳)

Saturday 24 June 2017

自然の音

ふだんからまわりにある音。気付かない音。いろんな音にかこまれている。
音っていったいなんだろう?音をつかむことはできない。それが、近代になって音を記録できるようになった。フィールドレコーディングはまさに現代でしかできないことなんだろう。

音って考えれば考えるほど、不思議だ!

去年、あいちトリエンナーレでChris WATSONの作品をみた。スケジュールはタイトだった中、はじめからおわりまで体験してしまった。それは、とても気持ちよく音が音楽に聴こえてきたからだ。(Chrisさんの"In St Cuthbert's Time"という作品については以前のブログで青柳がかいています。>>>鳥の英会話

明日、京都の山食音でおこなわれる「いい音ってなんだろう?」というイベントで、音/記憶/歴史/空間等々、気になっていることを音の案内人である東さんからおききすることが楽しみだ。このイベントが決まるまで、青柳は考えてきただろうけれど、あまりわたしは真剣に音について考えてなかった。(ぼんやり音を楽しむだけだったから。)今では、興味シンシン。音の考察、初心者です。

(my)

Friday 23 June 2017

いい音の正体とは


「いい音ってなんだろう?」ってたまに考えるが、いつも結局よく分からなくなる。音は体と心で感じるもの。頭で考えてたらどうしても行き詰まってしまうかもしれない。でもその正体が知りたい…。

ちょうど2年前にHPのコラムで「よい音」について書いたことがある。
良い音を感じるレコードを何枚か挙げているが、今でも好きなレコードばかりだ。コラムでも書いているように、個人的な「よい音」は、結局、音が心の琴線に触れた瞬間なのだと思う。そういう瞬間を体験したレコードはいつまでも「よい音」として記憶されている。

またそのコラムでは、普遍的な良い音、HORA AUDIOの目指す音は、「自然の音」だと書いている。今でもそう思うのだが、みんなにとってはどうなのだろうか。
自分以外の人が思う「いい音」がどんな音なのか気になっていて、何かイベントにできないものかとずっと思っていた。それが実現することになった。イベント名は直球で「いい音ってなんだろう?」にした。

音の案内人、山食音の東さんは、店名があらわすように、山と食と音に繋がった活動をされている。僕が初めてお会いした時はウリチパン郡のレコ発ライブで、出演された二階堂和美さんの録音で来られていた。ずっと音の人だと思っていたら、食に関する活動を知り、その後、山にまつわる噂を聞いた。

日常的に音について考えていると、自然だけでなく、食のことが連想されることが多々ある。三つの要素を同じ感覚で捉えている東さんに「いい音」についてのお話と音を紹介して頂いたら面白いに違いないと思い、イベントをお願いした。東さんならオーディオや音響の世界のみならず、普段音に興味のない方も楽しめる幅広い内容になると直感的に思った。

当日は、東さん日常的に録られてるというフィールドレコーディング音源も聴かせてくれるそうだ。「いい音」という難しいお題を東さんがどう料理されるのかとても楽しみにしている。

(青柳)

Thursday 22 June 2017

The Kitchen Counter Cooking School

邦題「ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室」キャスリーン・フリン という本をを読んだ。正直、本屋でこのタイトルと表紙をちら見してもたぶん読まなかっただろうなと思う。わたしにとってはあまりそそられるタイトルではなかったから。

じゃあなんで読んだかというと、とある書評を読んで気軽な気持ちで手にとったら・・キャスリーンさんとわたし、食に対する考え方が通じるものがあり、じんときてしまった。思春期のころ、家庭科の授業から料理をすることにはまっていったことを思い出した。

わたしが毎日の料理をするときにおもっていること。「旬のものを食べること。なるべくその土地のものを選ぶこと。調味料は厳選してよいものを使うだけで、いろいろなドレッシングや汁をつくることができる。家庭料理はシンプルでさっとつくれるものが、一番。そして道具もたくさん持たなくてもいいからきちんとしたものを揃えること。冷蔵庫はちいさめでよい。楽しむこと!等」

読みやすい訳だった。翻訳家の方が気になって調べてみたら・・・なんと琵琶湖のほとりに住んでいるとのこと。なんだかうれしくなった。

(my)


