Tuesday, 14 March 2017

卒業

駅のホームで袴姿の若い女性をみかけた。卒業シーズンなんだなと気付く。自分自身の学生シーズンは遠い昔のはなし。と思いを馳せてみる。

交互に頭のなかにふと流れた曲は、斉藤由貴「卒業」。そして「じゃあね」。(80年代だね・・・。)

(my)

Monday, 13 March 2017

地味なよさ



スピーカーMONOで音楽を聴くようになって、いままでよく理解できなかった音楽が突然その良さが分かることが結構ある。

MORTON FELDMANのこのレコードも買ってから全然聴いていなかった。「地味な音楽」という印象でしかなかった。
MONOのおかげで、楽器ごとの音色や表情がよく分かるようになって、よくターンテーブルにのるようになった。

一音一音の微妙な変化や連なり、そして小さな音の気持ち良さ。
以前の変化に乏しい単調な音楽という印象からうってかわって、むしろ緊張感のある演奏であることが分かった。

音楽だけでないのかもしれないけど、「地味なよさ」を知るには、微妙な違いが分かることが必要なのだろう。

(青柳)

Sunday, 12 March 2017

田んぼ

昨日、山食音で行われた音楽会にて。久しぶりにゆうきが、「田んぼ」という曲を演奏されていた。(OORUTAICHI+YTAMO"ihati ep"に入っている曲。HORA AUDIO online shopにて購入できます。)

当社とショールームhoraanaがある場所は、田園地帯の中にある。春になって田植えの季節になるとほんとうに田んぼが光っている。そして脳内に流れる音楽はいつもこの曲。

駅前のスーパーマーケットに行く際、近道して畦道を通行する。今日は、音楽会の余韻に浸りながらあたたかくなった春の日差しのなかそんなことを考えた。

(my)

Saturday, 11 March 2017

異星人に通訳

スピーカーの違いによる音の変化はとても大きい。
オーディオ機器の中で特殊なポジションにいるからだろう。

各オーディオ機器の共通言語は電気信号。
あたえられた信号を解読して、自分の仕事をして、その結果を次の機器に信号として受け渡す。オーディオの最後に位置するスピーカーの仕事は、信号を解読し、空気を振るわせ音にする。

最後に相手にするのが「空気」というつかみどころのない存在というところが他のオーディオ機器との決定的な違いだ。ある程度の性質は分かっていても、その行動は目に見えないし、自由自在に変化する。

スピーカーは通訳のような立ち位置なのかもしれない。
共通言語である電気信号を全く知らない異星人のような存在である空気に、ジェスチャーで意図を伝えるという難しい仕事。

イヤホンやヘッドフォンも同じ役割だが、相手にする空気の量が圧倒的に少ないし、空気は密閉されている。イヤホン・ヘッドフォンは、室内の少数の異星人と向き合って通訳している状態、スピーカーは野外に集まった圧倒的大人数の異星人を前に壇上で通訳している、しかもみんな好き勝手な行動をしている。

異星人に通訳をするという特殊な仕事なので、スピーカーによってその結果はかなり異なってくる。同じ結果になることはまず無いと思った方がよいのかもしれない。

大げさなたとえ話だが、こうやって想像するとスピーカーの仕事の難しさがひしひしと感じられる。かなりセンスが問われる仕事だなと思う。

(青柳)

Friday, 10 March 2017

季節はめぐる


まだまだ肌寒いけれど、季節は確実にめぐり日増しに春めいてきている。
あたりには梅が咲き、ほのかによいにおいがただよっている。

梅は地味でささやかな美しさ。こういった感じが年々好きになってきている。

(my)

Thursday, 9 March 2017

音と自然

音を出すことは誰にでもできるかもしれないけど、音をコントロールするのは難しい。
空気という目に見えなくて、自由自在に変化する存在を手なずけようとするのだから仕方がない。
人間は完全に音をコントロールできない。
どんなに優れたミュージシャンでも、どんなスピーカーを使っても不可能なこと。
そう思うと、「音とどういう付き合うのか」が大切な気がする。
「人間と音」の関係は、「人間と自然」との関係にとても似ていることに気がついた。

(青柳)

Wednesday, 8 March 2017

記憶のズレ

「しゅららぼん」を再読した。以前読んだのは大分前だったせいか、かなりわたしの中で物語が変更されていた。おおまかな大筋はあっているけれど、細かいところが。小説版清子ってこんなんやったんやね。(映画版清子といえば、テレビドラマ富豪刑事がみたくなった。)

資料を片付けていたら、1年以上前に書いた日記のようなメモが見つかった。内容が今は共感できないようなこともあり、だれが書いたんや!と思うけれどまぎれもなくわたしの字。

ミランダジュライ「わたしを選んでくれるもの」の感想についても記されていた。そのことは憶えているし、それについては今も気持ちは変わらないだろう。(たぶん。)

ほんと記憶ってあいまいだなーと思うし、勝手に物語が書き加えられていることもあるんだなと痛感と不思議。

(my)