Wednesday 21 June 2017

梅雨には梅雨らしく

梅雨入りしたはずなのに、雨が降らない日がつづいていた。田んぼの水がなくなって土がひび割れているところがあったりして、農作物がとても心配だった。

昨日の夜からまとまった雨が降った。でも、なんか変だ。しとしとした梅雨の雨というよりは、夏の集中豪雨のようだった。井戸の水は溢れ、雨漏りもした。このまま続いたらどうしようと思っていたら、あっけなく夕方にほとんど雨はやんでしまった。

梅雨はうんざりするくらい雨の日が続かないと本物とはいえない。じめじめした感じも日本の四季にとっては欠かせないと思う。このまま夏本番になってしまったら、梅雨時期に聴きたくなる音楽が思い出せず来年まで封印されてしまう。

梅雨には梅雨らしくしてくれないといろいろと困る。

(青柳)

Tuesday 20 June 2017

足るを知る

たくさん持つことや便利がよいとされる現代。はたしてそうなのだろうかという疑問がある。

便利になれすぎたら、感覚が鈍くなっていくような気がする。

自分にとっての丁度よいという加減がある。ものと価格のバランス。便利の裏側にあるデメリット。どんなものにも長所と短所があるということ。

例えばだが、いくつも鍋があっても使わなくては意味がない。すこしの鍋でも工夫したらいろんな料理をつくることができる。逆に、すこしだからこそいろんな工夫がうまれる。手を動かす喜びと達成感もおまけについてくる。

一面的ではなく多面的に物事をみる。便利とおもわされて大事なことを見失ってしまったら意味がない。直感を磨き、本質を見極めることができるようになりたい。

(my)

Monday 19 June 2017

井戸そうじから学んだこと

horaanaには井戸がある。深く掘られたものではなく、自然と水が湧き出てくるような小さな井戸が「水屋」と呼ばれる昔の台所の中にある。
引っ越して来たときから、井戸の中には長年の泥がたまって淀んでいた。水はいつも土の色をしていた。
雨が降ったら水かさが増え、雨が降らないと少なくなる。だからといって、水が無くなることはない。最低量はある程度一定にキープされている。

先日思い立って井戸のそうじをしてみた。
ポンプで井戸の水を外に排出してから、ひたすら泥をバケツでかき出す作業を繰り返した。泥の中から茶碗のかけらが出てきたりした。泥が少なくなってくると井戸の底と脇に穴が開いているのが分かった。意外と小さな穴だ。泥が詰まっているので棒でつついた。

ほぼ泥を出し終わった頃、脇の穴から透明の新しい水が流れ込んでいるのが見えた。
濁水が流れ込んでいるわけではないのであれば、井戸の水がきれいになるのかもしれない!
そう分かると一気に楽しくなって、作業をやり終えた。

翌日井戸を見ると水量は、そうじ前とほぼ同じになっていた。水はそれほどきれいではなかったが、格段に透明度が増している。柄杓で水に浮かんだ不純物を掬う作業を日課にすることにした。

日に日にきれいになっていく井戸の水を見ていると、いままで井戸は「ただ淀んでいたのではなくて、見えない所にちいさな流れがあって、生きていた」ということに気付いて感慨深くなった。
今までの人生、どうしようもなく停滞しているように感じる時期もあったけど、実は見えないところに流れがあって、だから今の自分がいる、ということを井戸から教えてもらったような気がした。

(青柳)



Saturday 17 June 2017

傍観者と当事者

本日とある業務を、(青柳)から引き継いだ。

傍観者でいるときは、やれ注文を出したり気楽な気分で批判したりしていたが、当事者になったとたん、緊張したり簡単だとおもっていたことが意外と大変だったり。

頭の中で考えていることを、実際に行動するしてみるのは思っているより難しい・・・のだけれど、達成感は比べ物にならない。

責任はともなうけれど、傍観者よりも実際に行動していくほうがおもしろいなとやっと分かりつつある。いくつになっても日々修行のようで、知らないことがいっぱいあることに気付かされる。

(my)

Friday 16 June 2017

Melodia


「ゆうきの体温」の時YTAMOさんが持って来てくれた愛聴盤の中に、ALEJANDRO FRANOV "Melodia"があった。
アレハンドロの音楽は大好きなのだが、 "Melodia"は聴いたことがなかった。気になったのでライブ開演直前にBGMでかけてみると、不思議な響きのピアノ音が会場に広がった。波紋のようだった。一聴してこれはすごい作品であることが分かった。
翌日すぐにCDをネットで探すが、見つからない。と思ったら、ジャケット違いで再発されていて、ホッとした。
今日CDが届いてからずっと聴いている。ピアノの残響音がとても気持ち良い。ブエノスアイレスのスウェーデン教会で曲ごとにマイクの位置を変えて録音されたらしい。”malmsjö”というスウェーデン製グランドピアノの響き。

「充分に傾聴された音は、彫刻に変化しつつ、一つの空間を規定していく」

ライナーノーツに載せられたジョン・ケージの言葉を噛みしめながらもう一度再生ボタンを押す。

(青柳)

Thursday 15 June 2017

シャッフルのような

関西地方でもとうに梅雨入りをしたはずなのに、今週は毎日洗濯日和だった。おふとんもふかふか、気持ちがいい。だけど、やはり季節のずれに戸惑う。近年、どうしたのだろうと思う。今日はまるで夏だった。

(夏めいた日の夕暮れに聴きたくなる音楽)
 
(my)

Wednesday 14 June 2017

ふつうのジャズ


夕暮れ時に木工作業をしながら、「COLTRANE JAZZ」を聴いた。なんだか今日の空気とピタッとはまって無性に気持ち良く響いている。
そういえば、大学生のとき初めて買ったコルトレーンがこのCDだった。フリージャズに傾倒していたころだったので、最初「ふつうのジャズだな。」と思ってしまった。でもその後に買ったスピリチュアル期のコルトレーンより実は愛聴していた。
今日聴くコルトレーンのサックスの音は優しさに満ちている。感情豊かなサックスの音に胸がしめつけられるようだ。
普通の物の方が味わい深いと知ったのはMONOのおかげだ。今好きなジャズのレコードは、「KIND OF BLUE」などの定番ものが多い。繊細な音色の違いや演奏の息づかいが分かるようになったからだと思う。

(青柳)

Tuesday 13 June 2017

慣れはおそろしい

携帯電話をガラパゴスといわれるものに変更したはなしを以前書いたが(参照;ガラパゴス)、その後もiphoneをwi-fiでつないでタブレット風に使用しネットをみていた。

中毒性があるので、ちょっとすきあらばゴシップ記事などをみたりかなり時間を費やしてしまっていたので、これはあかんなと思い、身近に置かないであまり手の届かない場所にしまうようにした。

この前どうしてもiphoneで見たい記事があり久しぶりに取り出してみてみたら、文字がすごく小さい!前はそんなふうに思わなかったのに。ちいさい画面でちいさい文字をみることに対して、慣れていたから何時間もみることができたのだ。そら、目が充血してきてたわ。

ほかにも慣れているだけで、ほんとうは自分にとって負担を感じていることってあるのかもしれない。一回やめてみたら、それが明確になる。

(my)

Monday 12 June 2017

ゆうきがやって来た。

6月10日、時の記念日、HORA(時間)の日。
ゆうきがhoraanaにやって来た。

「あたえられたもの」に収められたゆうきの音楽は深く多面的で、聴くたびに少し以前と違った印象を受ける。
それほどまでに緻密な音作りがされているゆうきの音楽を僕が音響処理出来るのものか正直とても心配だった。

リハーサルでゆうきの生演奏がスピーカーMONOから鳴ったとき、音の鮮度に驚いた。透明感があってみずみずしく、音の粒が自由に飛び回っている。
とれたての野菜のようだ。
何も手を加えなくても十分だろうし、どう転んでも美味しくなる。そう思って気が楽になった。

リハーサルでゆうきの生音を聴けば聴くほど、今日はゆうきの音をなるべくそのままみんなに体験して欲しいと思った。
結局ミキサーのイコライザーは、ほぼすべてのチャンネルはフラットのままだったし、念のため用意していたエフェクターも使用しなかった。

本番でのゆうきの演奏は、まさにライブミュージック。生き生きとした音の運動だった。
決してCDでは体験できないもの。このときここだけの音。

開け放した戸から風の音が混じり合う。
horaana全体がゆうきの音を感じ、呼吸しているように思えた。
ゆうきの体温は、肌にふれた今日の風みたいだった。

(青柳)



Sunday 11 June 2017

夢の余韻

ふだんのショールームに戻ったhoraanaできのうのことを思い出している。

夢だったのかもしれないと思ってしまう程すてきな、夢のようなイベントだった。

昼下がりの特別に贅沢な午後。ゆうきの音がhoraanaに響いていて感慨深かった。そとの木々と風が奏でる音と混じりながら自然とともにあることを感じた。

たっぷりとゆうきの体温を堪能した一日。ゆったりとおふたりが持参してくださったレコードを聴いたりお喋りしたり、the firstのみためも味もすてきすぎるお菓子をいただいたり。気が付いたら夜になっていた。興奮していつもより夜更かしをした。

(my)

Friday 9 June 2017

音の体温

スピーカーMONOで音楽を聴くようになってから、「音の体温」を意識的に感じるようになった。
温かい音、冷たい音、なまぬるい音・・・温度はさまざま。
感じる温度の正体は一体なんだろうか。
声質・楽器の音色・ハーモニーやメロディーなど色々な音楽的な要素もあるのだろうが、一番大きいのは結局「作り手のこころの温度」だと思うようになった。

ゆうきの「あたえられたもの」をはじめて聴いた時に感じた音の体温がまれにみるものだった。horaanaでのワンマンライブを企画した時、タイトルは『ゆうきの体温』、「あたえられたもの」に対しての想いも告知に際して書いた。それくらい印象的な体験だった。

いよいよ明日『ゆうきの体温』が開催される。スピーカーMONOから伝わるゆうきの生演奏。生まれたての音はどんな体温なのだろう。

(青柳)

Thursday 8 June 2017

どきどきとわくわく

ゆうきのおふたりの奏でる音を聴いていると、大事にしなくちゃいけないことを思いだせる気がする。言葉で表現することがむずかしい感情。日々の喜び。

CDでの録音物はもちろんのことライブもすばらしい。いつ体験しても、じんと伝わってくるなにかがある。さりげなくかろやかだが、深いあの感じ。音楽っていいなーとしみじみ思える。ホラオーディオの活動で伝えたいことと近いのではないかと、勝手におもっている。テレパシーのように。

ぜひ拠点であるショールームhoraanaでライブをとお願いしたら、快諾してくださった。
彦根の田園地帯にあるのでなかなか遠いとは思うけれど、そのぶん他では体験できない「ゆうきの体温」を感じることができる内容をと企画している。

たとえばというと・・・
・ゆうきの音楽をたっぷり楽しめるワンマンライブ。
・ホラオーディオのスピーカーをつかって音響をすること。
・ゆうきのおふたりが選んでくださったレコードを聴いたり雑談をする。リラックスしてのんびりと。→個人的かもしれないけど、ミーハーなので好きなミュージシャンはどんな音楽が好きなのかどういったことに影響を受けてきたのかを知りたい!と思うのだ。知人のおうちのホームパーティにきている感じをイメージ。滋賀の材料をつかったthe firstのおいしいお菓子をつまみながら。
・こちらにくる間の車窓からの風景や琵琶湖、そして今の季節ならではの麦畑がうつくしい。
といったことだろうか。

あさってのことを思うと、楽しみでどきどきわくわくしている。

(ご予約絶賛受付中。詳細はこちらから。)
 
(my)

Wednesday 7 June 2017

RAINY DAY

ひさしぶりの雨。
ここ最近カラッとした気持ち良い天気が続いていた。鳥たちは楽しくて仕方がないらしく、歌いながらクルクル回って飛んでいた。反対に植物は少し喉が渇いたような表情をしているように思えた。今日雨をふんだんに浴びた植物はツヤツヤした満足そうな顔をしている。
都市部に住んでいたときは、雨が降って嬉しい気持ちになることはほとんどなかったが、土が身近な場所に住むことになって、雨が恵みであることが自然と体感できた。不思議と雨音が以前とは違った響きに聞こえるようになった。

(青柳)

Tuesday 6 June 2017

待てないから待つへ

じっくり待つということについて。わたしはせっかちで、早口。たこ焼きパーティをしても待ちきれず、”あま焼きのmy”という異名も昔あったくらい。

ここに越してきて日々自然に触れるにつれ、じっくりのんびりゆっくりもいいことだなぁと思うようになった。ちゃっちゃと動くと、どこか気持ちも焦ってくる。こころもちゆったり動くと、鷹揚にかまえられる気がする。・・・とはいっても、じぶんではゆったりしているつもりでもはたからみていたらまだ急いでいるかんじなんだろうなー。ま、それこそのんびり冷静にじっくり待つことができるようになっていこうと思う。

(my)

Monday 5 June 2017

フィールド・デイ

ロンドンの野外フェス「Field Fay」でのAphex Twinのライブがストリーミング中継されると聞いて早起きした。
日本時間午前4時55分スタート。普通だったら断念するような時間だが、今日は町内会の草刈りが6時からあるので、どちらにせよ早く起きないといけないのだし、ということでがんばって4時半に起床した。

コーヒーを入れ、iPadをオーディオに繋いで準備万端。ほぼ定刻に放送はスタートした。リチャードが機材をいじって発信機のような音を出している。ライブがいつ始まってもおかしくない気配に包まれているが、いっこうに始まらない。というか始まっているのかもしれない。とにかく全く展開がないまま30分ほど経った。そろそろ草刈りの準備を始めないと、というタイミングでシンセの音が鳴り、ビートが聞こえ始めた。でもまだ盛り上がるような曲ではない。地味なスタートだ。しかし時間が経つ程にグルーブ感が徐々に高まってきている。ついに観客が歓声を上げるようなダンサブルなビートになった時、ちょうど家を出発しないといけない時間になった。

youtubeで音が悪いし別にいいじゃないか、と自分に言い聞かせて、草刈り作業に没頭しようとした。でも、頭はロンドンに飛んでいた。草刈機の軽いエンジン音は気休めのビートにはなるが、さすがに踊れない。Field Dayを想いながら町内のフィールド草刈りDayも運命と思うことにした。

作業を終えて家に帰ると中継はやはり終了。でも、録画映像が見れるようになっていた!嬉しくなって続きを観た。youtubeの音は迫力にはかけるけど、ライブの高揚感が伝わって来てゾクゾクする瞬間があった。ずいぶん昔に大阪のベイサイドジェニーで観たAphex Twinは、マイベストライブのひとつだ。あの時、生き物のような音にすっぽり包まれた感覚は忘れられない。今年はFUJI ROCKにAphex Twinが来るらしい。こういう時はいつも、どこでもドアが欲しくなってしまう。

(青柳)

Saturday 3 June 2017

今の気分で選ぶ


ここ何日かEnnio Morriconeの60年代後半から70年代前半の映画音楽を集めたCDを聴いている。すごく今の気分!

それにしても、このジャケットデザインはかなり90年代を感じる。その頃、聴いたときはそこまでこういった音楽に対してピンとこなかったけれど・・・。(当時はフランスかぶれ。)今はイタリアかぶれになりそう。昔と今、印象がかわるものもあるので固定概念なしに試してみるのは大事だなと思う。

(my)

Friday 2 June 2017

雷雨のリセット


最近あまりに暑かったので、1ヶ月くらい早く時間が過ぎ去ったような錯覚をおこしていた。頭では5月末だと分かっているのに、体が「もう夏本番だよ。水分取ったほうがいいよ。」って言ってた。
頭と体がズレているような変な感覚。
昨晩の激しい雷雨のせいか、今日はうってかわって気持ち良いカラッとした天気だった。
雷雨が季節と僕をリセットしてくれた。自然の摂理にはいつも驚かされる。

(青柳)

Thursday 1 June 2017

おらが村

最近おどろきのニュースがあった。とあるスナック菓子について。ぎりぎり販売地区だったのだけれど・・・。みかけたらなんとなくうれしかった江ノ電のラッピング電車はどうなるのだろうとか考えてしまった。

検索したら「おらが村」のサイトまであるのを発見。お話とか読みふけった。結構おもしろい。(おらが村のキャラクターを描いていらっしゃるイラストレーターの方のお仕事ではサントリーCANビールのペンギンとチェッカーズ「ガチョウの物語」が大好き。)

普段あまりスナック菓子は食べないのだけれど、自分が小学生のときに売っていたお菓子はなんとなくたまに食べたくなる。また、80年代のCMをみることが趣味でそこで宣伝とかみているので、まだあるとおもった製品がとっくの昔につくられていないことを知り愕然とすることがある。

定番好きからしたら、当たり前のようにある(買える)と思っているものがそうではなかったときのショックは大きい。欲しいとおもったときに、手に入れるほうがよいようだ。

(my)

Wednesday 31 May 2017

好きが繋がる時


作業をしながら武満徹全集の歌曲集を流していたら、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。
女性が歌っているが、僕が知っているのは男性ヴォーカルだったと思う。
誰だっけな。
不意に荒木一郎の顔が浮かんだ。
まさかと思って調べると、その『めぐり逢い』という曲は、作詞が荒木一郎、作曲が武満徹だった。
あわてて、荒木一郎のCDを探して聴く。ライナーノーツにちゃんとクレジットが載っている。
大好きな人が繋がると何とも嬉しい気持ちになる。
意外性があるほど、なおさら。
あらためて、いい曲だなー。

(青柳)

Tuesday 30 May 2017

麦秋

野菜の直売所に行く途中、一面に広がる田圃のところどころに黄金に輝く麦畑。とてもうつくしい。今の季節の楽しみ。それにしても、今年は5月と思えない暑さだ。

家に戻り先ほどの光景を反芻している間にふと思い出して、久しぶり本棚から出してきて読んだ本がある。それは、ムギと王さま/ファージョン作 石井桃子訳(岩波少年文庫)。イギリスの児童文学。

  
(このイラストのようにうず高く積んだ本の横で一心不乱に好きな本を読みふけるのは至福の時。いいなぁ。)


(my)

Monday 29 May 2017

万人受けするノイズ


森の中で自然の音に包まれると心地良く感じるのはなぜだろう。
鳥の鳴き声、小川のせせらぎ、風で枝葉がこすれる音・・・多種多様な音が複雑に混じり合っている。
静かだから気持ち良いのではない。自然が作り出す「ノイズ」で満たされている。
個々に好き勝手な音が鳴っているだけなのに、合わさった時、人の心を浄化させる。これだけ万人受けする「ノイズ交響曲」は人間には作り出せない。
人がつくり出す音と自然がつくりだす音、何が異なるのだろうか?人間も自然の一部なはずなのに。
頭にふいに「コントロール」と「流れ」という言葉が浮かんだ。
深いテーマなので、これからじっくり探っていきたい。

(青柳)

Sunday 28 May 2017

バランス

今でも情報派頭でっかちになってしまうときもあるけれど、近年ますます現場派体験主義になってきている。

実際、その場にいて空間やさまざまなものを体験する事が重要だということ。自分の視点でみるということ。このまえ書いた”量より質”についておもうことと一緒で、たくさんの情報を知っているより、ひとつひとつの実体験を大事にしていきたいと痛感した昨日のいちにち。

ま、実体験も情報も頭で考えることも行動する事も、どれもバランス良くできるのが一番理想なのだけれど。

(my)

Friday 26 May 2017

成長のじかん

成長するには十分な時間が必要だと最近つくづく思う。
早いのはよくない。遅いくらいのほうがいい。
そういうことが、自然を見ていると感覚的に理解できる。
何だって同じだろうな。
効率とか時間短縮にワナがあるのかもしれない。
現代人はそういうツケを払わされているような気がしてならない。

(青柳)

Thursday 25 May 2017

”量より質”についておもうこと

”量より質”とはあたりまえのようなことだけれど・・・最近ますます実感している。

たくさんのお洋服やレコードを追い求めていた頃もあった。でも今は違う。自分がほんとうに好きなことが分かってきたからか。ミーハー心でふらふらしていた。いまも少しはそんな気分が残っているかもしれない。それでもメディアや雑誌(すごい読んでいた!)から離れむかしほど影響を受けなくなったからか。

例えば、バイキングのケーキをおなかいっぱい食べるより、すてきな喫茶店でちいさくても上質なケーキをきれいな食器で食べたい。

特に普段接すること。身につける下着の心地よさ(絹とか天然素材)、よい音質で聴くお気に入りのレコード、地元の新鮮な野菜を食べること、良く掃除された気持ちのよい部屋、好きなインテリア等々。そしてひとつひとつを大事にしたい。だれもみていなくても自分が知っていること。

そんなちょっとしたことがどんどん未来を変えていく・・・ような気がする。おおげさなことじゃなくても、日々ここちがよいほうが気分がいい。なるべく機嫌よくいたい。

(my)